11話 時間遡行

 結局あの呼びかけは、なくなることに決まった。その後、あの一件はたちまち広がり、男のうち片方は自主退学したそうだ。そしてもう片方も最近は、登校してないらしい。村上さん達も停学処分を受けた。


 これで、俺の作戦は成功。粧さんが、あいつらにまたいじめられるようなことはなさそうだ。これにて一件落着と思われる。


 まぁだからといって俺に何かあるというわけではないのだが。


 結局結果だけを見れば色々嫌な思いをして、色々時間を割かれてマイナスなような気もする。プラスは、幼馴染をいじめから助けられたことだろうか。


 それも今の俺の生活に直接影響を与えるものではない。もうとっくに縁は切れたから、前少し話したとおり、また一からクラスメイトとして関わるのだろう。


 過去は過去、今は今。過去に縛られてばっかじゃ前に進めない。


 情にほだされて助けたわけだが、ああいうのはもう最後にする。俺は、彼女の保護者でもなければ彼氏でも騎士でも何でもない。


 ストーカーだとか言われたらそれこそ業腹だし。適度な距離が大事だ。


 風がひゅうと吹き桜が舞う。


 休日にちょうど昼食をコンビニで買うついでに桜並木を見に来たのだ。昔通った小学校の近くにある、彼女ともよく一緒に下校した道だ。


 ボロボロだったフェンスは改修され、アスファルトも敷き直されていた。ちょっと寂しい。でも見える景色は相変わらず綺麗な桜と、田舎っぽいほのぼのとした景色。


 日曜日だからか小学校の校庭には誰もいない。辺りは昼間だというのにひと気がなくしんとしている。


 ふと人影を感じて前を見る。すると十メートル先くらいに粧さんがいた。


 こっちに向かって歩いてきている。


 まぁすれ違うだけだ。何かあったとしてもちょっとした会釈ぐらい。別に粧さんだからと特別なことはない。ただ偶然クラスメイト二人がすれ違った、それだけ。


 でも、妙に居心地の悪さを感じた。


 一歩の大きさとか、速度とか、呼吸のペースだとか無意識にやっていたものが一旦瓦解した。どうも平常心が崩される。


 俺は不自然に思われないように再び再設定して、それを察されないように自然体を意識する。ぎこちなさを最大限に隠して、視線をほのぼのとした景色に移す。


 一歩進むごとに距離は近づく。


 五メートル、三メートル、一メートル。一定の歩幅を崩さず、目を合わせないように、変に思われないように。


 そして──俺達はすれ違った。目を合わせることもなく、存在だけを左手側に感じながら、結局会釈すらすることなく。


 随分とあっけなかった。彼女も多分俺のことなんて眼中になかっただろうし、何だったら気づいてすらいなかったかもしれない。まぁそれが一番なのだ。


 一歩、二歩と歩みを進めて少しずつ離れていく。これでいいんだ。ただ昔ちょっと仲が良かっただけの幼馴染。本当にそれだけ。


 自分に言い聞かせる。だってただのクラスメイトだ。前、村上さん達のいじめを注意したときだってあんな他人事のように振る舞ったんだし。相手だってそれに何かを言うってこともなかった。


 今更だよ、全部。


 今回助けたからなんだっていうんだ。中学時代も無視して、今回だって最初は無視した。なんの権利があるんだ。卑怯者で自己中な俺に。


 保身ばかり、意地ばかり優先して、大事なことを見失って、あとから後悔して、けど同じことを繰り返す。


 学ばない、学ぶ意志のない、成長せず今のままで不満は多少あれど、変える勇気はない、そんな人間。


 思い上がるな俺。


 これ以上関わっても傷つけるだけかもしれないし、結局はそれだって自己満足だ。そんなのに相手を巻き込むな。身の程を知れ。


 お前はモブキャラだ。主人公なんかじゃない。さっさとその足を進めて家に帰って、そのまま今のことも忘れろ。それが正解なんだから。




「…………いやだな」


 嫌だよ。そんなの。


 俺はそう思ってしまった。だめなのに。思ったところで行き先のない感情なのに。でも、不可抗力だった。


 だって俺にだって人生があるんだ。モブだからって、地味だからって、馬鹿だからって、失敗ばかりだからってなんで諦めなければならないのだろう。


 ここで諦めた俺の人生にハッピーエンドもバッドエンドもない。


 初恋相手なんだし、「好きだった」って一回ぐらい言ったっていいよな?


 モブでもそんくらいは許してくれるよな?


 ずっと今の今まで後悔しなかった日はないって言ったら少しくらいは許してくれるよな?


 君がいなくなってから何をやっても失敗ばかりだった。人を好きになっても本気になれなかった。たくさんの人に嫌われた。未来に夢とか希望とか何も抱けなくなった。


 それだけの罰を受けたんだし、ただのクラスメイトAにも少しぐらいチャンスがあったっていいんじゃないか?


 ──俺の足は止まった。


 そして振り向く。もう十メートル以上は離れた彼女の背中が映る。


 今、初めて高校生の彼女を見た気がした。前も見たし、一応話した。でも、ずっと避けていた。彼女を自分の初恋の人である彼女として見るのを。


 大きくなっていた。まず、身長が十センチ以上は大きくなっていた。次に髪型が違った。雑に結ばれたポニーテールじゃなくて、綺麗に短く切りそろえられたショートカットになっていた。


 でも、変わっていないところもあった。歩き方とか、頼りない背中とか、言語化できない彼女の持つ雰囲気とか。


 俺は歩み始める。少しずつ、さっきよりきっと歩幅は小さい。ペースも遅い。ぎこちなさは隠せていないし、呼吸の間隔もバラバラでちょっと息苦しい。でも、着実に距離は近づく。


 こんなんじゃストーカーじゃないか。何やってるんだよ。今すぐ戻れ。そんな指令が俺の脳内からいくつも飛んでくる。


 でも全部却下して、そして五メートル、三メートル、一メートルと距離を縮める。


 もう目の前に彼女がいた。手を伸ばせば触れられそうな位置。本当に振り返ってしまったんだと今更になって現実味がわき始める。


 でも、気を抜けば戻りたくなる感情を振り払って俺は声をかけた。


 こんなことするんだったら最初にすれ違うときに話したほうがどれほど自然だったか。でももう引けない。


「あのさ!」


 ちょっとこの距離にしては大きすぎたかもしれない。


 彼女は歩みを止める。振り返る。そして目があった。綺麗にぱっちりと開いた目。思わず息を呑んだ。


「加藤君?」


 びっくりしたような顔で言われる。


 そりゃそうだろうさ。いきなり戻って声をかけてくるやつとかキモいよな。怖い思いしてたらごめんな。


「あ、あの粧さん」


 言って気づいた。話すこと考えてなかった。どうしよう。


「……」


「……あぁえっと……村上たちのこと先生に上手く言えた? ちょっと気になってて」


 話が唐突過ぎただろうか。


「……」


 呆然とした様子で何も返答がなかった。


「なんかいきなり話しかけてごめん。その……困ったことがないなら全然いいんだ。でも、ああいうのって綺麗さっぱり解決するのって難しいし、まだ何か困ってるなら……」


 困ってるならどうするんだ?

 また助けるのか?

 お前なんかに何ができるってんだ。今回だってほとんど米のおかげだろ。やったことなんて仲介業者みたいなもんだ。


 ──でも、嫌なんだ。まだ何かに困っているなら、それを助けてあげたいと思ってしまう。助けられなくても、一緒に悩みたい。答えを導き出せなくても、何か支えになれる存在になっていたい。


「ごめん、怖かったよねいきなり話しかけられて。迷惑なら全然無視していいんだ。もう関わらないようにするし、邪魔だったらそう言ってくれてもいい」


 どんどん視線が下を向いていってしまう。顔を見るのが怖くて、反応を知るのが怖くて、やけにきれいなアスファルトを見ることしかできない。


 でも次の瞬間鼻をすするような音が聞こえた。思わず俺は顔を上げた。


 するとそこには、目元を真っ赤にした彼女がいた。


「だ、大丈夫? な、なんか酷いこと言ったかな? 別にそういうつもりはなかったというか──」


 話し終わるより前に彼女に抱きしめられた。ぎゅっと力強く、親にすがる子供のようにも思えた。


 でも抱きしめる腕は小さく震えていた。


「なんで……」


 震えた声でそう言ってくる。


 何をそんなにも悲しんでいるのだろう。涙をこらえるようにして、どんな思いで彼女は俺に抱きついたのだろう。


 ただ「なんで」とその言葉には、何年間もの想いがこもっているように感じた。糾弾するよう、しかしそれでいて慈しむような矛盾した感情が伝わってきた。


「…………やっぱり間違ってたかな、全部」


 俺も少しくらいは察せる。でも、本当にそうなのか。


「……なんで中学生のとき私を見捨てたの……? 頼れるの栄君しかいなかったのに。怖かったし寂しかった……」


 彼女はそう続ける。もう大きくなった彼女に昔の中学校になったばかりの頃の小さい彼女の姿が重なる。


 胸が苦しくなった。一人困って、悩んで、泣いている中学一年生の彼女の姿を想像すると、張り裂けるように。


 俺達はきっとずっと時が止まっていたのだろう。四年前のことなのに昨日のことのように感じられた。だけど十数年しか生きていない俺達にとっての四年という大きい時間が明確に横たわっている。


 それを打ち消すように俺は目の前の彼女を少しでも安心させようと抱き寄せる。つい数秒前までは、ただのクラスメイトでしかなかった彼女が、今は世界一大切だった幼馴染に感じられた。


 四年前で立ち止まっていた彼女の元へ、俺は大急ぎで迎えに行った。それは簡単なことだった。俺にとってのこの四年は、巻きもどすことに躊躇いのないものだった。


「ごめん……」


 でも、それしか言えない。


「なんで頑張っておんなじ高校に入ったのに一言も話しかけてくれなかったの? やっとまた話せるって、頑張って勉強してよかったって思ってたのに……馬鹿な私が合格できたことに驚いてくれると思ったのに……」


「…………」


「なんで最初いじめを無視したの? なんで久しぶりに話せたのにあんなに他人みたいに話しかけたの? すれ違ったあと振り返って何秒か待ったのになんであんなに離れて行っちゃっうの? なんでよ。嫌われることしたかなってずっと考えてた。毎日毎日悲しかった……なんでよ……」


 嗚咽にも似た、絞り出すような声で紡がれた彼女の言葉。一つ一つが、心に刺さる。自分の都合のいいように解釈していたことが、全て間違っていたと答え合わせが行われた。


 自分のことなんてとっくに忘れてるんだと思っていた。そうであってほしいと思っていた。本音でいえばずっと昔の関係を続けていたかったけど、そんなの迷惑になると思ってたし、自分なんか隣に立つにはふさわしくないと思っていた。


 しょうがないだろ。だってこっちだっていっぱい言われたんだ。ストーカーだとか、寄生虫だとか、たくさん酷いことを。そんな中、一緒に居続けたいなんて言えるわけ無いだろ。


 でもそんな言い訳と同時に自分の今までの不甲斐なさに、彼女の気持ちを考えられていなかった馬鹿な自分に苛立ちを覚えた。俺の感情も矛盾している。


「ごめん……俺には勇気がなかった。拒絶されたらどうしようって、忘れられてたらどうしようって。そんなことばっかり考えてた」


 そうやって傷つくことを怖がって、何も行動しようとせず、気づいたら時間だけが経っていた。そしてその時間は、彼女をとても苦しめるものだったのだろう。今になってやっとわかった。


 彼女は、静かに泣き出した。だけど段々と過呼吸のように呼吸のペースが乱れていく。


 俺は安心させようと震える彼女の体をそっと撫でた。少しだけ震えが収まる。拒絶されていないとわかって俺は続ける。


 気づけば恋人同士のようなことをしていた。でも、今はそういうことはどうでもいいと思った。俺の後悔の気持ちが少しでも伝わればと。彼女の辛かった気持ちを少しでもわかってあげられたらと、抱きしめる。


「わがままでごめんなさい」


 彼女は、消え入りそうな声で言った。


 そのあと俺達は、彼女が泣き止むまで静かに桜の下で抱き合っていた。




※   ※   ※




 で、今はなんの時間なのだろう。


 泣きやんだ粧さんは、俺の腕から離れた。しかし、その後何も会話が起きず向かい合ったまま時間は止まっていた。


「…………」


「…………」 


 これって俺から話しかけたほうがいいのか?


「どこか行く途中だったの?」と声をかけてみる。


「コンビニ」


 返答は四文字だった。もうちょっと愛想良くしたらどうだろうか。俺が言える話ではないのだが。


「そうか。ちょうど俺も行ってきたところだったんだ……ほら」


 手に下げていたビニール袋を見せる。相変わらず俺もつまらない会話しかできない。


「本当だ」


 まぁ嘘はつかないからな。


 にしても何を話そう。特に話すことはない。ならもう帰るか? なんかそれも不正解な気がするが。


 そんなことを考えていたら次の瞬間「ワァーー!!」とでっかい声が聞こえた。どうも聞き覚えがある。


 声の方向を見ると二十メートル先くらいからダッシュで走ってくるやつがいる。


 あの巨体。見まごうことはない。米である。


「どういうこと?」


 思わずそう声が漏れた。


「なんか飯田君が、栄君は日曜はほぼ毎週一時にここを通るって私に言ってきて」


 と粧さんからの返答。


「ということはつまり?」


「それを聞いて会えるかなぁとか思ったりは……した……」


 粧さんはそう言って認めた。


 つまり米が仕向けたと。


 あいつはどこまでお節介なんだ。そしてなぜ今こっちに向かって走ってきている。それはそれはきれいなフォームでよくあんな巨体であんなに走れるものだと感心するほどだった。


「ハッピィィエンドゥゥゥーー!! フゥーー!!」


 米がそんなことを叫びながら俺達の元へ到着する。キキィィと自分でブレーキ音を口で出しながら決めポーズをしながら到着した。


「……米、これはどういうことだ?」


「いやぁどうもこうも、最後のひと押しってやつよ。そしてここに僕がいるのはちょっとした親心みたいなもん」


 思わずでかいため息が出た。


「そういうことは先に言ってくれよ」


「いやいやこういうのは自分で一歩を踏み出してこそだからね。はい、仲直りできたみたいだし僕は牧師役でもやった方がいいかな?」


「うっさい黙れ」


 まったくなんでこんなことになるんだか。でも、少しは感謝したほうがいいのだろうか。いやでも……。


「まっこれにてめでたしめでたしってことで、二人はこれからはちゃんと仲良くするんだぞ?」


 とおどけたように言う米。


 そう言われても。


 粧さんの方を見ると目があった。気まずくなって一回逸らす。だがここで何も言わないのもあれだ。


 でも何を言えばいいだろう。 


「これから一年間よろしくね。同じクラスだし」


 俺の口から出たのはそんな学年初めの自己紹介みたいな言葉だった。


「うん……よろしく……」


 返答もどこか気の抜けたものだった。これがある意味俺達らしいのかもしれない。でもこれじゃあまだ繋ぎ止めるにはまだ足りない。


 だからもう少しだけ踏み込んで。


「困ったことがあったら相談してね。できる限り協力するから」


 かつての約束をもう一度。約束がいらないなんてそんなことを言うにはまだ早い。今度は、この縁を切らないように。


「ふふっ、ありがとう」


 彼女は、可愛らしく笑ってそう言った。同時に再び、ひゅうと風が吹き桜が舞う。


 薄紅色の桜の花びらを背景に彼女の笑顔は、いつか見た絵画のように脳裏に焼き付く。


 ──ああ、前もこんなことがあった。


 そんなふうに思った。


 再会してから初めて笑顔を見たような気がした。そしてその笑顔は、いつか見たものよりも一層綺麗に美しくなっていた。


 それを見て俺は一つ決心できた。


 もう、間違えたりなんてしない。見捨てたりなんてしない、と。


 俺はそう強く心に刻んだ。

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