第9話 ホットココアの価値

 時刻は夕暮れ、昼時とおやつ時にちらほらやってきたお客さんの波も落ち着いて、ゆったりとした空気が店内には流れている。 

 店内には窓際に座って、本を読んでいる女の人と、僕が洗い終えたカップやグラスを棚に片付けているティアラしかいない。


「ナギ、髪の毛、鬱陶しくないの?」


「髪の毛?」


「そう、男の人にしては結構長い方でしょ?」


「あー、確かにちょっと鬱陶しくなってきた頃かも」


「いいわね、癖がないから、手がかからなさそう」


 それを言うなら、彼女の濃紺の髪はいつも濡れているように綺麗なので、他の女の子が聞くと怒ると思うのだが、彼女には彼女なりの気苦労があるのだろう。


「どうしたの?急に」


「いや、昨日までの雨で髪の毛がごわついて仕方なかったから、ふとナギの髪を見たら長くなったなって」


「確かにそろそろ切り時かも。飲食店やってる身で、不潔なイメージになるのはまずいし」


「そういえば、全く外に出れなかったのに、どうやって髪なんて切ってたの?」


「ああ、前は自分で切ったんだ。小さい頃からそうだから、もう慣れたよ」


 僕が伸びた前髪をいじりながらそう答えると、ティアラは少し目を丸くすると「器用なものね」とだけ言った。


「本当にナギって、身だしなみとかに頓着ないわよね」


「うーん、人を不快にさせなければいいな、とは」


 そんな日常の会話を断ち切るように、ドアベルが鳴った。入って来たのは、サングラスをかけ、ゆるくカールのかかった金髪をなびかせた、サングラス越しでも美しさが伝わってくる女の人。

 

「いらっしゃいませ、フリーダさん」


「久しぶりねえ、ナギちゃん。最近忙しくって」


「それは大変だったでしょう。ここでくらいゆっくり休んでいってください」


 横でティアラがグラスを床に落としそうな顔をして「ナギ、ちゃん?」とつぶやいている。


「ちょうど、フリーダさんが来るまで身だしなみの話をしていたんですよ」


 僕は注文されたホットココアを作りながら、そんなことをフリーダさんに話す。


「あら、ついにナギちゃんも身だしなみを気にする様になったのお?そしたら、うちのお店で選んであげるわよお?」


「いや、そういうわけじゃ…あと、無理ですよ。フリーダさんのお店すごく高いでしょ」


 すると、僕の横から、パリンという音が聞こえた。なんか最近よく聞く気がするなあ、この音。

 そちらを向いてみると、ティアラが唇を震わせながら何やら慌てていた。


「あの…ナギ。もしかして、もしかしてだけど、この方って、あのフリーダさん?」


「ティアラがどのフリーダさんを言ってるのかはわからないけど、多分そのフリーダさん」


「指示語まみれの会話ねえ」


 何がなんやらわからない僕に変わって、フリーダさんがツッコんでくれているが、そんなことは置いておいて、とりあえず、フリーダさんの目の前に、いつもより細心の注意を払って、ホットココアを置いた。


「ティアラは会うの初めてなのか。こちら、ファッションデザイナー?のフリーダさん」


 そう、フリーダさんはファッションデザイナーなのだった。貴族区に自分のお店があるそうで、年がら年中、新しい商品づくりでてんやわんやなのだそうだ。

フリーダさんは、華麗にサングラスを外すと「よろしくねえ」といつも通り間延びした声で僕の紹介に応える。


「し、知ってるわよ!というか、私ぐらいの年頃の女の子で知らない子なんていないわよ!」


「確かに、ナギちゃんがおかしいのよねえ」


 僕がふわっとした紹介をすると、ティアラはいつもの優等生然とした姿はどうしたのかというくらい僕に詰め寄ってくる。

 フリーダさんはフリーダさんで何が面白いのか、可笑しそうに笑っている。


「そんなこと言われても、僕服のことなんてよく知らないし」


「服だけじゃないでしょ、ナギは!」


 取り乱していてもツッコミのキレは健在である。一旦ティアラを落ち着かせ、興奮が収まった頃に、僕は尋ねてみる。


「フリーダさんて、なんかそんなに凄い人だったんですか」


「なんだか自分で答えづらいことを聞いてくるわねえ。ナギちゃん」


 確かに「君凄いの?」って聞かれたら、たとえ凄くても言えないか。仕方がないので、二人揃ってティアラに視線を向けると、彼女は「私?」という様に自分の顔を指差し、咳払いをすると、つらつらとフリーダさんについて語り始めた。


「フリーダさんのお店の服は、貴族の子も平民の子も分け隔てなく、女の子にとって憧れなの。小物一つとっても、凄い高いから、足踏みしちゃうけど、いずれ一つは欲しいと思うのが、世の女の子のほとんどだと思うわ。それにフリーダさんの凄いところは、自分で作った服を自分で着て、モデルもしてるの。それが誰よりも着こなしてるから、フリーダさん自身も女の子のカリスマみたいなものね」


 ティアラはそこまで一息で話し終えると、なんだか満足げだ。とりあえず僕は拍手をしておくことにした。


「なんか、目の前で語られるの恥ずかしいわねえ…」


 フリーダさんは照れ臭そうに、控えめな拍手を送っている。


「というか、フリーダさんモデルもやってたんですか。僕ファッションデザイナーってことしか聞いてないんですけど」


「まあ、本業はそっちだし、最近名乗らなくてもみんな知ってるから、油断してたのよねえ。ナギちゃんがおかしいのよ」


「結局そこに落ち着くんですね…」


 最近は名乗るのが名刺がわりのようなものなんだそうだ。ティアラも頷いているし、どうやら僕の味方はいなさそうだ。


「ということは、今着てる服も自分で作ったやつなんですか?」


「一応そうねえ、次の季節の新作の一つなの」


 彼女はおもむろに席から立ち上がると、ひらりと一回転して見せた。ワンピースドレスのようなものの裾がふんわりと揺れる。腰に巻いたベルトで絞られた細いウエストが、なんとなく女性らしさを感じて、僕みたいな若輩はドキドキしてしまう。ティアラなんか、さっきから目を輝かせっぱなしだ。


「というか、基本的に私が着てる服は私が作った服よお。最初にこのお店に来た時から。ナギちゃんがやらかした服ねえ」


「えっ、あの服そんな高いのだったんですか…」


 出会って間もなくやらかした記憶に、今になって驚きの事実が追加されて、今更ながら悪い気分になる。


「というか、ナギとフリーダさんって一体どうやって知り合ったの?」


「ああ、フリーダさんと出会ったのって、まだティアラが働いてくれる前なんだ」


「あの頃は本当にお客さんいなかったわよねえ」


 フリーダさんと出会ったのは、異世界に来て、喫茶店を開いて十日程のことだったと思う。本当に、僕のお店に来た、最初期の人だ。

 僕は慣れない接客スマイルを浮かべていて、彼女は愛想笑いができないくらいに疲れ切っていた。


「懐かしいわあ、私は仕事の忙殺期でくたびれにくたびれてたのよねえ」


「僕は僕で、接客慣れしてなくて、精一杯だったんですよ」


「本当にねえ、店内は私以外誰もいないし、ただ無音で気まずかったわあ」


「僕も接客がうまくいってるのか不安で不安で。いい訳ですけど、それであんなことに…」


 過去の失敗を遠い目で思い出す。喫茶店を開いて初めてしてしまった大きなミスだった。


「びっくりしたわあ。綺麗にホットココアひっくり返すんだもの。服は汚れるわ、熱いわで」


「その節は本当に失礼しました」


 フリーダさんは懐かしむように、テーブルに置かれたホットココアのカップを手のひらで包む。

 ティアラは「フリーダさんの服にホットココアを!?」ってあわあわしている。


「でも、汚れた服を見て、ナギちゃんに言われた言葉があって、馬鹿らしくなっちゃって、泣きながら笑ってたわねえ、あの時」


「僕はただ半泣きでしたよあの時。というか僕何か言いましたっけ?」


「本当に些細なことよお。覚えてないならいいの。懐かしいわねえ、サービスしてもらった食事本当に美味しかったから、ここに通うようになっちゃった」


「あんなミスをしたのに、本当にありがたいことですよ。今日も何か食べますか?」


「じゃあお願いするわあ。今日は、このキノコのパスタにするわあ」


「承りました。少し奥からきのこ持ってくるので待っててください」


*****************************************


 憧れのフリーダさんと期せずとして、二人になってしまった私は、緊張で何も喋れなかった。

 本当にたまにナギの世間知らずさというか、能天気さが羨ましくなる。フリーダさんと平然と話すなんて私には無理だ。


「ティアラちゃん…でいいのかしらあ?」


「あ、は、はい。ティアラです。ただのティアラ」


「ふふ、そんな緊張しなくていいのよ。ここではただのお客だから」


「そうは言われても…」


「そうよねえ、それが普通の反応よねえ」


 そういうと彼女は、ホットココアを口に含むと、何か愛しいものを思い出すように笑った。


「さっきの、ホットココアをこぼした時、ティアラちゃん言ったわよねえ。私の服に、ホットココアを零すなんてって。きっと勿体無いとか、恐れ多いとかそういう意味で言ったのよねえ」


「え、は、はい」


「でもねえ、ナギちゃんはあの時こう言ったの『せっかくの綺麗な服が』って」


 フリーダさんは大事そうに大事そうに、言葉を紡いでいる。


「ちょうどその頃、辟易としてたの。私がデザインしたものだからって前提で話す人しかいなくなっちゃったから」


 確かに、私たちもフリーダさんが作ったものだからという前提の上から服や商品に憧れていたところはあるかもしれない。


「だから、私の作った服が勿体無いとかじゃなくて、ただ私が着た綺麗な洋服として扱ってもらえたことが、とっても嬉しかったの」


 「真相は私のことを本当に知らなかっただけだったんだけどねえ」とフリーダさんが笑う。


「あ、勘違いしないでねえ。ティアラちゃんみたいな人が悪いって言ってるんじゃないの。むしろその肩書きみたいなものがあって、私は成り立ってるんだし。でも、たまにそ疲れる時もあって、その時にナギちゃんの一言が心に染みて、店内で泣いちゃったのよねえ」


 確かにナギはそういう人だなあと思う、大抵は無知からくるものだったりするけど、どんな人にも平等に優しくて、時にちょっと心配になるくらいお人好しだ。


「それにねえ、何回かここに通ううちに、気づいたわあ。この店、外ではいい意味でも悪い意味でも、一歩遠慮されるような人がたまにいるけど、ナギちゃんは、外のことなんて知ったことじゃないっていうみたいに、接してくれるの」


「ナギ、よく言ってます。『ここでは、外のことを忘れてもらいたい。ここではただのお客さんだから』って」


「ナギちゃんらしいわあ。ちょっと怖かったのよねえ。外の私が、こんなだって知られるの。でも、私がモデルやってるって知った時も、私が肩透かし食らうくらい淡白な反応で。怖がってたの馬鹿みたいだわあ」


 フリーダさんの言う通り、ナギはフリーダさんがいくらすごい人だと知ろうと、態度をこの店の中では、一切変えないだろう。もしかしたらそれって凄いことなのかもしれない。


「だから私は、しんどくなるとここに来るの。そしたら明日からも、フリーダって名前を背負って頑張れるわあ」


 まさか、ナギがフリーダさんの支えになっているなんて、本当に驚きだ。ナギは出会った時から、いいことから悪いことまで、驚きに事欠かない。


「ふふっ」

 

 出会ってからのあれこれを思い出して、思わず笑ってしまった。それを見てフリーダさんもクスクスと笑った。

 最初会った緊張が今は嘘みたいになかった。これもナギのどこか気の抜けた話を聞いたからなのだろうか。


「あれ、仲良くなったの?」


 そんな時、ナギが帰ってきた、何も知らない、いつも通りの顔に、思わずもう一度二人して笑ってしまった。

 それにナギは不思議そうな顔をしていたが、諦めたような顔をして、キノコのパスタを作り始めた。


 その後、パスタを食べ終えたフリーダさんはナギに「何回も言ってるけど、私と結婚して、毎日料理作ってくれないかしらあ?」なんて言っていて驚いた。

 誰もが憧れる人からの告白に軽く「はいはい、もうからかわれるのに慣れました」なんて、返すナギもナギだけれど。


 そしてフリーダさんは帰り際に、私に一言「きっといいところで働いてると思うわあ」と言い残して帰っていった。

 

 その数週間後、私はフリーダさんの新作の中に、ココア色を散らしたデザインがあるのを見つけて、微笑んだ。

 なんとなく、上澄みじゃなく、その服の本当の価値を、私は理解できた気がした。


*****************************************


 次の話はもう少し馬鹿みたいな話が書きたいですね。今日の分が予想の倍長くなったので、多分明日はお休みします。

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