第10話 世界は違えど、変わらないものは変わらない

 今日もせっせと僕は、グラスを磨く。正直面倒くさい時もあるが、それを顔に出さずに淡々と磨くのが喫茶店のマスターなのだ。多分。

 そんな、毎日の日課に、今日はノイズが混じっている。男にしては高い声で、何やら熱く語っているようだけど、明鏡止水な今の僕にには、些細なことだ。さて、次のグラスを、と思ったらもう洗うグラスがないではないか。

 一つ小さく舌打ちすると、正面に向き直り、接客の時よりもワントーン低い、素の声で、仕方なく聞き返す。


「それで?なんだって?」


「お前、ここ数分の俺の熱い話を聞き流してたの?」


「聞き流してないよ、そもそも耳に届いてないんだから」


「どれだけ無関心貫いてんだ!」


 僕がそう言うと、熱弁をふるっていた男は、机をどんと叩く。うるさいなあ、もう。


「他のお客様の迷惑になるので、もう少しお静かにしていただけると…」


「今、客なんて俺しかいないじゃん」


「貴様は言ってはならないことを言った」


 僕がもう一段低いどすの利いた声を出すと、店は一気に静かになった。いけない、いけない、つい。

 喫茶店のマスターたるもの常に冷静でいなければ。


「それで、今日は何の用?クルト」


 目の前で僕の豹変に怯えている男の名前はクルト。ティアラと同じアルスター芸術学院似通う一年生だ。ティアラが通う音楽科ではなく、音楽技術科に所属しているんだそうだ。

 音楽技術科は、要するに楽器を作ったり楽器の整備をしたり、そんな職業に就くための科で、クルトは楽器制作者になりたいんだそうな。

 ちなみに、三つ子のララ、リリ、ルルも、もうすぐ音楽技術科の初等部に進むと聞いている。


「いや、あのですね。もう一回最初から言わないとダメなんですかね」


「うん、まあ、聞いてなかったから。あと、僕が悪かったから敬語やめようか」


 僕が咳払いを一つして、敬語をなくすように言うと、クルトは、先ほどまでの表情が嘘のように元に戻り、またうるさく語り始めた。

 死んだふりをしたセミかなんかかお前は。


「だからさ、どうやったらモテるのか教えてくれよ」


 現実逃避をするために磨くグラスも無くなったので、仕方なしに話を聞くことにしたけれど、最初に彼の口から出てきたのがこれだ。

 頭痛を感じて、思わずこめかみに手を当ててしまう。


「教えるも何も、モテ方なんか僕が教えて欲しいくらいだよ」


「出たよ、やっぱりだ。ナギ!お前は自分の恵まれた状況に気づいてないんだ!」


 クルトは、何やら僕の言葉に憤慨した様子で、カウンターをバンバン叩く。だからやめろそれ。


「お前は、あのアルスター芸術学院の四大美人の一人と毎日のように仕事をしているんだぞ!」


「何その呼称、初耳なんだけど」


 そんな、四天王みたいな呼称で呼ばれてるのティアラ。今日店に来たら不意にそう呼んでみようと決心する。どうしよう。ちょっとツボに入ったかもしれない。

 僕はひとしきり笑い終えると、何の話をしてたかを何とか思い出し、話を続ける。


「いや、でも、モテるって不特定多数に好意を持たれることでしょ?ティアラただの店員だし…」


「お前はまだわかっていない…」


 クルトは最大限の怨嗟をのせたといったような、震える声で、ゆっくりと立ち上がった。その彼の無駄な迫力に、一応、僕もゴクリと生唾を飲んで、冷や汗を垂らしておくことにする。


「ナギ、お前が仲よさそうなお客さん、美人が多すぎるんだよおおお」


 そう叫んだクルトは、ついに僕の肩を掴み、ガタガタと前後に揺すってくる。ちょ、視界がぐわんぐわんするからやめてくれ、ほんと。僕は三半規管が弱いんだ。


「俺が店で見ただけでも、ピンク髪の可愛い系に、金髪のビューティー系お姉さん。将来有望な猫耳の三姉妹まで…その上、ティアラさんと毎日一緒とか、お前どんな徳積んだんだああああああ」


 ああ、ドロシーさんに、フリーダさんに、ちょっと待てララ、リリ、ルルはおかしいだろ。手を出したら即、お縄だぞお前。

 強制ヘドバンで乱れた髪をせっせと整えながら、こいつほんとにどうしたもんかと考える。


「いや、そんなこと言っても、別に全員ただのお客さんだよ」


「それでも羨ましいんだよ。この感情が悪いのか?いいや、悪くないね!」


 しまいには、唾を吐きそうなほど荒んだ顔をするクルトにほんとに、こいつどうしたらいいんだと、本日二度目の頭痛に頭を悩ませる。

 ぼーっとクルトの顔を見ながら、対処というか、話の落としどころを考えていると、ふと、素朴な疑問が浮かんだ。


「最初に聞いとけば良かったんだけど、クルトってモテないの?」


「モテねえよ」


 即答だった。あまりの返答の早さに僕も絶句したし、彼も僕は今悲しみの極地にいますと言った顔で口を噤んでいる。ここまで気まずい沈黙が、未だかつてあったでしょうか。

 さっき顔を見ながら思ったのだけれど、クルトは別に見てくれや、何か他に悪いところがあるわけじゃないのだ。

 くすんだ短い金髪はきちんと整えられているし、目つきはちょっと悪く見えるけど、そこそこ顔立ちは整っている。確かにやかましいところはあるけれど、引っ張って欲しいような女性からしたら良物件なのでは、と思ったのだが、悲しいほどの即答をされるとは。


「え、えっと、クルトってそこまで悪いとは思わないんだけど、なんでそんなに?…?」


「それは…」


 僕が必死に気まずさを脱出しようとしたところで、ドアベルが鳴った。入ってきたのは、いつもより少し遅く店に来たティアラだ。


「ごめんなさい、遅くなったわ」


「いいよ、別に。けど、珍しいね、どうしたの?」


「掃除当番に、係の荷物運びが重なっちゃって、運が悪かったわ」


「あー、あの学院、すごく広いから、荷物運びだけでも大変そうだね」


 僕が同情しつつ、制服のエプロンを渡すと、彼女は「そうなのよ、いまだに学内で迷うんだから」と、エプロンを受け取り、店を見渡す。


「珍しいわね。この時間帯にお客さんあんまりいないの」


「そうだね、まあそんな日もあるよ。さすがに毎日こんなだと困るけど」


 彼女はエプロンを着け終えると「何か仕事は?」と聞いてきたので、食器を棚に戻してもらうついでに、彼女にも聞いてみる。


「ねえ、ティアラ、どうしたらモテると思う?」


「はあ?」


 彼女は、いきなり何を言い出すのだという風に、食器を戻す手を止めてこちらに訝しそうに視線を送ってくる。


「なんで急にそんな話になったの?」


「いや、ティアラが来るまで彼と、そんなような話をしててさ、女の子視点の意見が欲しいなって」


 そうやって、僕がクルトの方を指し示すと、ティアラはクルトの方へ振り返る。一応「彼はクルト。ティアラの同級生だよ」とだけ補足を入れると、ティアラは少し困ったようにクルトに「ええと」と前置きをして尋ねた。


「モテたいの?」


「えっと、その、あの…」


 ちょっと待て、誰だお前は。僕はすぐさま異常を感じ取り、クルトを見ると、さっきまで、僕を揺らしてた威勢はどこに行ったんだというほどに縮こまり、うつむきながら、顔を真っ赤にしているクルトの姿があった。

 僕が唖然としている間も、彼はモジモジとしながら、小声で何か言おうとしているのか、言葉にならない音を発し続けている。

 

 ティアラも焦りと、困惑がミックスされたような顔をして、成り行きを見守っていたが、クルトの様子を見かねたのか、カウンターから乗り出し、顔を近づけ「どうしたの?」と首を傾げた。


 クルトは、顔を近づけられた分、背をそらし、背もたれの存在を思い出した辺りで、何かの限界が来たのだろう。ゆでダコになったような顔を背けて、店の外へ走り出して行ってしまった。


 風のようなスピードで去って行った彼の背中を見て、ティアラは唖然としているし、僕もドアベルの残響を聴きながら「モテるとかそういう次元に無かったんだなクルト…」と納得と、なんとなくの哀愁を感じていた。


「まあ、だからといって、今の食い逃げだから、ちゃんとツケにするけど」


 モテたいという男として当然の願望を持つ、見た目と、僕への態度とは裏腹に、純情すぎる少年に容赦なく、野郎に奢る趣味はないのでごめんなと、僕はしっかり帳簿に書き込みを残したのだった。


 ちなみにその後「私何かしちゃったの?」と心配そうにしていたティアラに「アルスター芸術学院四大美人のティアラさんに顔近づけられて、照れちゃったんだよ」とからかいのニュアンスを含めて言ってみると、彼女は「なっ!?アンタそれどこで」と、さっきのクルトに負けず劣らず顔を赤くしていた。


「わ、忘れなさい!」


 その後、照れ隠しなのかバシバシと肩を叩いてくるティアラに僕は、微笑をこぼし続けるのだった。


 あっはっは、ちょ、そろそろ痛いって。ごめんってば!


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 このモテたいシリーズ、実はまだまだ続きます。

 


 

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