生きてつなぐもの

 自分の部屋で日記をつけていた、夏の、ある夜のことだった。

 ベチッ。

 まどになにかが当たった。

「えっ? なに?」

 音のした方を見る。カーテンをきちんと引いてなかったみたいで、カーテンのすき間――まどの外のくらさにうかぶ自分の顔を見つめてしまった。

 ちょっとだけ、ザワザワした。

 ちょっとだけね。

「そうだ、音がしたぞ。ま、まぁね。虫だろうけど」

 ガだったらいやだな、と思った。でも、かたいものが当たる音もまざっていたから、きたいをこめてカーテンをつかんだ。

 カーテンとまどをあけてみる。

 クサリをこする音がして、シバ犬のタロウが犬小屋からはなを出した。

 わり合いすずしい風が、ぬれた草のようなにおいをはこんできた。

 なにか、いる。おちている。

 地めんにおちていたのは――ノコギリクワガタのオスだった。ひっくりかえっていたのをつまみ上げる。

 みごとにわんきょくしたアゴ。六センチ半ばはありそうな、スイギュウだった。

「やったぁっ」

 と、とりあえずよろこんでおく。

 うん。とりあえず。

 タロウがしっぽをふりながら犬小屋から出てきたので、ごめん、と思いながらまどをしめた。

 さて。なにか入れものがひつようだぞ。

 虫かごは持っていたのだけれど、妹――七海ななみがビー玉入れにつかっている。かえしてはくれないだろう。

「なにかないかな……」

 たとえば空きばことか。

 ――うん。

 母さんに聞いてみよう。まだ、あらいものしてるかな?

「母さん。ちょっといい? あのさ。おかしの空きばことかなかったっけ?」

 部屋を出て、台所にむかいながらよびかけた。


 台所のとなり、居間にすわるぼく。

 空きばこは、あった。

 ぼくのすきな、しょうがせんべいのはこ。

 たたみの上に空きばこをおいて、ノコギリクワガタを入れた。

「まってなよ?」

 バナナのわぎりをほうりこんでやる。外した上ぶたに、せんまいどおしであなをあけた。

「お兄ちゃん。なにしてるの?」

 七海がやってきた。

「ほら、見てごらん」

「う〜ん?」

 ぼくに言われ、七海がはこをのぞきこむむ。

「わっ。大きなクワガタ。お兄ちゃんがとったの?」

「うん。……とったというか。兄ちゃんの部屋のまどにぶつかってきたんだ」

「えぇっ。なんで、お兄ちゃんのところに? ずるい」

 と、七海がくちびるをすぼめてゆすってきた。けっこうな力だ。

 あぶないな、もう。

 せんまいどおしを、七海からはなしておいた。

「いいなぁ〜っ。クワガタ」

「ま、今日だけなんだけどね。うちにおいとくのは、今日だけ」

「えっ。お兄ちゃん、かわないの?」

「うん。明日にはさようなら、だね。なんていうか、その、おきゃくあつかいだよ」

 二年生のころ、十三びきのクワガタをつかまえた。そして、せわしきれずに、夏がおわる前にぜんぶしなせてしまった。そんなことがあったからか、クワガタをかおうという気にはなれなくなっていた。

「いらないんだったら、わたしにちょうだい」

 七海が手をたたいた。いいことを思いついた、というようなキラキラしたひとみ。

「だめ。それはできない」

「どうしてぇっ?」

 と、七海はふまん顔になる。キラキラはギラギラだ。

「かわいそうだから。直ぐにしなせてしまうから」

「七海、ちゃんとせわするもん」

「だめ。うちにおいていたら、こいつ、やりたいことができないじゃないか」

「やりたいことができないの?」

「それは、かわいそうだろう? ずっと、はこのなかなんだぞ」

「う〜ん」

 なっとくしたような、しないような顔の七海。

「……じゃ、いいもん。七海、山で自分のクワガタをつかまえるから。それなら、いいでしょ?」

 七海が言いつのった。

 そうきたか。でも、一度、しなせるけいけんをしないとこんなものかもしれない。

 いや。何度でもチャレンジするという人もいるんだろうけど。

「虫かごだってあるし」

 などと、へいぜんと言う七海。

 おいおい、妹よ。それって、ぼくの虫かごのことだよね? 

「ね? それならいいでしょう?」

「いや、だめだ。山に入ると、ヘビが出るぞぉっ? マムシが出るぞぉっ?」

「ヘビはいやぁっ。マムシいやぁっ」

 おどかしてやると、七海は居間から飛んで出て行った。


 よく日。うらにわのカボスの木に、ノコギリクワガタをとまらせてやる。

「元気にくらせよ」 

 と、なでてやった。

 キィキ、キィ〜ッ。

 通りがかった自転車が、ブレーキをかけた。うちの近くの畑でやさいを作っている半田はんだのおじさんだ。

直太なおたちゃん」

 と、自転車からおりたおじさんによばれる。ちゃんづけされるのは、はずかしくなってきていたけれど。母さんが言うには、おじさんは、ぼくのことを母さんのおなかにいたころから知っているらしいんだ。赤ちゃんの時には、だっこもしてもらったって。

 おじさんにとって、ぼくは、いつまでも小さな直太ちゃんなのかな?

「クワガタをつかまえたのかい? へぇっ。いいスイギュウだな」

「つかまえたというか……。うん。でも、もうはなしてやるんだ」

 ちょっとだけ、はしょった。

「そうなのか。おじさんが子どものころは、なんびきつかまえたのか、でかいのはいるか、ってじまんし合っていたけどなぁ。スイギュウなんていたら、ふんぞりかえってたよ」

 と、おじさんはわらった。

「しなせると、かわいそうだから」

「そうか。そうかもな」

 おじさんはうなずいた。

「じゃ、べつの虫はどうだ? いるか? カナブンなら、二百ぴきぐらいつかまえてやれるぞ」

「いやいや。カナブンはいいよ……」

 と、ぼくはことわった。

 しなせるとかわいそう、という話から、どうしてそうなるんだ。

 うちの畑でもそうだけれど、この時期、オクラやトマトなんかにカナブンやコガネムシが集まってくる。

「そうかぁ」

 と、おじさんがわらった。ぼくも、つられてわらった。

「そうだ。後で、スイカを持って行ってあげるよ。直太ちゃんの家のと食べくらべてみな。今年は雨が多くて、いまいちかもしれないけどな」

「うん。ありがとう」

「大きさだけはあるから、びっくりするぞ」

 おじさんが自転車にまたがった。右手を上げて、ペダルに足をのせる。のんびりとコンクリートのさかを下ってゆく。

「うちのは、アナグマだかハクビシンだかに食べられているけれど。おじさんのとこはじゅんちょうなのかなぁ」

 スイカ。

 やっぱり、きたいしてしまう。

 スイカを食べあきるぐらい食べたら、いつもの夏だよな、って感じになるんだ。

 こまったような楽しいような、そんな気持ち。

 口が半びらきになっていた。気づいて、つぐむ。

 カボスの木を見てみると、ノコギリクワガタが、話はおわったの? という感じで、じっとしていた。あまりにもじっとしていたから、なんだかおかしくなった。

「そんなだと、七海につかまるぞ。……お前、この夏をどうすごすつもりなんだ?」

 つい、聞いてみたりして。

               (おわり)


 

 




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