あまいかおりのなかで

 ウメをちぎる日がやってきた。

 四か月前はメジロがウメのえだをかわいらしくゆらしていたものだけど。ウメの花はとっくにちっていて、今はりっぱなみがなっている。ウメの木に近よれば、あまいかおりがただよってきて――。ウメはくだものなんだな、って強く思うよ。

 青ウメもあれば、黄色くじゅくしたウメもある。そんなあんばい。

 いいんじゃないかな。いいウメがちぎれそうだ。

 ぼくのうちで、ウメのつかい方はふたとおり。ウメ酒とうめぼしだ。青ウメはウメ酒、じゅくしたウメはうめぼしになる。せけんにはウメシロップなんてものもあるらしいけれど、うちでは作らない。

 ところで。

 ここだけの話だけれど、父さんがいいよと言ってくれるので、ぼくもウメ酒をのませてもらえる。

 ……ま、だまされているようなもので、ぼくに出されるのは、ウメのかおりがするかな? というさとう水なのだけれど。


 にわに一本、うらにわに一本、畑に二本。うちには四本のウメの木がある。ウメをちぎるのはぼくと父さんのやくわりだ。にわのウメの木と、畑に二本あるうちの一本が小さい木なので、そちらがぼくのたんとうになる。

 まずはじゅんびだ。

 シャツは長そで。ぼうしをしっかりかぶって、長ぐつをはく。ほごメガネをかけて、手ぶくろをはめる。ポケットにレジぶくろをおしこんで、あらいおけと小さめのバケツを持つ。

 いつもの感じだった。

 にわのウメの木は、はちうえだ。ぼくのむねまでもない大きさだから、らくしょうらくしょう。ウメを十コばかりちぎって、バケツにコロコロン。はい、おわり。

 父さんはうらにわのウメをちぎっている。うらにわのウメの木は大きいからたいへんだ。ビニールシートをひろげて竹ざおでたたきおとしてもいいんだけれど、それだとキズがつくのが出てくる。父さんのこだわりで、はしごやきゃたつを持ち出して一つ一つ手でちぎっている。じゅうぶんなりょうをちぎるには、まだまだ時間がかかるだろう。そのうち、高いところに上がる父さんをしんぱいした母さんがようすを見に出てくるっていうパターンかな?

 ぼくは、とっとと畑の小さい方のウメの木にむかう。


 畑の、小さい方のウメの木を前にする。この木はほかのとちがってピンク色の花をつけるんだ。花はきれいだけど、どういうわけか毎年ウメはあまりならない。小さい方のウメの木といっても、ぼくが手をめいいっぱいのばしてもてっぺんにとどかないぐらいの大きさはあるんだけれど。

「よし、やるぞ」

 と、さっそくウメをちぎりにかかった。

 でも。

 そもそも、ウメがあまりならない木だから――。

 畑にきて、十分ぐらいでウメをちぎりおえた。ウメがちょっぴりしか入っていないあらいおけがさびしい。

「こんなものかなぁ……」

 ウメのえだをじっくり見て回る。ウメがのこってないか、というかくにんさぎょうだった。

 うん。

 どうやら、ちぎりのこしはないみたいだ。べつに、ちぎりのこしがあってもかまわないんだけれど、数が少ないとていねいに見ておきたくなる。

 ふぅ、と小さくいきをつく。

「さて、これからどうしよう」

 うらにわに行ってみようかな? いやいや、ぼくの出番はないな。はしごやきゃたつに上がった父さんの下にうっかり行ったりすると、しかられちゃうんだ。

『父さんがおっこちた時、直太なおたをしいてしまうからな。下にいるとあぶないぞ』

 なんて、前に言われたことがある。

 だとすると……。

 と、畑の、もう一本のウメの木の方を見る。

 ぼくのたんとうではないけれど、あっちのウメもちぎってみようか。どうかな? なやには、きゃたつがもう一つあるけれど。どう、かな? ちょっとめんどくさいかな? でも、父さんはうらにわのウメの木だけでもたいへんなんだよね。……やってみようかな?

 考えをまとめていたぼくのはなに、あまいかおりが分け入ってくる。

 風むきのせいか、じゅくしたウメのあまいかおりがいっそう強くただよってきた。

 ――その時。

「むこうのウメもちぎるのか?」

 と、声がかかった。ぼくしかいないと思っていたからびっくりした。

「えぇっ」

 と声を上げ、見回すぼく。いや、見回そうとしていきなり目に入った。

 いた。

 ぼくの横に、男の子が。

 ――いた。

 ぼくよりもずっと小さな子で、丸ぼうず。そでなしのシャツに、短パン、ゴムぞうりというかっこうだった。

 あの時の――あの時の子だ。

 その男の子とは、しちりんでおもちをやいていた時に一度会っている。あの時とまったく同じかっこうだった。

 うわっ、どうしよう。えたいがしれないというか、こわいんだけど。

「むこうのウメもちぎるのか?」

 男の子がくりかえし聞いてきた。

「やってみようかな、と思っているんだけれど」

 と、どうにかこたえた。足がすくんでいる。とびのきたいけど、できなかった。

「では、力をかしてやろう。前にもちを食わせてもらった。あの時のれい、ってやつだ」

 男の子はにんまりわらった。

「う、うん。それじゃ、ちょっと。……きゃたつを持ってくるよ」

 そう言って、その場をはなれた。


 どうしよう。どうしたらいい?

 なにも思いつかないまま、きゃたつをかかえてもどる。男の子は――じっとまっていた。

 ……いるよ。

 男の子は、そこにしっかりとそんざいしていて。ゆめやまぼろし、気のせいであってはくれなかった。

 どうしよう。

 男の子がなにものであるのかは、わからない。ただ、ぼくらとはべつななにかじゃないのかな、とは感じている。

「お前は下だ。はしっこの、手がとどくところでやっていろ」

 男の子は地めんにおいていたバケツを引ったくると、ぼくがせっちしたきゃたつを上がり、ゴムぞうりのままウメの木にとびうつった。体にふれるえだやはっぱを気にもせず、わしわしとウメをちぎっていく。

 うわぁ。しんじられないや。動きも――だけど。あんなのって――。

 見ていたぼくは、思わずみをよじった。

「あ、あのさ。レジぶくろの方がいいんじゃない? ぼく、持ってきてるけど」

「いや、これでいい。さわりない――問題ないぞ」

 男の子が、手にしていたバケツをふった。

「そ、そう」

 ポケットをさぐろうとしていた手を止める。手のひらはじんわりしめっていた。

 ぼくも手近なウメをちぎろうとしたけれど。とてもじゃないけど集中できない。

「下から見て、ウメがなっているところを教えろ」

 気がつくと男の子が下りてきていて、バケツのなかみをあらいおけにうつした。小さめのバケツだけれど、もう、いっぱいになっていたんだ。

 男の子は、ふたたびウメの木に上がった。きゃたつなんて本当はいらないんだろうな、って思えるぐらいにみがるだった。

「そっち、左手の方。とどくかな……」

 男の子に言われたので、ウメがなっているところを教えた。

「おぉう。こっちだな?」

 きびんに男の子が動く。

 男の子はウメをどんどんちぎっていく。

 気になって見上げていたぼくだけれど。ふと、頭にうかんだものがある。聞いておかなければ、と思う。

「あのさ、カラスのことなんだけど」

 と、口にのぼらせた。

 そう、カラスだ。あの日から、うちの畑――うちのまわりでカラスを見なくなった。

 ぼくと男の子が出会ったあの日、あの時――。

「おおぅ。あいつらな。どっか〜ん、だ」

 男の子が声をはずませて言った。

『あいつらか。かんしゃくどっかん』

 ――あの時、男の子はそう言ってすがたをけした。あいつら、というのはカラスのこと。

 そして、カラスはいなくなった。一月半ばから今にいたるまで、うちのまわりでカラスを見ていない。

「カラスをどうにかしたの?」

「うん? どっか〜ん、だぞ」

 言って、男の子は手を止めた。

「それは、その。いのちをうばう……とか? ――そういうこと?」

「どうかな? ようりょうのわるいヤツはいたかもしれない」

 男の子がぼくの方をむいて言った。

「気になるのか?」

「うん。ひどいことをしていないといいな、なんて」

「カラスがもちを持っていったんだろう? あいつらに、くれてやったわけではないんだろう?」

「ま、まぁ。そうなんだけどね」

 持っていかれたおもちというのは、かがみもちのことだった。井戸や自転車におそなえしていたかがみもちを、カラスに持っていかれていた。ダイダイのかわりにのっけていたみかんはのこして、おもちだけ持っていかれた。はらが立ったのはまちがいないけれど。よく考えてみると、ね。

「なんていうか……。食べものが少ない時期だったし。カラスもひっしだったのかな、なんて」

「今は、そんなふうに思っているのか」

「うん」

「そうか。じゃ、あいつらがいてもかまわないんだな?」

「あんまりわるさをされちゃ、こまるけど。まったくすがたを見ないというのも、おちつかないよ」

「そうか。じゃ、おいらもゆるしてやるか」

 男の子があっさりと言った。

 おいら? 自分のことを、おいら、って言うんだ――。

 なんだかおもしろく感じた。親しみがわいた。そんな、こわい子じゃないって気がしてきた。

 それに。

 男の子はあの時よりしゃべるようになったんじゃないかな? うちとけた感じだ。

「ほら、手を動かせ」

 男の子に言われ、ぼくも手がとどくはんいでウメをちぎった。

 おそらくは二十分とかからず、あらいおけに山もりのウメをちぎることができた。ずいぶん早い。ウメはまだなっていたけれど、うちでつかうぶんがあればいいんだから、ぜんぶちぎるひつようはないんだ。

「こんなものかな」

 と、男の子がきゃたつから下りた。きゃたつに立ってちぎることもわりと多くて、きゃたつを持ってきたぼくとしてはあんしんした。

 見た感じ、男の子には引っかききずの一つもないようだった。

 やっぱり、とんでもない。そでなしのシャツに短パンであれだけやったんだから、ふつうはありえないよね。

「てつだってくれてありがとう。父さんもよろこぶよ」

「そうか。よかったな」

 言って、バケツをおいて体をはたいた男の子がぼくを見つめてくる。

「おいらが力をかしたこと、元男もとおにはないしょだぞ」

 男の子が、口早に言った。父さんの名前をよびすてだ。

「どうして?」

「元男はいい顔をしないだろうからな。お前が、おいらみたいなのとかかわりを持つのがしんぱいなんだ」

 男の子がむくれて言った。

 なんとなく、わかってきた。思い出した。

 父さんは、この男の子のことを前から知ってたんだ。

 いぜん、男の子のことをせつめいした時。父さんは、わざと話題をかえようとしたんじゃなかったかな?

 そうか。かかわり合うと、しんぱいされちゃうんだ……。

 トットロッ、ト。

 あらいおけからウメがこぼれた。山もりだったからだ。

 ぼくは、ひざをついてこぼれたウメをひろう。

「だけどな。お前だって、ちょっとはいい感じなんだ」

 前かがみになっていたぼくの後ろ頭を、男の子の声がなでる。

「うん? いい感じ、って?」

 と、ウメをひろい集めて顔を上げるぼく。

 けれど、その時には――。

 男の子は、いなくなっていた。

 だれのすがたもなく、じゅくしたウメのあまいかおりがただようばかりだった。

               (おわり)



 



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