十、片影(三)

「ところが、そんなわけがないの一点張りだ。うそじゃねえと言っても、そのようなことができるわけがない、と血相を変えて言う。じゃあ、ここへ連れてきてやろうかとけしかけると、食いつきそうな顔をしたまま黙りこくっちまった。ありゃ、わけありだ。妙すぎる」

「俺が会ってはまずいだろうね」

 沢は顔の前で手をふった。

「いくら斎藤さんの頼みとはいってもこれまでだ。それはできん。もっとも、おいらに沖田君を一日貸してくれるなら別だがな」

 斎藤はその軽口に笑わなかった。

「で、仕置きはいつだ」

「明後日。今月の晦日だ」

「あさって!?」

「仕置きの前に会わせてやることはできんよ。むくろの下げ渡しならばできんこともないが」


 沢は斎藤を先回りして言ったが、いくぶん声音を和らげた。

「その本間四郎というのは、沖田君とうりふたつだと言っていたな。できればこのことは伏せておいた方がいいんじゃねえか。おいらも沖田君と同じ顔が悲しむのは見たくねえや」

 と、障子戸がきしみながら開き、平吉が戻ってきた。

「おまっとうさん」

 ぶすりとした顔で徳利を渡し、会所のすみへ行って火鉢の灰をさかんにつつき始めた。


「これはありがたい」

 沢は湯飲みになみなみと酒をそそぐと、のどを鳴らしてうまそうに飲みほした。

「俺は失礼する」

「なにかあったら、また知らせてくれ。役にたつぞ」

「そうさせてもらう」

「沖田君に身体を大事にしろと伝えてくれ」

「わかった」


 斎藤は通りへ出ると、大きく息を吸った。どんよりと曇った空に、ちらちらと風花が散っていた。

(見つかったには、見つかったが……)

 四郎にした約束が、重くのしかかってくるようだった。

(押し込みを働いてお縄になり、明後日には首が打たれるなどと言えるものか)

 かりにも武家である。そのような不名誉な死にざまを知らせる必要があるだろうか。

(しかし、言わねば四郎はもう二度と兄に会えない)

 そして、いつまでも会うことがかなわぬ兄を待ち続けるのだろうか。

 深いため息をついた。


「斎藤さん!」

 背後から、いきなりかけられた声に首をめぐらせると、通りの向かい側、丁度暖簾を分けて顔を出し、手を振る男がいた。

 服部武雄は空を見上げて肩を震わせると、斎藤へ白い歯を見せて笑いかけた。

「伊東先生のつかいで出たのだが、この寒さにまいってね。この店で一息ついていたところだ」

 斎藤は気乗りのしないまま、服部へ近づいた。


 その店は、ちょっとした酒肴を出す小料理屋のようだった。暖簾の奥に客の姿がちらほらと見えた。

「斎藤さんも少し休んでいかんか。以前から貴殿とは一度話をしてみたかった」

 断る理由もないので、斎藤は服部に続いて暖簾をくぐった。なまあたたかななかに、魚となにかを炊き合わせたような旨そうな匂いがした。服部は脇にあるついたてで区切られた小さな座敷へ斎藤を招くと、燗酒と料理をいく品か追加した。


 熱い酒がくると、早速斎藤の盃を満たし、おのれへも手酌でついだ。

「斎藤さんは所司代の役人とも昵懇のようですな」

 会所で沢と会っていたのを、服部は見ていたのだろう。

「いや、私がというわけではない。近藤先生もご存じの役人です」

「そうですか」

 服部は大きな身体をくつろがせ、盃を満たす。

「私も上洛してひと月になりますが、江戸では思ってもみなかったほど、京の情勢は公方様に酷なようだ。江戸で口角に泡をとばして議論している輩は、一度上洛すればよい。何をすべきかわかるだろう。そうは思いませんか?」

「どういう意味です」

「いや」

 服部は、斎藤へさわやかに笑いかけ、

「他意はない。そう思ったまでです」

 斎藤は盃をおいた。


「私は以前から不思議に思っていたのだが、伊東先生は熱烈な勤皇論者と伺っています。それがなにゆえ、新選組に加盟されたのでしょうか。新選組も勤皇の志にかけては人後に劣るとは思いませんが、直参同様、幕府の碌をはんでいる。伊東先生のご趣旨に沿うとは思えんのだが」

 服部は驚いたように軽く目をみはり、そして嬉しそうに口許をほころばせた。

「斎藤さんは正直な人だ。新選組に入ってそのように直截的に聞かれたのは、今が初めてだ。なんと言っても、私は土方副長の目が怖い。気づくと遠くから鋭い目で私らを見ていることがある。まあ、私としては、さすが音にきこえた新選組の鬼副長と感服しているのだが、鈴木三樹三郎などはしきりに憤慨している。正直といえば、鈴木ほど正直な男はいるまいなあ」

 服部は話の筋を迷走させると、たちまちからになった銚子を振って、もう一本頼んだ。


 斎藤は、なかばあきれて服部という男を見返した。

 勤皇論者として高名な伊東が、新選組へ加盟したことのいぶかしさをあてこすったつもりだったのだが、服部はそれを肯定し、他に真意があるかのごとく仄めかす。伊東の背につき従うだけの、単純で従順な番犬のような男ではないようだった。むしろ、なにゆえ斎藤に声をかけたのかがわからなかった。


「鬼の副長どのと言えば、あれほどの美男とは思わなかった。だが、あの端正な顔で睨まれるとかえって凄味がでる。なにを考えているのかわからんで、よいのかもしれん。それよりも、斎藤さん、沖田君だ」

 服部は、ずいと身をのりだした。

「沖田君の剣名は江戸でも鳴り響いている。あの池田屋で二十人を片手でなで切りしただの、道を歩いた後に浪士の死骸の山が累々を築かれただの。内心、どのような猛者があらわれるのかと思っていたのだ。ところが実物はあれだ。まったく度胆を抜かれた」


 いつもそうなのだ。沖田は勇名ばかりが知れ渡り、直接本人に会った者は一様に驚いた。

「あの綺麗な顔を見せられたら、腕のほうも噂ばかりかと思ったのだが、先日道場で立ち会った時、私は手の内を読まれていたのに、沖田君の実力がどの程度かわからなかった。あれで真剣を持ったらどうなるものかと、今度一番隊が出動する時には付いて行こうかとも思っている」

「天才とは、沖田君のような男のことをいうのでしょう」

 服部は驚いたように、少し目をみはった。

「斎藤さんのような遣い手が手放しの褒めようとは、あの坊やも大したものだ」

「私などはとうていかなわない。だが、それが少しも嫌ではないのです。沖田君と競う心持ちにはならない」


 おのれをのぞきこんでくる大きな瞳を思い浮かべると、自然に笑みが浮かんできた。

「不思議な人だな、沖田君は。沖田君の話をすると、誰もが我がことのように楽しげに話す。あの土方副長も、沖田君の前ではすっかり──」

「それよりも、なにか私に話したいことがあるのはないですか」

 斎藤がさえぎると、服部は窮屈そうに身じろぎして、頭をかいた。

「いや、実はその沖田君のことなのだ」

「沖田の?」

「労咳(肺結核)だそうだね」

 斎藤は手にした盃を机上へ音をたてて置いた。服部へ向ける目に自然と嫌がこもっていた。

「池田屋で血を吐いたのだと聞いた。まさかとは思ったが、尋ねるとそうだと言われたよ」

「沖田に直接尋ねたのですか!?」


 かれの病名を知らぬ者は、おそらく隊中にはいないだろう。沖田はおのれの病を隠そうとはしなかった。

 労咳は死病である。罹患者と周囲が双方で留意すればと、沖田は隠すことを拒んだ。無論、そのことを面と向かってかれに尋ねるものはいなかった。沖田の余りある才能と端麗な容貌、そしてなによりも明朗な性格が、ひとつ間違えば陰惨な境遇になりかねない状況から救っていた。身内同様である近藤や土方さえ、いたわりは見せても手を貸そうとはしなかった。養生しろとは口で言っても、隊務から除外することはなかったのである。


 医師に告げられた沖田の命数を、斎藤は噛みしめた。

「残酷なことをされる」

「沖田君も初めてだと言っていた」

「なにがですか」

「面とむかって労咳かと聞かれたのは、初めてだそうだ。気分を害していたとは思えないな」

「それを確かめてどうだというのですか。私には服部さんの真意がわからん」

「惚れた」

 ぼそりとつぶやくと、服部は袴のすそをはらって立ち上がった。

「いや、長居をしてしまったようだ。そろそろ帰らんといかんな」

「服部さん」

「なんだね」

 服部はかまわず座敷をおりると、勘定を払った。

「服部さん!」


 斎藤は、軒下で袖をつかまんばかりにひきとめた。取り乱す斎藤へ、服部は首をめぐらせると、なだめるような口調で言った。

「なにをそんなに慌てているのだ。斎藤さんらしくもないではないか。それとも」

 細められた服部のまなじりに浮かんだ、嘲笑とも侮蔑ともつかぬゆがみを、斎藤は確かに見たような気がした。淡い殺気にも似たそれに反応して全身があわ立つ。

「私が沖田君に近づくのは困るか? 斎藤さん、貴殿も沖田君に惚れているのであろうが」

「なにっ」

 ふと緊張感をとくと、服部は一転して気恥ずかしそうにくしゃりと笑った。

「隠せんよ」

 そのまま服部は踵を返すと、なにやら端唄を口ずさみながら大股に歩き去る。

 斎藤はかすかに眉をひそめたまま、無言でそれを見送った。




(続く)


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