七、破(三)

 沖田は即座に言いきった。そして、おのれの口調の強さをごまかすように肩をすくめた。

「いくら私がにぶちんだからって、それくらいわかります。ね、斎藤さんもご存じでしょう? 私は花も恥じらうような美少年だったそうですから」

 心なしかうつむいた口許に自嘲めいた微笑がのぼっていた。

「私に好意を持ってくださっているかどうかというのは、なんとなくわかるのです。私の貞操にかかわりますからね」

 沖田の冗談めかした口調に、斎藤は軽い痛みを覚える。

「服部は違うというんだね」

「ええ、たぶん。あの人は惚れたとかはれたとかっていうのではなく、その貞操に危機を感じるっていうような」

 留三が思わず吹き出した。

「だから、物騒どすか。いやあ、沖田さまも」

 大変どすなあ、と深々とため息をつく。


「ただ、わからないのはその理由ですよね。私と似ている人が現れたからって、服部さんになんの得があるんでしょうか。反対に、それによって誰かが得をすることがあるんですか? そこらへんが私にはまったく見当がつきません」

 留三が大きく頷いた。

「沖田さまの言うとおりや。何のために黙ってはるんやろ」

「そうなると一番妙なのは、本間君の兄上が見つかったと知らせた人がいることです。本間君には、少なくとも兄上が明日お仕置きになることは知らないはずです。ということは、それを知っている人が本間君に嘘をついたのですよね」

「定一か」

「恐らく」

 沖田はそこで、また首をかしげる。


「でもそれも不思議ですよね。そんな嘘ついてどうするんだろう」

「まあ、それはおいといて、定一が本間さまに兄上に会わせるいうて連れ出したんやろなあ」

「なぜ、そこに服部がいる」

「さあ」


 憶測でたてた筋道には、納得のいかぬことが多すぎた。なんの確証もない。ただ、なにかしらのかたちで本間四郎と定一、そして服部武雄に繋がりがあることは確かだった。

 だが、それにしてはあまりにずぼらに思えた。なにか含むところがあるのならば、もっと慎重を期するはずである。少なくとも、あの男ならばそうするに違いない。

(得体がしれぬ)

 なりゆきを監察方の山崎烝にでも話して、服部を密かに探ってもらったほうがよいかもしれない。


 斎藤はそこまで考えて、首を振った。

 不可能だった。

 時期が悪い。


 昨年末の伊東甲子太郎の加盟が、静かに隊内へ波紋を広げている現在、その伊東一派を刺激することは避けるべきだった。

 以前から、力にすべてを頼む近藤、土方のやり方に、批判がないわけではなかった。

 しかし、近藤の無骨ではあるが表裏のない人となりは隊士らの信頼をあつめ、反対に隊中を厳格に律する土方へ不満は集中した。それで、均衡していたのである。


 だが、かれらが伊東と並ぶとあまりにも泥くさかった。伊東の流麗な弁舌に対すると、だれもが一介の論客になったような錯覚さえ覚えた。

(総司とはる才能かもしれん)

 しかし、斎藤も剣客である。いくらきらびやかであっても、その才が「口がたつこと」であってはなんの自慢にもならぬと思っていた。


 そこへ持ち上がったのが、屯所の移転騒動だった。

 壬生の前川、八木両家はすでに手狭になっていた。このようなすし詰め状態では、隊務に支障をきたすのは時間の問題である。

 そこで副長の土方歳三が目をつけたのは、西本願寺の広大な寺領だった。

 そこには、隊士らが二百人が起居するのに充分な広さの集会所がある。建具で仕切れば現在の倍に近い広さを確保できるだろう。


 土方がこの件を強引に西本願寺へ掛け合ったのには、もうひとつ理由があった。

 先年の禁門の変で都落ちを余儀なくされた長州系の浪士らが、本願寺によって寺内に密かに匿われているというのである。

 談判は、土方の手で進められていた。

 しかし、そのあまりの強引さに顔をしかめたのは、伊東ばかりではなかった。近藤も少なからず気分を害したようであったし、総長の山南敬助は真向から反対した。


 京都では、遊里と公家と寺社、そのいずれかにでも睨まれると、あらゆる制約をうけるようになるという。山南はそのあたりを案じて、土方にやり方をもっと穏便にするよう申し入れていた。


 だが、眉をしかめながらも正面きって苦言する者は誰もいなかった。

 土方には、誹謗されるなにものもなかったからである。

 土方の苛烈なまでの統制には、私情がさしはさまれることがなかった。冷酷ではあっても、あくまで公平なやり方には、だれひとり文句のつけようがなかったのである。

 現在、機動力を誇る武装集団としての新選組を維持しているのは、他のだれでもなく、土方一人の能力であるといっても過言ではなかった。


 しかし、何事にも眉ひとつ動かさぬ土方が、沖田のことになると無様なほど感情をあらわにした。

 沖田総司は、鉄面皮と言われる土方の唯一の弱点だったのである。


 そんな土方の危うさが、昨夏、池田屋事件のときに露呈した。

 血臭がたちこめ、足の踏場もないほどの酷惨な池田屋で、土方は、吐血、昏倒した沖田を見いだし、周囲が声もないほど取り乱した。

 沖田はほどなく意識をとりもどしたが、土方はそのさまを恥じるかのように、沖田を睨みつけたまま声もかけず、その後十日ばかり寝込んだ病床を見舞おうともしなかった。まるで、身近におくことを恐れるかのように、遠ざけた。

 ほどなく沖田は隊務に復し、池田屋の戦功を讃える宴席で、土方は江戸へ戻るよう沖田へ申し渡した。

 その後、ふたりの間でどのようなやりとりがあったのか、斎藤は知らない。

 しかし、糸がほぐれるように、見慣れた光景が戻っていくのを、複雑な思いで眺めていた。


 いつの頃からだろうか。ふと気づくと、沖田の姿を追い求めているおのれがいた。ことあるごとにその向こうに土方の姿を認め、それへひたむきな目をむける沖田に、斎藤はおのれがなにに執着しているのかを思い知らされた。

 恐らく、土方は自身がどれほどの情を沖田へかけていたか、あの池田屋の闇のなかで悟ったのだ。しかも、沖田は確実に死へとむかう業病を従容としてうけいれ、土方の側を離れようとしなかったのだろう。


 それにあわて、うろたえた。

 与えることしか望まなかったものを、そっくりそのまま返されることがどのようなことであるのか、土方は考えたことがなかったのかもしれない。

 それを、恋情をいうのだろうか。

 それは、幸福なことなのだろう。

 手元に置き、おのれとともに在ることを受け入れることが、その愛しい命を縮め、やがてはそれ故に死に至らしめるだろう事実がなければ、互いに幸福なことに違いない。


「斎藤さん」

 押し殺した沖田の声に、斎藤はわれに返った。

「誰かきます」

 ゆらゆらと手燭の明かりが、足音もなく廊下を近づいてきた。


「なんだ、総司と斎藤君ではないか」

 のぞきこむように戸口から顔を見せたのは、土方歳三だった。すでに夜半過ぎだというのに、乱れもなく着物を着つけ、手燭を差し出しながら怪訝そうに三人を見まわした。


「お前は?」

「へえ、所司代の沢様配下の留三いいます」

「何があったのだ?」

 所司代の目明かしが監察方ではなく、こんな時刻に斎藤や沖田と話し込んでいるのである。声音には咎める響きがあった。

 二人の機を制するように沖田は立ち上がると、土方のそばへ歩みよった。


「私はたんなる野次馬なんですけどね」

 沖田はそう前置きして、悪童めいた笑みを浮かべた。

「実は、斎藤さんが町で見かけた女のことを調べてもらっているんです。私が相談されたので、留三に頼んでどこの誰だか調べてもらったんですよ。まさか、こんなことまで土方さんに報告しなくてもいいですよね」

 沖田がなにを言いだすのかと、斎藤は眉を寄せて目を閉じた。それが土方の目にどう写ったのか、かれは斎藤と留三、そして沖田と見まわすと、きりきりと眉を上げた。


「総司、お前はなにを勘違いしているんだ!」

 土方は手の甲で沖田の頬を軽くはたくと、留三に頭を下げた。驚いたのは留三である。天下の新選組の、それも「鬼」と恐れられる土方に頭を下げられたのだ。

「すまぬ。この男はいつまでも幼童のようで、世の中のしくみというものを知らぬのだ。手間をかけてすまなかった。ひきとってくれ。後ほど沢さんには、俺から詫びておく」

「いえ、そんな。……その土方さま、手前もこれは道楽みたいなもので……」

 沖田は土方の背後で、うれしそうにニコニコと笑っている。

「斎藤君も色恋もよいが、これの口車にのっては困る」

「面目ない」

 斎藤が頭を下げると、土方は深くため息をついた。

「総司、明日、近藤さんの所へこい。少し話しがある」

「はい、お説教ですね」

 一向に悪びれた様子のない沖田へ、土方はもう一度小さくため息をつくと、早くやすむように言い、戻っていった。


「確かめてくる」

 土方の後ろ姿を見送っていた沖田が、弾かれたように斎藤へ振り返った。

「こんな時刻にどこへお出かけですが」

「本間四郎のところへ行って確かめてくる。それが一番早い」

 まだ丑の刻(午前二時ごろ)をまわったばかりである。夜明けにはほど遠い。斎藤の早急さに、留三が腰を浮かせた。

「本間小十郎の仕置きは明日だ。時間がない。あとで後悔するのは、四郎だろう」

「斎藤さん」

 沖田のまなざしに非難の色があるのを敏感に感じ取ると、斎藤は故意に冷酷に笑ってみせた。土方を見送る沖田のまなざしに、無性に腹がたっていた。

「服部は屯所にいるのか?」

 上目がちにしばらく斎藤を見つめ、沖田は首を振った。

「夕刻に伊東先生達と祇園へ行かれました。斎藤さんが夜勤番に出てすぐです」

「ならば、いいな」

「斎藤さん!」

 そのまま勝手口から外へ出ようとしたのを呼び止められ、斎藤は首をめぐらせた。濃い影のなかで、白い顔が炎とともに揺れていた。

「時間がないんだ。なにを心配しているんだ」

 沖田の横で留三も、なにか言いたげな顔をしていた。

「土方さんにこの件を話すのは、一寸まってくれ」

 頼む、と言いおいて、斎藤は板戸を閉めた。




(続く)



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