九、片影(二)

「先ほどの、あれはなんだね」

 四郎をひっぱってきた頂法寺門前の茶店には、ひる前のためかほとんど客はいなかった。

 奥へ上がりこみ、すえられた火鉢を抱くように席を陣取ると、斎藤はさっそく団子を注文した。


「おせっかいだとは思うが、気質の男ではなかろう?」

 四郎は目の前の団子に手もつけず、黙りこくってうつむいた。

「なにか困っているのか」

「いえ」

 斎藤は大きくため息をついた。

「私に話せぬのなら、瑞応寺の智光どのにでも相談しなさい。よいように取りはからってくれるはずだ。少なくともよい知恵ぐらい浮かぶだろう。あれでも信頼できる坊主だ」

「──はい」

「兄上のことなのか」

 人形のような白い顔を強張らせ、四郎はうつむいたまま湯飲みを握っていた。指先が白くなるほど力をこめ、やがて小刻みに震えはじめた。


「知り合ったばかりの私を信用できないのも無理はないが、君も見て得心いったろう。沖田とこうもうりふたつでは他人と思えん」

「沖田さま」

「ああ。総司も心配していた。兄上のことを知り合いに聞いてみると言っていたが、あれのことだ。駄菓子屋かよくて刀屋だろう」

 斎藤は、笑いながら団子に手をのばした。


「うらやましい」

 消え入りそうにつぶやいた声に、斎藤は手をとめた。

「沖田が、か?」

「私には沖田さまに似ているなどと言っていただく資格はありません」

「資格?」

「沖田さまは本当にお綺麗な方です。自分がみじめになるほどいきいきとしてらっしゃる。大勢の方に囲まれて、本当に」

 口唇をかんだ。

「私などとは似てもにつきません」


 斎藤は黙って団子の串をさしだした。

「総司は見かけほど幸せな男ではないよ。もしかしたら、君よりも不幸かもしれん」

 え、というように四郎は目を上げた。斎藤はそれへ無理に串を持たせると、

「とにかく一刻も早く兄上を見つけて、国へ帰りなさい。私にはそれが一番よいように思える」

「それがかなうなら、どんなにか……」

 おのれの手のうちにある団子に目を落として、四郎は口許をほころばせた。その不自然なほど穏やかな微笑に、斎藤は思わず口調を強くした。

「大丈夫だ。必ず見つかる」

 すがるような四郎の視線に、斎藤は胸をつかまれるような痛みを感じて、思わず目をとじていた。

「見つかる。必ず、私が見つけてあげよう」




 白峰神社脇の町会所で名を告げると、町名を染め抜いた半纏をまとった小者がすっとんで出ていった。

 京都所司代定町廻同心、沢清十郎が現れたのは、それから四半刻ほどたってからのことである。


「いやあ、すまん、すまん」

 言葉のわりにはいっこうに恐縮した様子もなく、入ってくるなり斎藤のとなりにどかりと腰を下ろした。そばの急須をつかみ、湯飲みに傾ける。

「なんだ。茶ではないか。おい。平吉、茶を買ってこい」

 小者の平吉は顔をしかめつつ、大きな徳利をかかえて会所を出ていった。

「どうも都の者は気がきかん」


 以前、沢は江戸の南町奉行所の同心であったというが、どういったいきさつか、三年ほど前に京都所司代へ転属となり上洛した。

 沢は懐からだした手拭いで、さかんに額から首筋にかけて汗を拭った。そうそう巨漢でもないのだが、根っからの汗かきのようである。

「ひどいときには草履までが濡れちまう。冬だっていうのに因果なものさ」

 ところで、と沢はにやりと笑った。

「沖田君は達者かい。相変わらず土方さんとつるんでいるんだろうな」

「行く先々で総司のことばかり聞かれる。この調子じゃ、あれはいくつ身体があっても足りない」

「美形は損か、得か」

 大口をあけて沢は笑った。目が細く丸々とした体躯をかがめるようにして歩くので鈍重な印象の沢であるが、少なくとも斎藤が知る同心のなかでは、一番の腕利きである。


 沢は、近藤をはじめとする新選組の幹部らには、丁度兄程度の年にあたる。ずけずけと歯に衣をきせぬもの言いを、近藤は表裏のない一徹な人物として、一種尊敬をもって接していたが、土方などは実家の長兄を思い出すと言って、心底苦手なようだった。無論、沖田は沢の人柄を面白がって、かれが時折屯所へ姿を見せた時などは、賑やかについてまわるのである。沢も沖田のあっけらかんとした性格が気にいっているようだった。


 沢は煙草入れを引き寄せると、葉を煙管につめはじめた。

「例の本間小十郎のことだがな」

「なにかわかったのか」

 思わず声が弾んでいた。

「今、牢にいる」

「牢? 所司代のか?」

 沢は火をつけ、煙をふかく吸い込むと、空に煙の輪を吹きあげはじめた。

「斎藤さんから名前を聞いたときに、すぐ思い当たったんだが、まさかと思って確かめた。きのう、本人にもあった」

「確かなのか」

「ああ」

 ぽん、と煙管から灰を落とす。


「富山藩浪人、本間小十郎と堂々と名乗ったよ」

 斎藤は沢に詰め寄っていた。

「罪状はなんだ」

 沢はちらりと斎藤を見やり、煙管を置いた。

「沢さん」

「押込みだ。金子二十五両を奪った。奪おうとしたというのか」

「どういうことだ」

「妙な一件でね。上鳥羽の酒屋に押し入ったんだが、家人をひとりのこらず縛り上げるのはよいとして、それから主人の前で手をついたそうだ。二十五両を拝借したいとね」


「たまたま島原へ遊びにいっていた息子がそこへ帰ってきて、大声で近所へ知らせたものだから役人がとんできた。ところが、その本間小十郎は騒がず大刀を主人の前へおいたまま、駆けつけた役人におとなしく取り押さえられたのだ」

「それでは押込みとは言わんのではないか」

「店の主人もなかなか肝のすわった男でね。何か深い子細があるようだから、この件は不問にしてもよいというのだ。だが本間自身が」

(それでは済まぬ。私は盗人の真似をした。いや盗人に入ったのだ)

「そう言って譲らん。吟味方も本人がそう言うのなら仕方がないと、お裁きも下った」


「死罪か」

 沢は肩をすくめた。

「おれには死にたがっているとしか思えんね。そんなに死にてえなら、人さまに手間をかけさせずに川へでも飛び込んじまえばいいんだよ」

「本間四郎のことは言ったのか」

「ああ」

 沢は、もう一度盆を引き寄せて茶をそそぐと、口に含んで不味そうに顔をしかめた。




(続く)




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