006 その娘はおもてなしをする

 転移の紋章の効果は正常に作用した。

 ソフィア、アニエス、そしてモニカの三人は一瞬で王都からラノワ・フォンティーヌ家の敷地内にやって来た。


「とうちゃーく! ここは……中庭のどの辺りかな?」


「南国エリア辺りではないでしょうか」


 ラノワ・フォンティーヌ家の庭は広大だ。

 魔法よって環境に変化を加え、様々な植物を栽培することにより、季節も地域も関係なくあらゆる自然を楽しむことができる。

 南国エリアはその一つで、暖かい地域の植物が生き生きと生えている。


 しかし、事情を知らぬ者にとってはいきなり大自然の中に放り出されたようにしか思えない光景だ。


「ソフィアちゃんってこういうところに住んでるんだ……。てっきり広大な草原を見下ろす小高い丘の上に建つお城みたいなところに住んでると思ってた……」


 なかなかたくましい想像力を発揮するモニカだが、聖女の屋敷は彼女の想像も及ばないほどのものであると後々知ることになる。


「とりあえず森を抜けましょう。ここは蒸し暑いので、汗をかいてしまいます」


 アニエスの先導で森を進む。

 道は整備されていて、ところどころに植物の生態を紹介する看板すら立っている。

 まるで植物園だ。


「ソフィアちゃん、動物も放し飼いにされているの?」


「そうだよ。でもペットと言うより、数が減って絶滅の危機に瀕してる動物の保護に近いかな? あとは飼い主に捨てられた子とかもいるよ」


「まあ……。聖女様は立派なお仕事をされているのね……」


「確かにこれは仕事の一環かな。植物園の方は趣味で始めたらしいけど。モニカちゃんも動物や植物には優しくしてあげてね!」


「もちろんそのつもりだけど、実は私動物に慣れてなくて、いきなり出てこられるとびっくりして叫んじゃうかも……」


 噂をすれば、近くの茂みがガサガサと揺れ何かが飛び出してきた。

 モニカが叫び声を上げる前に、その『何か』が叫び声を上げる。


「ソフィアおかえりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


「ジャンヌ母様!」


 ソフィアを押し倒す勢いで抱きついて来たのは、聖女であり母のジャンヌであった。

 たった数日とはいえ行き場を失い溜め込まれていた母性をキスに変えて全身に降らせていく。


「もー、母様ったらいっつもこうなんだから!」


「いつもとは一味違うわよ! 一回のキスのたびに十倍は愛情を込めてるもの!」


 ひとしきりキスを終えたあと、ジャンヌはその大きな胸にソフィアを抱きながらアニエスに礼を言う。


「ありがとうアニエス。この子を無事に帰してくれて」


「もったいないお言葉です。ソフィアお嬢様はほぼほぼ一人のお力で試験を乗り越えました。わたくしは待っていただけに過ぎません」


「それは違うわアニエス。あなたが待っていてくれるから、ソフィアも安心して力を発揮することができたのよ。また特別なご褒美をあげる! 今はこれで許してね」


 ジャンヌはアニエスの頬にもキスをする。

 ソフィアへのハイテンションなキスとは違い、回数こそ少ないが一回一回じっくりとした口付けになっている。


「ふふふ……久しぶりじゃない? アニエスにこんなキスをするのは」


「喜びで思わず身悶えしてしまいそうです。ジャンヌ様」


「いいのよ? 今すぐ悶えてくれてもっ」


「お客様の前で見せるものではありませんので」


 その時になって初めてジャンヌはモニカの存在に気がついた。

 モニカは目の前で行われる激しい愛情表現に身悶えしている。

 彼女も家族に愛されているので、時には頬にキスくらいされる。

 しかし、これほどまでに激しいものは見たことも体験したこともない。


 羨ましさと驚きが同時に押し寄せて、モニカの心は大変な状態なのだ。


「あ、あわわわわ、は、初めましてジャンヌしゃま! お会いできて……光栄です! 私! モニカ! グラマニエ! と! 申します!」


 頭を下げて手を差し出すモニカ。

 いきなりキスは心がもたない。

 握手から始めようと先手を打った形だ。


「あ、ああ……これはご丁寧にモニカさん。そのぉ……あなたはソフィアとはどういうご関係で……」


「お、お友達にしていただきました!」


「お友達……ねぇ」


「あの、私、実はジャンヌ様の大のファ……」


「あーっ! ごめんなさい! 急用を思い出したからすぐに行かないとーっ! 本当にごめんねー!」


 ジャンヌはそそくさとその場から去っていった。

 その言い訳の嘘っぽさにはもちろんモニカも気づいている。


「や、やっぱり私みたいな人間はジャンヌ様に嫌われてるんだ……。うぅ……ぐすっ……」


「わーっ! 泣かないでモニカちゃん! ジャンヌ母様は私のためなら火をかけたフライパンを放置して駆けつけるような人だから、本当に急用の可能性も……」


「あると思うの……?」


「うーん、まあ……ないかな。初対面のお客様で、それも美少女のおもてなしをするためならキッチンが燃えても気にしない人だし……」


「やっぱり、私が嫌いなんだ……。顔も見たくないんだあああああああああ!!」


 モニカは泣いて帰りたがったが、ソフィアはどうも母の対応が悪意からくるものだとは思えなかった。

 だからこそ、このまま誤解を解かずにモニカを帰したくなかった。


「モニカちゃんごめんね。でも、母様は悪い人じゃないの。何か特別な理由があって逃げたんだと思うわ。その理由はきっとモニカちゃんのせいじゃない」


「うん……私もジャンヌ様を尊敬してるから、悪い人だとは思ってないよ……。ただ、あまりにも下手な演技で逃げちゃったからビックリして……」


「うん、私もビックリした。下手な演技はいつものことだけど、こんな美少女から逃げ出すなんて……」


 疑問を抱えたまま庭から屋敷の中へと移動する。

 玄関にはメイドがずらりと並び、外の世界で一つ試練を乗り越えたソフィアの帰りを心から喜んでいた。

 そのメイドの道の先に、もう一人の母イザベラは待ち構えていた。


「おかえりソフィア! よく頑張ったね!」


「イザベル母様こそ変わらずお元気でよかった! 出発前はああだったから、ご飯も喉を通らないんじゃないかって心配だったんですよ!」


「うん、初日はダメだったね。ずっと寝込んでたよ。でも、帰ってきたソフィアを悲しませまいと、二日目からはたくさん食べたんだ!」


 ここでイザベルの視線がモニカを捉える。

 顔を見て「わぁ……」と声をあげ、少し下に視線をずらして今度は目を見開いた。


「これはこれは大きい……失礼、美しい……。こんな素晴らしいレディに気づかずに話を進めてしまったことを恥じなければ……」


 イザベルは興奮気味にモニカの手を握る。

 ジャンヌとは打って変わって超好感触だ。


「初めましてイザベル様。私はモニカ・グラマニエと申します。ソフィアちゃんとは学院の試験で出会って、お友達になったんです」


「ソフィアのお友達!? 嬉しいなぁ! こんなにすぐ友達ができるなんて! ソフィアは他の子と比べて特殊な環境で育ったから、うまく馴染めず友達も出来ないんじゃないかと不安だったんだ。モニカくんがいてくれて、母として本当に嬉しいよ……」


 イザベルはモニカをギュッと抱きしめる。

 残念ながらイザベルの胸は慎ましいが、引き締まった筋肉質の体に抱かれるのも、また違った幸福感がある。


「イザベル母様は普通にモニカちゃんのことを気に入ってくれたのに、ジャンヌ母様はどうしたのかなぁ」


「ん? ジャンヌにもう会ったのかい? まあ、この屋敷に魔法を張り巡らせてるジャンヌなら転移にもすぐに気づけると思うけど」


「ええ、すぐに位置を察知して会いに来てくださいましたわ。でも、モニカちゃんを見るなり逃げ出してしまって……」


「あはは、案外モニカくんの美しさに恐れをなしたなんてオチかもしれないよ?」


「そ、そんなことありますか? 確かにモニカちゃんは綺麗ですけど、ジャンヌ母様だって自分の美貌には相当な自信があるはずなのに……」


 ソフィアはもちろん、ジャンヌの大ファンであるモニカもこの推理には納得がいかない。

 しかし、イザベルは何かを察したように笑みを浮かべている。


「とりあえずモニカくんが嫌いで逃げ出したわけじゃないとは断言しておくよ。これはジャンヌのパートナーとしての言葉だ。信用してくれると嬉しいな」


「ええ、それはもちろんです! でも、もしよろしければジャンヌ様と直接お話もしたいなぁ……なんて、大それたことも思ってたりして……」


「うん、必ず直接話をする機会を作るよ。というか、夕食をみんなで食べようじゃないか! それまでソフィアに屋敷を案内してもらうといい。ぐるっと回るだけでもまず飽きることはないよ」


「一緒にお食事……! あ、ありがとうございます!」


 モニカは何度も頭を下げた。

 その後、ソフィアに手を引っ張られて屋敷の奥へと消えていった。


 この屋敷は迷宮だ。

 すべてを見て回るとなれば、晩御飯までの暇つぶしどころか一週間は楽しめるだろう。

 庭も含めれば一ヶ月楽しむことも不可能ではない。


 とにかく、娘とその友人のお出迎えは終わった。

 花道を形成していたメイドたちも仕事に戻り、玄関ホールにはイザベルだけが残っていた。


「そろそろ出てきてもいいんじゃない? ジャンヌ」


「あら、気づいてたのね」


「私はジャンヌのパートナーだ。近くにいれば感じるよ」


「うふっ、嬉しいわ……」


 ノロケ話にいつものキレがない。

 ジャンヌが何かを気にしているのは明らかだった。


「それにしてもビックリしたね。ソフィアったらいきなりお友達を連れてくるんだから。それもとても美しい子だ」


「そうなのよ! 私もビックリして思わず逃げたしちゃった! 悪いことしたなぁ、モニカちゃんには」


「ジャンヌが逃げ出した理由は、彼女が美しいから……だけじゃないよね」


「ギク……ッ!」


「モニカちゃんは似ている。生き写しとか瓜二つではないけど、雰囲気がとても若い頃のジャンヌに似ている。だから、驚いてしまった……でしょ?」


「流石イザベル、お見通しね……。その通りなの! 自分でも似てるって思っちゃったの! いやぁ、まさか信じて送り出した娘がいきなり恋人を連れて帰ってくるなんて……」


「ちょ、ちょっとまって! 恋人ってモニカくんのこと?」


「そうよ! 娘っていうのは親に似た人を好きになるって言うわ! つまり、ソフィアは私に似てるモニカちゃんを好きになったってことよ!」


「ひ、飛躍しすぎだよ。確かにジャンヌに似た雰囲気があるから親しみをもった可能性はあるけど、まだソフィアは恋愛というものを意識してないよ。そういうところはまだ子どもなんだ」


「本当にそうかしら? 私には未来が見えてしまったわ……。ソフィアと結婚して、お嫁さんとしてこのお屋敷に住んでいるモニカちゃんの姿が……」


「それは都合のいい妄想だよ」


 いくら魔法開発に優れた開魔の聖女ジャンヌといえど未来を見通す力はない。

 しかし、ジャンヌはこの妄想が真実かどうか確かめたくて仕方がなかった。


「ソフィアはまだ十四歳! 結婚には早すぎるわ! 二人が欲望のままに過ちを犯さないように、しっかり見張らないと! 行きましょうイザベル!」


「行くってどこに?」


「二人を尾行するのよ!」


 ジャンヌは駆け足で娘と友人の後を追った。

 イザベルは「やれやれ」首を振りながらも、娘が初めて出来た友人とどんな話をするのか興味がないわけではなかった。


「盗み聞ぎは趣味が悪いけど、やっぱり私も気になる! こんな母さんたちを許してくれソフィア……!」


 イザベルもまた二人を追って勢いよく駆け出した。

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