六、破(二)

 夜勤が明けたのは、丑の刻(深夜)をまわった頃だった。

 提灯をかかげた前川邸の長屋門をくぐり、部下を解散させると、斎藤は歩きながら鉢金をはずし、制服の羽織を丸めた。

 夜が明けたら、本間四郎の住居へ行ってみるつもりだった。町中を巡察しながら、そのことが頭から離れなかった。幸い倒幕浪士との斬合いもなく、気を集中できぬまま無事に隊務は終えたが、おのれのうわついた気持ちを正さねばならなかった。

 斎藤は自室へ戻ると、仮眠を取ろう布団を引っ張りだした。

 すると、手燭の灯がふわふわと障子越しに近づいてきた。


「沖田です。ちょっといいですか」

 夜半であるためか、沖田はいつになく押し殺した声で答えた。

「どうしたんだ? 今日は宿直番ではないだろう」

 沖田の白い顔が手燭の灯にゆらゆらと揺れていた。

「まかないへ来ていただけませんか。お客さまがお待ちです」

「客? 今時分に?」

 本間四郎ではあるまいか?

 沖田は斎藤の考えを悟ったかのように、軽く首を振ると、

「目明かしの留三です。斎藤さんが出動されてすぐに来たのです。どうしても斎藤さんが戻るのを待つといってきかないものですから」

 沖田はそれにつきあって、今まで起きていたのだろう。

「わかった。すぐ行くよ」


 足早に賄所へむかう斎藤を沖田は追いかけてきた。

「本間さんの兄上のこと、留三から聞きました。私も同席してもいいでしょうか。なにか本間さんのことで困ったことになったらしいんです」

 斎藤はふと足を止め、沖田をふりかえった。

「押し込みのことかい」

「ええ」

 憤る瞳が炎をうつしてゆらりと揺れた。巧緻な面に微妙な陰影を刻んで、ゆらり、ゆらりと揺れる。

「斎藤さ……ん?」

 斎藤は我にかえって、沖田の頬へ伸べようとしていた腕を押し戻した。

「ああ、かまわない。総司も聞いてくれ」

 斎藤は拳を握りしめると、沖田を先に賄所へやった。

 おのれの身のうちでなにやら得体のしれないものが動きだしたような、そんな錯覚に捉えられた。

(なにをしているのだ、俺は、)

 手をのばしてどうしようというのだ。頬へふれて、それから何を言うのだろう。おのれにかした戒めをいまさら破るつもりはない。これ以上、沖田に重荷を背負わせるつもりは毛頭ないはずだった。

 廊下を曲がる沖田の背に、いくぶん華奢な本間四郎のそれがかさなった。




ようやく現れた斎藤へ、留三は視線をあげたままお辞儀をよこした。

「待たせてすまない」

「いえ、わてが勝手に参ったことです。ただ、はようお耳に入れたほうがええ思いまして、夜分ながらお邪魔しました。沖田さまには、えろうご迷惑をおかけしまして……」

「お前がそこまであわてるとは、それほどの大事か?」

「へえ、たぶん……」


 留三はちらりと沖田を見た。

「総司にも聞いてもらう。留三、お前、本間小十郎どののことを話したな」

 斎藤の軽い叱責に、ようやく留三は表情をゆるめた。

「すんまへん。てっきりご存知や思ってましたんや」

「斎藤さん、留三は悪くありません。私がかまをかけたのです」

 留三が頭をかきながら、沖田へぺこりと頭を下げる。

「それで、なにがあったのだ」

 留三は周囲を用心深く見回した。

「みなさん、おやすみにならはりましたか」

「宿直番は起きているが……」

「そうどすか」

 留三はためらった。

「私が入口で見張ってましょうか? 密談のお手伝いをしますよ」

 沖田は、廊下と賄所の間に座りこんだ。

「これでいいか?」


 留三はなおも逡巡している様子だったが、やがて、斎藤の側までにじり寄り、声をひそめた。

「今日、斎藤さまが帰らはったあと、すぐに美濃屋の定一に張番をたてましたんや。まあ、居場所は一刻ばかりで知れましたんやけど」

「本間四郎とは一緒だったのか」

「へえ。それが河原町の飲屋にいるいうんで、下っ引きをすぐにつけました。新造いいますね。その新造が戻ってきたのが八ツ刻やった」


 その間、一刻(約二時間)あまりをずっと尾行していたのだという。

「新造は、えろう目端のきく男ですわ。そやさかいあれの言うことに間違いがあるとは思えへん」

 沖田は敷居ぎわに座りこんで、案じるようにこちらを見ている。足元においた手燭の炎が廊下へ影をなげかけていた。

「定一は居酒屋でしばらく飲んだあと、本間さまと五条の長香寺へ行ったんやそうどす。本間さまは黙ってついていかはって、定一はそこで待っていたお武家さまに本間さまを会わせはった」

「侍?」

「どなたさんやと思います」


 斎藤は留三の口調に眉をよせた。言外に、斎藤が知っている男だとほのめかしていた。

「誰だ」

「服部さまですわ」

「な……に?!」

 声を荒らげた斎藤を、沖田がはっとしたように見た。


「それが斎藤さま、どうも本間さまとお知り合いのようなんですわ。新造が見たかぎりでは、服部さまと気づいて、本間さまは逃げようとしはったみたいやけど、定一がこうつかまえて、耳元でなにか囁いたとたん、抗うのをやめはったそうどす」

「それで」

「それが九ツ半ごろどした。そのままおふたりでどこぞへ行かはりました。新造は定一をはったまま、美濃屋へ戻るのを見届けて帰ってきました」

「服部と本間がどこへ行ったかはわからないか?」

「すんまへん。わてがもうちっと、わけを新造へ話しておけばよかったんやけど。そやかて、妙な話しどっしゃろ。服部さまは暮れに都へ上らはったお方や聞いてます。それが本間さまとお知り合いいうたら、そりゃ京やおへん。江戸や。それも本間さまにとってはあまり会いたくない、そういう知り合いと違いますやろか」


「妙ですね」

 沖田がぼそりとつぶやいた。

「服部さんは、私にそんなこと一言もいってませんよ」

 沖田は斎藤の脇へ来て、しゃがみこんだ。

「普通、知り合いと似た人に会った時、どうします? 私だったら、顔を見たとたん叫んでますよ。少なくとも何かの拍子にその話しをします。私がいうのも変ですが、私と本間さん。従兄弟以上にそっくりでしょう。こんなに珍しいことに口をつぐんでいるとしたら、答えはひとつしかないんじゃないですか」

 斎藤と留三は沖田を見返した。

「服部さんは、本間君が私に似ていることを事前に知っていた。しかも、この件に含むところがある」


「そんな素振りが見えるのかい」

 沖田は軽くうなって、腰を下ろした。

「何がどうっていうのではないのですが、あの人、私に一寸なれなれしすぎるんですよ。原田さんみたいな人だったら、別に変に思わないのですが、服部さんて、こう……なにか物騒な人でしょう?」

「物騒?」

「ええ」

 斎藤は口の端をゆがめて笑った。

「総司に惚れたと言っていたぞ。そのせいじゃないかね」

「それ、嘘ですよ」




(続く)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る