十三、漂泊(一)

 一面に下りた霜が、朝日に反射しながら足元で砕けていった。

 斎藤一は壬生の新選組屯所、前川邸の長屋門をくぐると懐手を改め、まっすぐ玄関へむかった。


「お早いですね」

 上框あがりかまちに腰かけた沖田総司が、斎藤の姿を認めるとひどく不機嫌な様子で声をかけた。

 咎めるようなまなざしに斎藤は肩をすくめると、草履をぬいで腰から大刀を抜いた。


「総司こそ随分と早起きじゃないか。朝飯まではまだ時間があるぞ」

 奥へ行こうとした斎藤の袖を沖田はとらえた。

 斎藤はその指先からゆっくりと視線でたどった。

 心持ち眉をよせ、ひどく真剣な目をした顔があった。斎藤はうしろめたさを感じて、思わずその指をはずした。

「斎藤さんのお帰りを待っていたんです」

「まさか、あれからずっとここにいたのか」

「ええ、まあ」

 沖田は言葉尻を濁した。

「あの後、すぐに留三を帰して私も寝ようと思ったのですが、うとうともしないうちに、今度は沢さんが見えたんです」

「どういうことだ」

「それもおひとりではなく、留三と江戸の南町奉行所からきた沢さんのご友人とその配下の目明かし」

 斎藤は話しが飲み込めずにいた。沖田は構う様子もなく、懐から折りたたんだ紙を出した。

「まだ、奥にいらっしゃいます。皆さんで斎藤さんの帰りをお待ちしてたんですよ」

 斎藤はその紙を受け取ると、乱暴に開いた。途端、張り裂けんばかりに目を見開らき、書かれた文字を舐めるように追った。


「以前、蛸薬師の縁日で私を誰かと間違えた男がいたと言いましたよね。それが今来ている目明かしで、その」

 と、顎で紙をさし、

「お手配書の下手人を追って上洛したのだそうです」

「まさか」

 そこに描かれた沖田とうりふたつの顔。

「一緒に来てください」

 沖田は踵を返すと、怒ったような背中を見せた。




 沖田の自室には所司代の同心沢清十郎と、沢と同年代の旅装の武家がおり、その後ろに配下の目明かしと思われる四角い顔の幾分頭のはげ上がった町人、並んで留三が控えていた。


「斎藤さんをお連れしました」

 沖田の紹介に、江戸の同心は軽く会釈した。

「南町奉行所定廻の溝口健吾です」

「斎藤一です」

 沖田と斎藤が座に落ち着くと、沢は沖田が斎藤に見せたのと同じ手配書を懐から出した。


「いや、驚きました。着いた早々この寅吉が」

 と溝口は背後の目明かしを顎で指し、

「下手人を見つけたからと言って旅籠に駆け込んできた時は、これで江戸へ戻れると、嬉しいやら残念やらだったのですが、よくよく話しを聞いてみると、新選組のそれも沖田さんがそうだと申すもので、どうしたものかと思案しあぐねていたのです」

 目明かしは大きな身体を縮こませて、心底恐縮している様子である。

「それで俺のところに相談にきたんだ。こいつは江戸で俺とつるんでいた奴でね。品行方正を画にかいたような男だから、くそ真面目でいけねえ。適当にごまかしちまえばいいんだが、──まあ、俺も本間四郎のことを知らなきゃ、沖田君を引っくくっていっちまえと言ったんだが」


 斎藤はゆっくりと腕組みをとき、膝前にひろげられた手配書に視線を落とした。

「廻船問屋、蓬莱屋徳兵衛を殺害」

 ひくく呟いた斎藤を溝口はまっすぐに見すえ、膝を進めた。

「本間四郎の潜伏場所をご存知とのことですが、教えて頂きたい」

「何故」

 斎藤は手配書を見つめたまま言った。

「四郎は、この蓬莱屋徳兵衛を殺したのですか。とても逆上して人をあやめるような者には見えない」

「こういった事件では、そのような場合が多いものですよ」

「いきさつを教えてください」


 溝口は助けを求めるように沢を振り返った。沢が深く頷き返すと、溝口は小さく嘆息した。

「わかりました。ただし、これはあくまで私が調べたことですので」

 溝口は、確認するようにひとりひとりの顔を見回した。


「事の起こりは、本間四郎と姉のきよ、そして本間家に婿入りしたきよの夫、小十郎が仇討ちをせねばならぬ仕儀におちいった所為です」

「四郎と小十郎は、兄弟ではないのか」

「義理の兄弟になります。それがなにか?」

 急に勢いこんだ斎藤へ、溝口は不思議そうに尋ねた。

「いや……」


「本間四郎と姉きよの父、本間喜左衛門は、越中富山藩の勘定吟味役を勤め、六百石を賜っていたそうです。ことの起こりは七年前でした。春には、きよに次席国家老の三男である小十郎が婿入りし、早くから親戚筋の門跡へ養子入りが決まっていた四郎の縁組もととのった頃、喜左衛門が城中で斬殺されたのです。なんでも、刃傷に及ぼうとしていた家中の若侍二人の喧嘩にわって入り、その刃を受けたとかで、ひとりはその場で取り押さえられ、もう一人は逃走しました。喜左衛門の死様を病死と偽ることもできず、本間家の親戚一同は、仇討嘆願書を国家老へ上申し、三人は仇を求めて江戸へ向かったのです。しかし、早々みつかるはずがありません。一年たち、二年たつと送金も滞りがちになって、そのうちに途絶えてしまったのでしょう。持参していた着物や櫛笄を質にいれてその場をしのいだらしいのですが、とうとう小十郎は刀を質に入れたのです。 皮肉にも仇が見つかったのは丁度そのころで、ようやく本懐がとげられるかと思ったものの、当の小十郎の刀はなく、国許へその旨を書き送ったが、金子が届くのを待っていては、またどこかへ姿をくらましてしまうかもしれない」


「身売りか」

 溝口は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「お察しのとおりです。小十郎は相当な遣い手だったそうなので、ここでやっと本懐をとげてめでたく帰参がかなうはずだったのですが」

「討ちもらした」

 大きく頷く。

「評定所へのお届けも終え、立ち会うばかりになっていたのですが、仇の男は前夜逐電し、刻限になっても現れなかった」


「そんな卑怯な」

 憤りをあらわにする沖田へ、溝口はなだめるように笑いかけた。

「誰しも死にたくありませんからね。それで、とりあえず一からやり直せばよかったのでしょうが、どうもこの姉弟はせっかちらしく、遊女に身を堕した姉を救おうと、今度はこの四郎が芳町に身を売ったのです」


 沖田がお手配書と同じ顔で目を見開いた。

「それできよは請けだせたのか?」

 溝口は首を振った。

「店の方でも美形のきよを手離したくなかったんでしょうね。二十両で証文を書いたはずが、案の定、衣装代やらなにやらで借入が四十両にもなってました。小十郎の刀をもう一度質に入れても追いつきません。しかも」

 と言って、溝口はなおも声をひそめた。

「私にはどういういきさつかわからないのですが、このふたり、どうやら、その恋仲になったようなのです」


 沖田は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてさえぎった。

「あ……兄上と、ですか?」

 沖田の理解の範疇を超えているのか、まったく信じていない声音である。

「雪隠詰めのような状況で、魔が差したんだろうさ」

「沢さん、そういう言い方はあまり」

「事実じゃねえか」

 溝口は肩をすくめる。

「きよが身を売ったあとのことでしょうが、そんないきさつで色子になった四郎のもとへ小十郎が通いつめたのです。それも揚げ代は四郎もちです。それがめぐりめぐって吉原のきよの耳に入ったのでしょう。きよが喉を剃刀で」

 かき切る真似をした。

「幸い傷は深くなく一命はとりとめたのですが、気がついてみると正気を失ってましてね。店の方でも困って小十郎のもとへ戻したのです」

 言葉もなかった。


「小十郎はきよと借金を抱えて身動きもできなくなってしまい、それを見かねた四郎は、それまで断り続けていた蓬莱屋徳兵衛の世話になることを決めたそうです。それを知った小十郎が、店に三月待ってくれと頼み込んで江戸をたったのですが、それきり音信不通になってしまいましてね。姉のこともあって、四郎は蓬莱屋のもとへ行ったのです。幸いというか、この徳兵衛というのは評判のよい男でして、四郎を惚れ抜いて請け出し、将来は商売を仕込んで養子にと言っていたそうなのですが、昨年末、四郎が殺したと、女中が番屋に駆け込んできたのです。行ってみると半裸の徳兵衛が胸を刺されてこと切れており、四郎の姿はどこにも見えなかった」


 と、沢が引き継いだ。

「それがな、その二、三日前にどうも小十郎から手紙が来たらしいんだ。なんて書いてあったかは知らねえが、女中が四郎と徳兵衛が口論しているのを聞いている。そのうち静かになっちまったっていうんで、気にもとめなかったらしい」

「きよはどうしたんだ」

「養生所だ。長屋の連中が見かねて担ぎ込んだそうだ。だがな、治る見込みはないとさ」

 誰とはなしに嘆息が上がった。

「私がお話しできるのは、これくらいです」


 話を結んだが、黙り込んでしまった斎藤へ溝口は重ねて促した。

「斎藤どの、本間四郎は」

 斎藤はゆっくりと視線をめぐらせた。

「上数珠屋町の九兵衛長屋だ。だが、小十郎の仕置が今日ある。それくらいの情けはかけてやってほしい」

「無論です」

 溝口は、幾分むっとしたようだった。

「では、私は失礼してそちらへまわりましょう」

 席を立った溝口のあとについて、目明かしの寅吉も座をはずした。


 斎藤はふたりを追いかけて廊下へ出ると、寅吉を呼び止めた。訝しげに何度か振り返る溝口に構わず、廊下の隅へ連れていった。

「ひとつ教えてほしい」

「へえ」

 寅吉は警戒しているのか、上目がちに答えて斎藤へ頭を下げた。

「本間四郎の客に服部という侍はいなかったか」

「服部さま、ですか」

 寅吉は首をひねった。

「服部さま、服部さま、ねえ」

「背は私よりも二寸ばかり高い。浪人もので」

 服部武雄の人相風体を細かに告げていくと、寅吉は突然手を打った。

「ええ、おりました。たしか服部……ええっと、服部武雄さまとかいいなさるお侍じゃありませんか。一時、よく通っていなさったねえ。なかなかのいい男なんで、他の色子が焼餅をやいたのやかないのって」

「では、定一という町人に心当たりはないか」

「定一!?」

 思いがけず高く響いた声に、座敷から沖田が顔をのぞかせた。

「斎藤さま、定一を知っているんですかい」

「ああ」

「そいつは名うての女衒ですぜ。悶着をおこして、ここ三月ばかりぱったり姿が見えねえと思っていたら、京にいるんですかい」

 斎藤はなんと答えるべきか迷った。

「斎藤さま、ご存じかどうか知りませんがね、本間四郎さんを芳町へ連れていったのは、その定一ですぜ」

「何だと」

「寅吉、余計なことを言うな!」

 溝口の鋭い叱責が飛んだ。かれはとって返すと、斎藤へ先ほどとはうってかわった傲岸な態度で問いかけた。

「斎藤どの、定一の所在を知っているのか」

「知っているとしたら、どうなのです」

「言っていただかねば困る」

「私が知ったことではない」

「待たれよ!」

 そのまま通りすぎようとした斎藤を引き止めると、溝口はいまいましげにため息をついた。

「本間四郎を不憫に思われる気持ちはわかるが」

「定一とは何者なのですか」

 溝口は声を顰めた。

「実は……、私は長年御用で、ある商人を追っています。蓬莱屋と同業の回船問屋なのですが、寄合でも蓬莱屋との不仲が有名でしてね。その商売がたきの蓬莱屋を本間四郎が殺害し、奉行所の探索を振り切って見事に逃亡してのけた。しかも、本間四郎を芳町へ連れていった女衒が、どうもその商人と関わりがあるらしい。──おわかりか」

「それは誰なのです」

 揶揄するように尋ねると、溝口はきつく斎藤を睨んだ。

「相模屋利平という男をご存じか」

 斎藤は、憮然とした視線を返した。



(続く)


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