十二、暁闇(二)

(申し遅れました。沖田宗次郎と申します)

 きちんと両手をついて挨拶をした清々しさに目を奪われた。

 思えば、初めて会ったその瞬間からとらわれていたのかもしれない。

 四郎が、あの時の姿そのままに目の前に現れたのは、まるでなにかの符号のようにさえ思えてくる。まして、刻まれた風景がくり返すように、その姿を眼前でくずしてみせるのは、なぜなのだろう。


「なにが……あったのだ」

 くり返す斎藤の声はかすかに掠れていた。

「なんでも……ありません」

 嗚咽をのみこむように四郎は言うと、なおも子供のようにしがみついてきた。

 斎藤はそれをひきはがして腕をつかみ、強く揺さぶった。

「なんでもないのなら、なぜ泣く」

 四郎はびくりと身体を強張らせ、ぬれた瞳で斎藤を見上げた。

 呪縛するように瞳がぬめっていた。そうおのれに見えるだけなのだろうか。

 なにかを言いかけて震えた口唇へ、斎藤は無意識に顔を近づた。戸惑うように顔を背けられ、寸前で頬をすべる。

「斎藤さま……!」

 のけぞるほど強く抱きしめられた、四郎がするどく叫んだ。

「私が信じられぬのか。私の言葉を違うのか?」

「そんなこと!」

「ならば服部の言うことなど信じるな。あの男がお前を案じているとは思えぬ。それを何故信じる!」

「離してください!」

 四郎が背中から崩れるように床へ落ちていった。髪が畳を打ち、肘のはざまに押し込めた白い顔が、憤るようなきつい光りを瞳にたたえた。

 斎藤は目をすがめてそれを見返すと、衝動のままに項に顔を埋めようとした。

「離してください!」

「まだわからないのか!」

 かたくなにおのれを拒む四郎へ、斎藤はいいようなのない怒りを覚えた。言ってはならぬと制止する一方で、おのれの正しさを知らしめてやりたいという欲望が押さえきれないほどにふくらんでくる。

「なにをわかれというのですか。私はここで兄上を待ちます。どうして兄を探してくれた人を疑わねばならないのですか! どうして信じてはならないのです!」

 感極まったように握りしめた四郎の手が、ぶるぶると震えていた。そして苦しげに眉をよせ、血を吐くように叫んだ。

「私にはそれしかないのに!」


 斎藤は目の奥で、一瞬気が遠くなる心地がした。眼前に紗がかかったように視界が現実味を失った。

 切りすてた言葉をそうとは知らずに、四郎は手のひらをにぎりしめたまま、幼子ように泣いていた。

 その無防備な残酷さに憎しみさえおぼえ、二の腕を思いきりつかみ上げた。

 痛みに小さく悲鳴をあげて、身をこわばらす。

 その耳元へ斎藤は口をよせた。

「ならば教えてやろう。お前の兄上、本間小十郎どのは西国などにはおらん」

 斎藤はなおもしめあげた。

「小十郎どのは所司代の牢のなかで、明日の処刑をまっている」

 腕のなかでもがいていた身体が動きをとめた。驚愕に目を見開いて、四郎は斎藤を見上げた。

「う……そ」

「うそなものか。疑うのならば、所司代へ行って確かめればいい」

「うそっ!」

 斎藤の口許に満足げな微笑が浮かんだ。このうえもなく残酷に見えるだろうその笑みを、かれはことさら浮かべ続けた。

「私がお前にうそをついて、なんの得がある」

「うそです!」

 否定しながらも、四郎は斎藤の腕からのがれようとあばれだす。

「どこへ行くつもりだ」

「確かめます! あ、あなたのうそを……!」

「無駄だ」

 あっさりと言い放つと、逃れようとする身体を背中からかかえこんだ。斎藤の体重を華奢な背にうけて、四郎はあっけなく床へ倒れこんだ。

 斎藤はその身体を背後から抱きしめて、首筋に顔をうずめた。

 乱れた四郎の黒髪のあいだから、舐めるようにたどっていく。柔らかな耳朶をかむと、小さな悲鳴をあげてのがれようとする。それを左手で封じ、懐へ手をさし入れた。すでに乱れていた夜着は簡単に肩からおちて、なめらかな白い背があらわになった。

 背骨の窪みをたどるように口唇を押しあて、片手で後頭部を動けぬように押さえつけると、前にすべりこんだ手が裾を割る。

「斎藤さま……っ!」

 首をねじって無理やり口唇を重ねた。息苦しさに身じろぎした四郎から、一気に腰紐をぬいた。腰をかかえあげ、口を手てふさぐと、斎藤は背後から一気に貫こうとした。

 斎藤の腕に爪がくいこむ。膚がやぶれて血が流れた。

 それでも斎藤は四郎の身体をしめあげる腕をゆるめず、跪く四郎へ思うさま劣情をたたきつけた。

 指の間からくぐもったうめき声がもれ、身体が斎藤をしめつけて硬直する。

「……お前が愛しい」

 呻くようにつぶやいた声の空々しさが、真実をおし流そうとする。かろうじてささえてきた砦を呑みこみ、無残な残骸が姿をあらわそうとしていた。

「お前が愛しい」

 お前とは誰なのだ。いまこの腕のなかにいる少年か。それとも同じ愛しい顔をしたもうひとりのことなのだろうか。それとも、愛しい顔を持つ四郎のことか?

 腕のなかで細い身体が痙攣をくり返す。目を閉じた青い横顔にふたつの面影が重なっていく。

「お前が……」

 腕に力をこめて斎藤は呻くと、眼前に口をあけた熱い闇をなおも深く抱きしめた。




 遠くで祇園囃子が鳴っていた。

 四方を闇にかこまれ、気を研ぎ澄ませるほど、それは耳についてはなれなくなっていく。

 金属の打ち合う音が、突如静寂を打ち破った。

『どこだ!』

 むせかえる血臭。ぬめりのなかを歩くような蒸し暑さに、息さえとめたくなった。

『どこだ!』

 土方らとむかった四条縄手の旅籠四国屋はもぬけの殻だった。

 とってかえしたこの池田屋へは、近藤以下わずか六名で斬りこんでいるのだ。

 蹴破られた雨戸の隙間からもれる月あかりだけが、室内の惨状をうつしだしていた。

 これほど陰惨な光景を見たことがあったろうか。

 血の海とはよく言ったものである。倒れ伏す人影の下からしみだした大量の血液は、踏み抜くほど畳をぬらし、他人のそれとまじりあって床を流れていた。歩くたびにふみつけるのは、斬りさかれた身体の一部だろうか。

『どこにいる!』

 隣室の襖をあけたとたん、奇声をはっして飛びかかってきた。わずかな明かりに反射した白刃を打ち払い、腰をおとしてかまえる。すでに戦意のない対手は、雨戸に体当たりをした。木の裂ける音とともに落下していった。直後に聞こえた鈍い音を意識の外に押しやって、奥へと進んでいく。

 何枚目の襖を開けたときだったろうか。

 闇のなかに気配を感じて身構えた。

 目を眇めると、刀をふりあげた黒い影が、いまにもその前にうずくまる人物に斬りかかろうとしていた。

(味方かっ?)

 白刃に反射した一瞬の明かりが、浅葱地を照らしだした。

『待て!』

 叫ぶと同時に背後からその男に斬りかかった。突然の新手の出現に、男はこちらを振り返る。その瞬間、白刃が男の背後から繰り出され、深く背につきささった。

 身体を妙な形にゆがめて、男は床へ崩れ落ちた。

 その背に突き刺さった刀を、抜き取ろうとして果たせず、対手は屍に重なるように崩れ

落ちた。

『大丈夫か!』

 いやな予感に、床にのめりこみそうな足を叱咤して駆けより、抱きおこした。

 闇のなかに浮かぶ白い顔は、自分が一番恐れていたものだった。

『総司、しっかりしろ!』

 傷をもとめて身体中をまさぐる。

 それに気がついたか、薄く目をあけて笑いかけてきた。

 なにかを喋ろうと口唇を動かすが、乾いてはりついたように声が出てこない。

 かわりにごぼごぼと嫌な音がして、血があふれてきた。

『総司!』

 あわててうつ伏せに抱えなおした。

『大……丈夫……』

 やっとそれだけ言うと、腕のなかの身体は力を失っていった。

『総司っ!』

 血溜まりのなかで沖田の身体をかかえながら、茫然と座りこむ斎藤の耳にやけにうるさく釛の音が響いていた。




 刺すような冷気に目がさめた。

 すでに夜は明けたのか、薄ぼんやりと部屋の様子がうかがえ、障子戸の隙間からは朝陽が細く差し込んで土間をぬけ、畳の上までのびていた。

 斎藤はそれをぼんやりと眺めていたが、次の瞬間、布団をけってとびおきた。

 あわてて周囲を見回すが、誰もいない。

 土間へ駆けおり、障子戸を引き開けた。


 淡く朝もやのかかった長屋には、まだ人の気配はなく、かれのたてた物音が思いがけず大きく響いた。斎藤は、その音に動きだした人の気配から逃れるように部屋へ戻ると、おのれの足元を見回した。

 床には昨夜の情交の残滓がこびりつき、倒した文机の横に、いつか斎藤が渡した金平糖の箱が落ちていた。

 胸を抉られるような慙愧の念がこみ上げてくる。

 昨夜、おのれはなにをしたのだろう。

 少年が抵抗する力も失い、蹂躪されるままにその身を翻弄されても、斎藤は四郎を離そうとはしなかった。声もたてられぬほどに疲れ果て、絶え入るように眠ってしまうまで嬲り続けた。

 いつの間に、かれ自身も眠ってしまったのだろうか。

 おぼえのない布団が肩までかけられていた。

 その心遣いに、おのれの浅ましさを思い知る。

(所司代へ行ったのか?)

 斎藤は手早く身支度をととのえると、杓に水をくんで一口含んだ。

 閉ざされた門扉を叩く姿が瞼ん浮かんだ。兄にひとめ会おうと声を限りにはりあげ、門番へ懇願しているに違いない。

(俺ができることは)

 なにもないのだという虚しさに、杓を壺のなかへ叩きつけた。

(兄の死を見届けたあと、江戸へ戻るだろうか)

 それ以外の道が残されているとは思えなかった。

(ならば服部にかかわることも、もうあるまい)

 なにが目的であったのかはわからぬが、すべて斎藤が望んだ通りになる。

(よかったのだ)

 どのようなかたちにせよ、真実を伝えたことは、決してあの少年を不幸にすることはないだろう。

(これでよかったのだ)

 斎藤は部屋の隅に立てた大刀を手にとった。どのように言い繕ってもごまかしようのない罪悪感を、無理矢理ねじ伏せようとした。




(続く)


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る