八、片影(一)
「ほほう、呑気に昼寝かね。新選組はよほど暇と見えるわ」
縁側に寝そべった斎藤一の頭先に、智光坊が立った。
「暇は平穏無事な証拠だ。よいことではないか」
「それは結構、結構」
智光は持ってきた鉄瓶から茶を注いで差しだした。
瑞応寺である。
先日の雪はおおかた溶け、庭木の根元で所々かたまりになって残っているだけだった。小春びよりの日溜まりのなかには、すでに春の気配があった。
「このあいだの、ほれ何といったか、あの美形じゃが」
「本間四郎か」
「どう思っておるのかな」
寝ころんだまま見上げた。智光は湯飲み茶碗を両手に抱いたまま、庭へ目をむけていた。
「儂の着物を返しにきたであろう。その時に一緒についてきたお前さんがちょっと気になってな」
「御坊らしくもない。はっきりと言ってもらわんとわからん」
智光は深く吐息をもらしたようだった。
「四郎、というか。よい子だが、あまり関わりあいにはならんほうがよいのではないかな」
「なぜそう思われる。御坊も気に入った様子だったではないか」
智光は斎藤へひたと視線をすえた。
「どうされた」
智光はなにか口にしかけ、それをおもいとどめるように唇をひきむすぶと、ゆっくりと茶をすすった。
「儂のカンだ」
「それでは見当がつかん」
「斎藤さん!」
智光を問いただそうと身を起こした時、聞きなれた声に呼ばれた。
「斎藤さん、どこですか」
声の主は山門をくぐってから池をまわり、鐘楼のある石段の方へ歩いていった。
「総司、ここだ!」
立ち上がって声をかけると、沖田総司は手を振りかえしてまっすぐにかけてきた。
「ありゃ誰じゃ」
沖田は二人のいる縁側までくると、身体を折って息をととのえた。頬が真っ赤に上気している。
「もう、たいへんです。下からずっと駆けてきたんです」
「そんなことをして大丈夫なのか」
斎藤はあわてて履物を履いた。
「やだな。年寄りじゃあるまいし、大丈夫ですよ。そうでなくても毎晩のように刀をかかえて町中を走り回っているんですから」
沖田は、湯飲みを手にしたまま驚いた様子で見上げている智光へ深々と頭を下げた。
「智光さまですね。沖田総司と申します。お噂は。かねがね斎藤さんから伺っています」
智光は目をぱちくりしていたが、沖田と斎藤を交互に見るうちに、いつもの人をくった笑みが浮かんできた。
「なるほど。そういうことか」
「私がなにか……?」
「総司、何か用があってきたのだろう」
「え、ええ。そうなんです。急な出動が今晩ありますので、屯所へお戻りくださいと、私が近藤先生からのお使者です」
「一番隊は出ないのかね」
沖田は残念そうに、少し頬をふくらませた。
「今回、私の隊は留守番です。永倉さんの二番隊と斎藤さんの三番隊にご用だそうです」
「それにしても、なにも総司がわざわざ使い走りに来ずとも、誰かをよこせばよいだろう」
「いつもお話ばかりで、本物の智光さまにお会いしたことがなかったから一度来てみたかったんです。それに、丁度土方さんにつかまって小言が始まりそうになったから、三十六計を決めこみました」
「なにやらいそがしくなるようだのう」
智光は、奥から持ってきた甘酒を沖田へ手渡した。
「御坊、さきほどは茶しかないと言ったではないか」
「お前さんにだすのは、茶しかない。さ、仕事であろう。行った、行った。今日もまた極楽浄土からのお迎えが遠くなるの。それも今生の業と思って諦めるがよい」
ふいごのように笑って沖田へ向き直った。
「それにしても、よく似ておるわ」
「私が、ですか」
「そう」
沖田は、ぽんと手をたたいた。
「本間四郎どのですね。私もびっくりしました。あれほど自分に似ている人が世の中にいるなんて、考えてもみませんでしたからねえ」
「すでに顔みしりか」
「はい。私に間違われて浪士に襲われたそうなのです。それもあって、私は今度から頭巾でもかぶって隊の巡察にでようかと思っているのです」
智光は怪訝な顔をした。
「では、私は行くよ」
斎藤は喉で笑って、踵を返した。
「あ、斎藤さん、待ってください。もうひとつ……」
智光へ声が聞こえぬほど離れると、沖田は斎藤の耳元へ顔を寄せた。
「一刻ほどまえ、所司代の沢さんからの使いで留三が屯所へきました。斎藤さんから頼まれたことについてお伝えしたいので、近いうちに白峰神社脇の町会所までご足労願えないか、と」
沢清十郎は、京都所司代の定町廻同心である。斎藤らが上洛してまだ間もないころ、尊攘浪士の押込強盗にまつわる一件で知り合った。四十を幾つかでた、一見もっそりとした男だが、嗅覚にはたしかなものがあった。
それ以来、新選組の探索に下っ引きを回してもらったり、それとなく情報を流してくれたりと便宜をはかってくれる。
「何かほかには言っていたかい」
「直接、斎藤さんへお話するとのことなので聞いていませんが。ねえ、斎藤さん」
沖田は額がくっつかんばかりに顔を寄せて言った。
「斎藤さんが沢さんにお願いしたのは、この間おっしゃっていた本間さんのことでしょう?」
「とにかく、今日の手入れが終わってからだ。もし、私が不覚をとったらこの件は総司に頼むよ」
「はい、はい」
沖田は、そんな埒もない冗談はやめてくださいとばかりに肩をすくめた。
「私はもう少し智光さまとお話をしてから行きます。土方さんに聞かれたら、そう言っておいてくださいね」
斎藤は、背後にむけて軽く手をあげた。
本間四郎の住いは、本願寺に近い上珠屋町の曲がりくねった路地の奥にあった。
割れかけたどぶ板を真ん中に、両脇に障子戸が並ぶ。大家の采配がよいのか、狭いながらも掃き清められ、長屋は清潔な佇まいを見せていた。
木戸をくぐると、井戸端で洗い物をしている女たちが、一斉に斎藤へ訝しげな目を向けた。隅につまれた泥雪で遊ぶ子供たちが、歓声をあげて脇を駆け抜けていく。
「少々訪ねるが……」
いきなり右奥の戸が開いた。
「いいか、忘れるんじゃねえぞ。旦那もとうに承知のことだからな」
すそをからげた男が奥へむかってわめいた。三十がらみのされこうべのような顔で、痩せた胸元をかきあわせて寒さに身を震わせると、周囲を威嚇するように睨めつけ、斎藤の脇をゆうゆうと歩き去った。
女たちは手をとめて互いにささやきあっている。知らぬ顔ではないらしい。
障子戸の奥から華奢な少年の姿が現れた。
ふと上げた顔が斎藤を認めて、小さな叫び声を上げた。
「斎藤さ……ま」
「近くまできたので寄ってみた」
「あ、あの。どうぞお上がりください」
「すぐに帰るから構わないでくれ。今日はこれを君に渡そうと思ってきた」
斎藤は手にした菓子折をさしだした。
「雲母坂で汚してしまったかわりだ」
桐箱にかかった水引をずらせると、ふたのすきまから紅白の金平糖がのぞいていた。
「好物なのだろう? 私はよく知らんので、沖田に聞いてもとめた。ここのものが一番うまいそうだ」
四郎は困ったように、その菓子折と斎藤を交互に見やった。そして、信じられぬというように首を小さく振った。
「どうかお寄りください。散らしておりますが、いまお茶でも──」
「生憎、野暮用があってね。せっかくだから、そこまで送っておくれ」
新選組などとわかれば、あとで四郎が窮屈な思いをするであろう。斎藤の気配りがわかったのか、四郎は頷くと菓子折を抱えたまま先にたって歩きだした。
「本間さま、うちの子が、また手習いみてほしいいうとるんやけどなあ」
井戸端の女のひとりが、ひらひらと手を振ってきた。
「すぐもどります!」
「はようなあ」
斎藤はあきれて肩をすくめた。
「あの女、君に気があるようだな」
四郎はぎょっとした顔で斎藤を見上げた。
「にぶいところはどちらも一緒だ」
斎藤は声をたてて笑うと、烏丸通をどんどん上った。
「あの、斎藤さま。壬生の屯所はあちらでは」
「あれは嘘だ。つきあいなさい。団子でも食おう」
(続く)
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