世界が認めたならば

「負けちゃったのね」

「はい、恥ずかしながら」

 ドクガは目を開けた。混濁する意識の中、焦点の合わない瞳が光に釣られて動く。確かにその人物は光だった。洗練された魂の輝き、清廉な少女を模った〈神〉としてのカタチ。

「なぜここに? 集落へ向かわれたはずでは……」

「そうね……、あなたが負けたからと言えばいいかしら?」

「こうなることが分かっていたのですか?」

「ヤハタさんの魔法が真価を発揮したなら、あなたでも勝てないだろうとは思っていたわ」

 ドクガは静かに息を吐き、一転して大笑した。心底愉快そうに、ボナパトを前にして。

「全ては芝居、貶められた神などいなかったのですね」

「……怒る?」

「怒れませんよ。策略だったとしても、私はあの男に勝てませんでした」

「嬉しそうね」

「えぇ、私は喜んでいるのでしょう。ようやく胸の痞えが取れたのだから」

 退屈は晴らされた。

「私に言われても嬉しくはないでしょうけど、あなたは最高の騎士よ。けれど、あなたがこれまで対峙した誰もかれもを俯瞰してきたように、ヤハタさんがあなたを俯瞰しただけのこと。上には上がある。これまではあなたが最上だったけれど、不変のものはないわ」

 そう言って慰めてくれる人こそがヤハタを軽々と超越する存在であることに、ドクガは滑稽な気持ちになった。初めから疑うべきだったのだ。全知全能の神であるはずのボナパトが、たかが人間如きに逆らえないなどと、そんなことはあり得ないのだから。

「私も所詮はヒトの子であるということか」

 ドクガはそれでも嬉しそうに呟き、北の空を焦がれるような眼差しで見つめた。

「あの男は聖別の泉へ向かいました」

「あなたのことだから手は打っているのでしょう?」

「エウロパが控えています。どれほどの軍勢を動かしたのかは私にも分かりません。けれど、突破されるでしょう」

「随分とヤハタさんを買っているのね」

 それは決して傲りではなく「私は一騎当千の体現であると自負しておりました。あの男は私を越えた。時間の凍結、ともすれば神にも匹敵する魔法を前に人間である我々が何をできましょうか」

「それではエウロパの心配はしないの? ヤハタさんは、そうね、叛逆者なのでしょう?」

 ボナパトの試すような問いかけに、ドクガは首を振る。

「それこそ無用の長物です。あの男の目的は娘を生き返らせること。我々を傷付けるつもりなど初めからなかったのですから」自分は火の粉だった。燃やしてやろうと降りかかったから払われた、つまりはその程度の話なのだ。ドクガは痺れの残る指先で胸をなぞった。時を止められ、未来を強奪され、ここで終わるのだと覚悟した。そしてまた、確かに心臓を撃たれたはずだった。けれど胸に傷はなく、破れた衣服の隙間から見える素肌に〈呪い〉が刻まれているだけだった。自分はあの男を殺したというのに、その機会が訪れたにもかかわらず殺されることはなかった。その事実は、ドクガにとって度し難いものでしかなかった。

 なぜ自分は生きているのだろう。なぜ自分の魂は残留しているのだろう。ボナパトが現れるまでの間、彼は考え続け、デューイ・マルカルから聞いたヤハタの目的を思い出した。そしてまた、戦いのさなかに於いても、ヤハタから憎悪を向けられなかったことに気付く。

(衰えたな。眼前の人間の心中さえ推し量ることができないとは)

 弛緩した体を無理に動かし、ドクガは上体を起こす。小刻みに息を吐きつつ、額にじわりと浮き出た脂汗を拭った。

「効きますね、ボナパト様の呪いは」

「ふふ、少しだけ強めに練ったからね」

「……無礼を承知で申し上げます。この足萎えを支えてはくださいませんか」

「ヤハタさんを守るつもり? それとも正義に殉じるの?」

 ドクガはすぐには答えず、北の空を睨みながら言った。

「世界があの男を認めたならば、そうするつもりです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る