きゅうりぷらぷら

 ゴールデンウィークも、もうおわり――という日だった。

『じゃぁね、直太なおた。父さんは川を見てくるから、後はたのんだよ。自分のペースでいいからね』

 言いおいて、父さんは出かけてしまった。

「まったくもう。父さんときたら」

 畑できゅうりのなえをうえながら、ぐちがこぼれた。

 ビニールポットで二十コだから、そんなに多くはないけれど。

 でもね。でもねぇ。

 父さんは、青竹とひもとネットでたなを作ると、さっさとつりに行ってしまった。

 ……うん。

 川を見てくるとか言ってたけれど、ぜったいにつりだよね?

 朝早くから山に入って竹を切って、はりきってるな、って思ったらこれだ。

「自分でそだてたなえなんだから、自分でうえればいいのに。ま、いいんだけど。……やれやれ。ゴールデンウィークなのにさ。みなみちゃんは、かぞくで水ぞくかんに行く、って言ってたのにさ」

 南ちゃんというのは、近くに住む同い年の女の子だ。さいきんは、あんまりいっしょにあそばなくなっていたけれど。学校では、名字でよぶようになっていたけれど。うん。話は、する。

「えぇと。ひりょうをまぜて、なえをうえて、水をやって、っと。……風よけのおおいまでしていたら、午前中いっぱいかかるかも。ま、いいんだけど」

 うえているのはあまりもののなえで、できたきゅうりはうちで食べるぶんになる。

 ――の、だけれど。

 じつは、いいきゅうりができたら、無人販売所に出してもらえることになっている。この畑のやさいは売りものにしないと父さんがきめたけれど、食べ切れないぶんがもったいないからね。道の駅や直売所というわけにはいかないけれど、無人販売所には出してもいいって。一ふくろ百円で、売れたぶんは、そのままぼくのおこづかいにしてもいいって。

 だから、やりがいがないわけじゃない。

 もちろん、父さん母さんや妹の七海ななみが食べてくれるだけでもうれしいんだけどね。


「こんにちは」

 ふいに声がかかった。顔を上げると、水色のワンピースを着た女の人がいて、くっきりとわらっていた。ぼくよりもだいぶ年上のお姉さんだ。だんだん畑の、コンクリートの道からはなれたところでさぎょうしていたから、だれかに声をかけられるなんて思っていなかった。お姉さんは、わざわざあぜ道を歩いてぼくの近くまできたというわけ。

「なにをうえているのかな、って思って」

「きゅっ、きゅうりだよ」

 なぜか早口になってしまった。

「やっぱり。そうだと思った」

 お姉さんは、ぼくの手元をのぞきこんだ。そして、見回す。

「しっかりしたたなを組んでいるね。きみがやったの?」

「ううん。これは父さんが」

 と、ぼくは、手をはたきながら立ち上がる。

 しっかりしたたな、か。

 そうなんだ。急いで作ったはずなのに、あんがいしっかり作ってるんだ。なんだかくやしいけど、すごいな、って思う。

「そう、お父さんが、ね。――あれっ?」

 お姉さんがぼくの顔をじっと見てくる。

「お父さんって、もしかして元男もとおさん? それじゃ、きみは直太くんだ」

 父さんの名前はたしかに元男。で、ぼくはもちろん直太。

 父さんの知り合いなのかな? うなずいておく。

「やっぱりね。目がそっくりだもの」

 父さんと目がそっくり? どうなのかな? 自分ではあまり気にしたことがないけれど。たまにいるんだよね、そう言う人。

「それで、元男さんは?」

 どうしてだか、お姉さんはおちつかないふうでまわりを見た。

「畑にはいないよ。たなだけ作ってつりに行ったんだ」

 少しだけ、いじわるな言い方になった。父さんのことを、わるく言った感じ。

「そうなの? そうなの、ふぅん。……ねぇ、いいものをあげようか?」

 言って、お姉さんはおさらにのったまんじゅうをとり出した。

「わっ。おまんじゅう」

 どこから出したんだろう、と思った。どうしておさらを持ち歩いているのかな、とも。でも、大きくてやわらかそうなまんじゅうが気になってしかたなかった。

「もらっていいの? ありがとう。いただきます」

 ちょうど、バケツに水をくんできていた。そこで手をあらってから、ピャピャッとやって、おさらのまんじゅうをつかんだ。大口をあけてかぶりつく。

「――食べたね?」

 お姉さんが、ずるりとわらった。

 ……わらった。


 ――。

 自分が立っているのは……わかった。

 なんだか、すごくだるい。

 目の前に、お姉さんがいる。お姉さんは、ほほえんでいた。

 声を出そうとしたけれど、出ない。わずかに体を動かすことはできた。

 ぷらぷら。

 ……ぷらぷら?

 なんだろう、ふあんしかない。体を動かせた、というより、体がゆれただけ――みたいな。

「あら、気がついたのね」

 と、お姉さんがぼくのはな先をゆびでついた。ぼくはまた、ぷらぷらとゆれる。

 どうなっているの、と体を動かそうとしたけれど。思うようにはいかなかった。

 ぷらぷら、ぷらぷら。

 ぼくは、ゆれているだけ。

「まるで、きゅうりみたい。かわいいね」

 お姉さんは、えみをふくんで首をかたむけた。

「ほら、見てごらん」

 うながされ、たなを見る。目だけは、じゅうぶん動かせた。……たなにはつるがのびていて、つるにははっぱがついていた。

 きゅうりのつる、きゅうりのはっぱだった。

 うえたなえのうちの、三本ぐらいがのびているようだった。

 そんなはずない。

 そんなはずないよ。

 うえたばかりなのに、あんなにせいちょうするはずがない。

「知らない人からものをもらってもいいんだっけ? わたしが名前を知っていたから、それであんしんしちゃった? ま、こっちはつごうがよかったんだけど」

 お姉さんがくっきりとわらった。

「わたしはね、きゅうりが大こうぶつなの。今直ぐきゅうりを食べたい気分なの。――あぁ、でも、こやしが足りてない。ぜんぜん足りてない。これじゃ、花がつかない。きゅうりがならない」

 と、お姉さんはいきをつく。

「もっと、こやしをあげなくちゃね? ねぇ。もっと、こやしになって? もっと、もっと」

 そう言って、お姉さんがぼくのほおをなでた。お姉さんの手は、ひんやりしめっていた。

 こやしというのは、ひりょうのことだ。ひりょうなら、なやから持ってきていたけれど。多分、そういうのじゃないんだ。

「ぜんぶ、わたしにまかせてくれればいいのよ。そう、ぜぇんぶ――えっ? ギャァッ」

 ことばじり、お姉さんが声をはね上げた。ひめいだった。

「な、なにこれ。犬? ギャッ、お前は。やめてっ。イヤァァッ」

 お姉さんの左足に犬がかじりついていた。それは、茶色のシバ犬で。うちでかっているタロウだった。

 ウガヴゥルゥゥゥッ。

 タロウの、聞いたことのないようなうなり声。

「イヤッ。やめてぇっ」

 お姉さんはタロウをふりほどき、ぼくをつきとばしてにげ出した。

 ぼくは、ぷらぷらくらくら。

 目を回してしまう。


「いや、ごめんごめん」

 ぼぅ、としていると父さんの声がかかった。

 父さん、帰ってきてたんだ――。

「あんまりほえるんで、さんぽかな、と思ったんだ。それで、リードにつなごうとしていたら、タロウのやつにげちゃってね」

「えっ。そ、そう――」

 声が――出た。出せた。体も動かせるみたいだ。

 ぼくはすわりこんでいて、タロウとだき合う形になっていた。しっぽふりふりでタロウがぼくの顔をなめてくる。

 お姉さんは、もう、いない。

 だるいというより、力がぬけた。

 今の、なんだったの?

 まったく。なにがなんだかわからなかった。

「なんだ、なめられっぱなしだぞ。どうしたんだ?」

 父さんが聞いてくる。

 どうやら、父さんはお姉さんを見ていないらしい。

「ううん、べつに。なんでもないよ。……つりは、どうだった?」

 うまくせつめいできそうになくて。まぎらわすよう、思いついたことを聞いた。

「つり?」

 父さんが目を丸くした。

「……あぁ、つりね」

 と、なぜだか父さんはくしょうする。

「魚はつれなかったよ」

 青竹をつかって組んだばかりの新しいたなに、しおれたつるやはっぱがからまっていた。それを見やりながら、父さんはタロウにリードをつけた。タロウがぼくの顔をなめるのをやめ、父さんを見ながらぎょうぎよくすわり直す。

「よしよし」

 父さんがなでてやると、しっぽをくるりとやったタロウが気のせいかむねをはった。

「魚はつれなかったけれど。かわりに、まんじゅうがつれたよ」

 と、父さんはじょうだんぽくわらった。

「えっ」

 まんじゅう?

 ぼくもタロウをなでてやろうとしていたけれど。その手が、止まる。

 お姉さんがくれたまんじゅうが頭にうかんだ。その後のことも思い出して、きんちょうした。顔をしかめた――と思う。

「なんだ。まんじゅうは、きらいだったか? ふんぱつしたんだけどな。そうかぁ、ドーナツの方がよかったかな。うぅん。それとも、ここはプリンだったかな。……こくとうまんじゅうなら、どうだったろう」

 父さんは、まじめな顔で考えるふう。

 ぼくは、気がぬけてわらってしまう。きんちょうもとけちゃった。

「ま、いいか。今度、すきなのを買ってあげるよ。……まだ少しのこってるな。タロウをそのへんにつないで、てつだおうか?」

 父さんが聞いてきた。

 なえの入ったビニールポットが五つのこっていた。

「ううん。平気だよ。まかせてよ」

 言いながら、立ち上がった。力がもどってきた感じだ。

 なんだろう。ぼくは、すごくあんしんしていた。

 うん。あんしんしていた。

               (おわり)



 

 




 



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