第11話 世界樹
乱暴にドアが開く音がして、ドアベルが甲高い音を立てた。
「よっ!今日も邪魔するぜボウズ」
甲高いドアベルとは対照的に、低く男らしい声で僕に声をかけるのは、短く刈り込んだ茶髪に、全身を皮鎧に包んだ男だった。
「いらっしゃいませ、エルドさん」
彼はエルドさん。鎧を纏っていることからも分かるように、この街の中心部にある摩訶不思議な領域『世界樹の森』を探索する探索者をしている人だ。
エルドさんはその大きな身体を、豪快に椅子に下ろすと、僕が出したお冷を一気に飲み干す。
その少し湿った緑色の短髪と、額に浮かぶ汗を見て、今日も大変だったのだろうなと勝手な想像をする。
「ボウズ、酒くれ」
「何回目ですか、このやり取り。うちにはお酒は置いてません」
「しけた店だなぁ」
「ほっといてください。それで、いつものアイスコーヒーでいいですか」
「分かってんじゃねえか」
そう言ってエルドさんは、何が面白いのかゲラゲラと笑う。
僕は肩を竦めて、コーヒーを淹れる準備をする。
氷をたっぷりと敷きつめたグラスに、いつもより随分と濃いめに入れたコーヒーを注ぐ。
ぱちぱちと、弾けるような音がして、氷が形を失っていく。
溶けたぶんの氷を追加で入れてさらに冷やし、エルドさんの前に置いた。
「お待たせしました」
僕がそう言うが早いか、エルドさんはグラスを鷲掴みにすると、ゴクゴクと喉を鳴らして、中身の八割ほどを一気に飲み干した。
「あー、苦い!けど美味いな」
乱暴に残りの減ったグラスを机に置きながら、口端に零れたコーヒーを拭い、彼が爽快感に溢れた顔で言う。
「今日もお疲れみたいですね」
「おうよ、森の中駆けずり回って、依頼品採って、狩って。まあ、いつも通りだけどな」
探索者の仕事は、世界樹の森からしか採れないものを、街に流通させることだ。
今はあれが足りないから、採ってきてくれないか、という依頼を受注し、森へ向かう。それがエルドさんの一日なんだそうだ。
依頼といっても、採ってくるものの種類や数は多岐にわたるから飽きなくていいとも言っていたが。
「特に今日は、魔石の依頼が多くてな。おかげで一日魔獣と格闘してたよ」
この店の火元や冷蔵庫を保つエネルギーは、魔石という不思議物質だ。それは、世界にとって今や欠かせないものだが、世界樹の森の中でしか採れない。
すなわち、需要が大きいので、依頼も多いのだが、これがわりかし危険なのだ。魔獣という、獣の死骸からしか採れない物質らしく、そこには命の危険が伴う。
今でも、彼の腰に据えられた剣に、現代日本で育った僕は非現実味を感じるけれど、それがこの世界の常識で、その剣が僕の店の便利を支えてくれているわけで。
「今日も帰って来れて良かったですね」
「全くだ。まあ、よっぽどの事がなきゃ、命を落とすことも、大怪我することもねえよ」
「それでも、一日に数人は血まみれで帰ってくるって聞きますよ」
「ああ、そりゃ、世界樹を怒らせたんだ。そいつが悪いんだろうよ」
「世界樹を怒らせる?」
エルドさんいわく、魔獣は世界樹が生み出している番人みたいなものらしく、様々な動物の形をしている。
群れることはなく、よっぽどの事がなければ複数人で狩れば、安全なのだが、それには例外があるのだそうだ。
「世界樹に不利益になることをした時は、森の奥からどんどん魔獣が向かってくるらしい。最初は眉唾かと思われてたらしいが、事実だからなあ」
世界樹に不利益を与える行為、例えば不必要に森の木を切り倒したり、森に広がる世界樹の根に危害を加えたり、そうすると普段は群れない魔獣が、一気に統率されて襲ってくるのだそうだ。
「世界樹の根に小便ひっかけたら襲われたなんて話もあるから怖いぜ」
エルドさんは笑ってるけど、笑っていいものか悩むラインの話だなこれ。
「世界樹にたどり着けさえすれば、探索者なんてさっさと辞めるんだがなあ、夢ばっかり見てられねえし」
「世界樹に辿り着く?」
不思議な言葉に、僕が疑問符を浮かべると、エルドさんは強面を呆けたようにしていた。
「ボウズ、知らねえのか?」
「何がですか?」
僕は知っている。僕が何かを尋ねてこういう顔をされた時は、必ず僕が常識知らずを露呈してしまった時だと。
またやってしまったと手で顔を覆うが、やってしまったことは仕方ないと、話を聞くことにする。
世界樹に辿り着くというのは、どうやら言葉通りだったようで、誰も森を抜けて、中央部の世界樹の根元まで辿り着けないらしいのだ。
不思議なもので、世界樹の森を最短距離で中央部に向かっても、気づけば逆方向に歩いていて迷ったり、根元が近くなったと思えば、大量の魔獣に牽制されて進めなかったりと、どうも辿り着けないらしい。
ただ、極たまに辿り着く人がいるそうだ。その人はほとんど漏れなく、こう言うそうだ「森に入って気づいたら世界樹の真下にいた」と。
そして、たどり着いた世界樹の下には、未知の食材や、鉱石が自生していて、それを持ち帰った人は大金持ちになったり、なにやら成功したりで、日本での「宝くじ当たらないかな」のように、世界樹にたどり着けたらななんて言うそうだ。
「二十年くらい前か?最後に世界樹に辿り着いたのは。新人の探索者パーティの一人が、気づいたら世界樹の下にいて、俺の顔ほどもある魔石を持って帰ってきて大金持ちになったって話だ」
「すごい話ですね、夢がある」
エルドさん「違いねえ」と笑うけれど、僕は不思議な気持ちだった。話を聞く限り、世界樹とやらは意思を持っているような気がする。世界樹は何をしたいんだろう、なんて考えるけれど、当然のごとくさっぱりだ。
その後もエルドさんは世界樹についての話をしてくれた。僕も男の子なので、そういう不思議な話とか、冒険みたいな話は大好きなので、自然と相槌を打ってしまう。
「八十年前くらいか?どこぞの貴族様が、世界樹に無理やり辿り着こうと、兵団を何百人も送り込んだらしいんだが、これがまた奇妙でな」
「その三倍の数の魔獣に襲われたとか?」
「それならまだいいんだがよ、全員消えたらしい」
「消えた?」
「そうだ。偶然、普通の依頼で森に入った冒険者いわく、森に霧がかかったらしい。それが晴れたって報告と、兵団が消えたって報告は、ほぼ同時だったって話だ」
「怖い話じゃないですか」
だからこの街では子供がわがままを言うと「霧がかかるよ」というと大人しくなるんだそうだ。連れ去られるよってことなのだろうか。この話を聞いたあとだと、さぞ怖いだろうなあ...
「興味があるなら、今度森の浅いとこなら案内してやるよ。依頼料は貰うけどな」
「今の話聞いた後に行きたくないですよ...それに僕じゃ魔獣に襲われでもしたら一瞬でお陀仏です」
「ははは、違いねえ」
彼は、二杯目のアイスコーヒーを飲みながら、変わらず豪快に笑う。酔っぱらいがビールグラスを掲げてるみたいだ。意図してやってるのかもしれないけど。
エルドさんはお酒が飲めないのだ。探索者がそれじゃ舐められるなんて言っている時に、僕が「コーヒーは大人の飲み物なんですよ」なんて唆したのが、彼との出会いだった。
それから彼は、仕事で疲れた時にお酒代わりにここにコーヒーを求めてきてくれるようになった。
彼は幸い気に入ってくれたようだが、酒の代わりに俺はこれが飲めるんだ!と自慢のために僕の店に呼んだエルドさんの仲間は、三人揃って吐き出す羽目になっていた。僕も涙目だ。
探索者って大変なお仕事だなあなんて思う今日。珍しく、オチもないが、彼は明日も僕たちの便利のために森を練り歩くのだろう。
そのための活力を蓄える手伝いを僕がして、そうしてきっと世界は回っている。多分、それは元の世界でも同じだった。
そんなことを学べたことは、異世界で店を出した僕の自慢だ。
エルドさんが帰って、静かになった店内で、今日も静かに僕はグラスを磨く。せっせと、せっせと。
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「しっかし、俺はなんでボウズに森に入るか?なんて言ったんだ?危ないから最も俺が嫌うタイプの依頼なのによ」
なぜだか、あのボウズと話してる時、そんなこと忘れてしまっていた。俺の口癖は「命の責任は取れない」なくらいなのによ。
さっきボウズに言ったこともそうだが、不思議なこともあるもんだな。世の中には。
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