らくガキちょう

直太なおた、今いいか? 七海ななみがさ、新しいらくがきちょうがほしいんだって。ちょっと行って買ってきてくれないかな」

 居間でテレビをつけてぼんやりしていたら、父さんにたのまれごとをされた。

「べつにいいけど。直ぐにひつようなの?」

「ウラがつかえるチラシがあるうちにたのむよ」

「ああ……」

 前に、七海がざしきの白いテーブルクロスにまでらくがきして、母さんと言い合いになったことがある。とばっちりはごめんだから、らくがきちょうを用意してあげるのは大切なことだ。

「わかった。今から行ってくる――」

 と、言いながら考える。

 さて。うちの近くでらくがきちょうを買うといったら、下川しもかわ商店か夏野なつの書店だ。下川商店に行くと言ったら、七海がついてくるかもしれない。下川商店には、おかしも売っているから。七海がついてくると、自転車では行けなくなるからめんどくさい。行くなら、夏野書店かな? でも、たしか、下川商店のらくがきちょうの方が十円安かったはず。

 そうだ。

 夏野書店に行くと言っておいて、下川商店でらくがきちょうを買おう。そうすると、七海はついてこないし十円をおだちんにできるじゃないか。うん、そうしよう。

「夏野書店に行くよ」

「そうか。……らくがきちょうって、今、いくらぐらいするんだ? 二百円あれば足りるかな?」

 気のせいか、しょげて見えた父さんがサイフをとり出した。

「あ、百十円だから。ちょうどがいいな」

 おつりがあると、気が引けて十円をもらいづらい。

「そうか? それじゃ、百十円な」

「うん」

 ぼくは、父さんから百十円うけとった。

 夏野書店に行くのだとしっかり言っておいたから、七海もすんなりと見おくってくれた。


 下川商店は小学校のそばにある。自転車を止め、店内に入った。入ってすぐにあるのは、くじやおかしの台だ。七海がいたら、ここにかぶりつきになる。

「いらっしゃい」

 一人で店番をしているおばあちゃんに声をかけられた。ぼくはかるく頭を下げる。

 らくがきちょうは、左手おくのたなにあった。平づみで、学校でつかうノートと同じところにおいてある。

「あ〜っ。これこれ」

 と、らくがきちょうを手にとろうとして――やめる。なぜか、手が止まってしまった。

 あれっ? なんで?

 らくがきちょうはうっすらとほこりがしていたけれど、そんな理由じゃない。

 どうして手が止まったのかな?

 う〜ん?

 なんとなく気になって、下の方のらくがきちょうをとろうとした。

「どれでも同じだよ」

 しっかり見られていたらしく、おばあちゃんにわらわれた。

「えっ? あ、うん……」

 あわてて、一番上のらくがきちょうをとる。おばあちゃんのところまで持って行く。

「ありがとうね。はい、どうぞ」

 らくがきちょうにテープをはってわたしてくれる。

 ぼくはポケットから買い物ぶくろをとり出してらくがきちょうを入れた。

 代金は――代金は、夏野書店のらくがきちょうと同じで百十円だった。急に十円高くしたのか、それともぼくのかんちがいだったのか。とにかく、父さんに言ってもらっていたとおりのねだんだった。

 おだちん計画はしっぱいした。でも、よかったのかもしれない。かってに十円をおだちんにすることに、後ろめたい気持ちもあったんだ。自転車にのっている間、引っかかっていた。

「はい。アメあげる」

 と、おばあちゃんがあめ玉をくれた。白いつつみ紙のミルクキャンディ。一コいくらって感じのじゃなくて、ふくろ売りされているやつのひとつぶだ。

「ありがとう」

「はい。またいらっしゃい」

 おばあちゃんに手をふられ、ぼくは下川商店を出た。


 帰り道、公園の前を通る。女の子が一人、ブランコであそんでいるのが目に入った。赤いふくを着た、同い年ぐらいの女の子だった。

 見かけない子だ。よそからあそびにきた子かな? ――と、思いながら公園を通りすぎる。

 すると。

「気をつけてねぇっ」

 せなかに声をあびた。あびた――と思う。

 えっ。今の、ぼくにむけて言ったよね? ブランコであそんでいた、あの子が言ったの?

 自転車を止め、ふりかえる。公園の方を見た。ブランコをこいでいた女の子がこちらをむいていて、かるく手を上げる。

「……どういうこと?」

 わからない。どうしたものか考えていると、なぜだか妹の七海のことが思い出された。

 ――七海。七海、か。

 もしも、七海がついてきていて、この場にいたらどうだろう。行ってみようよ、って言い出すにちがいない。

 よし。行ってみよう。

 自転車をもどし、公園の入り口に止める。女の子の方に足をむけた。


「ああ、きちゃったのね。ま、それがいいのかも。気になったもの」

 ブランコの前まで行くと、女の子が話しかけてきた。その子は、なめらかに立ち上がる。長いかみをツインテールにした、赤いワンピースに赤いサンダルの女の子だった。

「えぇと。さっきのなんだけど。ぼくにむけて声をかけたんだよね?」

「まぁ、そうね」

 女の子がほほえんだ。なんだか大人っぽく見えた。

「なにに気をつけるの?」

「なんだと思う?」

 言って、女の子は楽しそうな顔でぼくを見た。

「なんだろう。自転車にのっててよそ見をするな、とか?」

「ああ、思い当たるんだぁ? そうね。わたしに見入っていたものね」

「そんな、見入ったりはしてないから」

 ちょっと、言いわけみたいになった。でも、本当に、そんなには見ていないはずだ。

「はいはい。でも、そのことじゃないの」

 女の子は少しわらって――それからしんけんな顔になった。

「あなた、気をつけないと。たまぁに見えたり、感じたりするだけみたいだもの」

「うん?」

 なにを言ってるんだろう。よくわからないけど、気にかけてもらってる? わるい気はしない。だから……。

「ぼく、直太っていうんだ」

 名のってみることにした。

「あら、そう。直太くんね。ふぅん、そう……」

 女の子はなにやらふくんだえみをうかべる。そして、自分はいっこうに名のらない。べつに、ぜったいにそうしなきゃならないわけじゃないけれど。

「あの、名前は?」

 しかたがないので、こちらから聞いてみる。

「あら。女の子の名前が気になるの?」

「いいや、べつに……。ただ、このままだと――きみ、とかよばなきゃいけなくなるから」

「わたしは、直太に言われるぶんにはそれでかまわないけど」

「うわっと。あぁ……」

 よびすてにされてしまった。もういいや。そんなに何度も会う子じゃないだろうし。

「それで、ぼくはなにに気をつければいいのかな?」

 切りかえてたずねた。女の子は、わずかにくちびるをすぼめたように見えた。でも、それだけ。

「思い当たること、ない?」

「うぅん。べつに……」

 口にしたとたん、女の子に思い切りためいきされた。

「たとえば、そうね。ふと手が止まった、とか。ない?」

「あっ」

 思い当たった。らくがきちょうを買った時だ。一番上のをとろうとして、手が止まった。

「わかったようね。そう、それ。持ってきなさい」

「う、うん」

 ぼくは自転車にもどり、買い物ぶくろをとってきた。

「か・く・に・ん」

 女の子に言われ、らくがきちょうをふくろから出した。

「めくってみて。パラパラって」

「わ、わかった」

 女の子に言われるまま、らくがきちょうをめくってみる。

 ――と。

 ところどころに、らくがきがしてあった。かいぶつのらくがきで、どれもおなかがふくれている。

「なんだ、これ」

「それは――その。ガキ、ね」

「ガキ……」

「そう。今は絵だけど、いつはい出してもおかしくない。そんなもの持ち帰ったら、とんでもないことになる」

「だ、だれかのいたずらじゃないの?」

 はい出すとか、やめてよ。なんでそんな話になるの。

「直太。あなたも、なにか感じたんじゃないの? だから、手が止まった。ちがう?」

「わからないよ。もしかすると、そうなのかもしれないけれど。なに? 見てたの?」

 あの時、下川商店には、ぼくと店番のおばあちゃんしかいなかったはずだけど。

「見てたわけじゃないけどね。それぐらいはできたのかも、って思っただけ」

「う〜ん?」

 じつは、かくれて見ていたとか? いやいや、考えるとこわいから。女の子のかんが当たったということにしておこう。

「あぁ。でも、どうしよう。これ……」

 ガキ、とやらのらくがきを見る。

「わたしがなんとかしてあげる」

 とくいそうに言いながら、女の子がポケットをまさぐった。ややあって、ん? と、首をひねる。あちこちさがして、ちよっとあわてた感じ。ツインテールが大きくゆれる。

「あ、あれっ? 切らしてたんだっけ? ねぇ、直太。ビー玉か、ガラスのおはじき持ってない?」

「そんなの、持ってないよ」

 言っておいて、いちおう自分のポケットもさがしてみる。

 う、ん?

 手ごたえがあった。とり出してみると、下川商店でおばあちゃんにもらったあめ玉だった。

「あるのはこれぐらいだけど」

 と、あめ玉をさし出してみる。ぼくの手のなかのものを目にした女の子は、びみょうなわらいを見せた。

「ああ、それか。どうにかできそうだけど、ね。なんだか思い出すわ……」

 言いながら、女の子はりょう手をさし出した。ぼくは、らくがきちょうとあめ玉をわたす。

 女の子はあめ玉を口元によせ、なにごとかつぶやいた。

「お前たちを、このままにはできないの」

 あめ玉のつつみ紙をあけ、なかのあめ玉をガキのらくがきにおしつける。女の子があめ玉をこねるように動かすと、らくがきがきえていく。それを、らくがきがあるだけ続けた。

 イィィィィッ。ウィィィィッ。

 多分、風の音だけれど。うめき声のようなものが耳に入ってくる。

 白かったあめ玉は、黒くいびつになってしまった。

「ま、こんなものね」

 女の子は、あめ玉をつつみ紙にもどした。それを、ぼくの目の前に持ってくる。

「これは、わたしがあずかっておくから。いいわね?」

 女の子が見つめてくる。

「うん」

 と、どうにかうなずいたぼく。

 なんだかよくわからない、ふしぎなものを見てしまった。

 女の子は、あめ玉をポケットにつっこんだ。

「気をつけて帰りなさい」

 女の子は、ふわっとしたやさしい声で言った。らくがきちょうをわたしてくる。

「うん、ありがとう。それじゃぁね」

 らくがきちょうを買い物ぶくろにていねいにもどし、ぼくは自転車にのって公園をはなれた。


 うちに帰ったら、さっそく七海にらくがきちょうをせがまれた。七海にらくがきちょうをわたしてやる。

「ありがとう。……あれっ?」

 らくがきちょうをうけとった七海は、しきりに首をかしげる。らくがきちょうをめくってみたりして。

「お兄ちゃん。なにか、おかしなことはなかった?」

「どうかな? べつに、なにもなかったと思うけど」

 七海のはんのうにおどろいた。でも、公園でのことは言わないでおくことにした。

 気がすんだのか、しばらくすると七海はらくがきちょうになにかかきはじめた。

 ぼくは、のぞこうとして――やめておいた。その場を、そっとはなれる。

               (おわり)

 

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