五、破(一)

「斎藤さま、どないしはりました」

 町会所に入るなり、留三が湯飲みを手にしたままあわてて立ち上がった。


 留三は京都所司代の同心、沢清十郎配下の目明かしである。沢によると京でも一、二を争う腕利だというが、白いものがまじりはじめた頭を下げ、柔和な目で斎藤に挨拶する姿からはすっぽんの異名を想像することはできなかった。


「えろうあわてて、なんぞえらいことでもおきましたんか」

「沢さんは?」

「所司代どす。江戸から古いお知り合いがみえはったとかで、朝から行かれたままですわ。お急ぎなら走りまひょか」

「いや」

 所司代で会う旧友ならば、江戸町奉行所の役人ではあるまいか。

「出直そう。もし沢さんが戻ったら、斎藤が頼みたい事があると言っていたと伝えてくれ。明日また来る」


「斎藤さま」

 障子戸に手をかけた背に留三が声をかけた。

「わてでお役にたつことどしたら、いうておくれやす。なにかお急ぎの事どっしゃろ?」

 いつになく気をまわす留三に、斎藤はいぶかしげな視線を投げた。

「──これはご無礼申しまして。えろうすんまへん」

「いや」

 斎藤は、しばし思案した。用件を今ここで留三に頼んだとしても、明日、沢に頼んだとしても、おそらく実際に動くのはこの男だろう。


「留三、俺の用は公務ではないのだ。手がなくば断っていい」

「承知しました」

「うちの沖田を知っているな」

「へえ。何度かご本陣へお邪魔させてもらいましたときにお目にかかってます。沖田さまがなんぞ……」

「違うのだ。その沖田とそっくりの男と知り合ったのだが、これがどうもたちの悪い男にまとわりつかれているようなのだ。その男の素性が知りたい」

「失礼ながら、本間四郎さまどすな」

「沢さんから聞いているのか?」

「へえ。じつは、本間小十郎さまをお縄にしたのは、このわてどす」

「お前が?」


 斎藤は留三に向き直った。

「ならば話しは早い。美濃屋の手代の定一とはどんな男だ」

「くずやな」

 留三は即座に吐きすてるように言った。

「そんなしょうもない奴がついてはるんどすか」

 留三はしばらく逡巡していたが、思い切ったように顔を上げると、

「ここだけの話、その美濃屋自体妙なお店なんどしてな。口入屋の鑑札は持ってはるんやけど、寄合には顔を出さん、町会にも人をださん、稼業にせいを出してるふうもない。そやけど若い衆がいつもぎょうさんいてはる」

「博徒の類か? 主はどんな男だ」

「ようわからしまへん。なんでもご浪人はんが先代の養子にならはったとか聞いておりますが、まあ、風体はおっとりした若旦那風や」

「定一が本間四郎の所へ何度となく来ているらしい。長屋の女に聞いたのだが、来るたびに脅していくそうだ」

「本間さまはなんぞ言うてはりますか」

「いや」

 四郎はいくら問い詰めても、なにも言わなかった。

「弱みでも握られたんとちがいますか?」

「あの子に人に言えぬほどのことがあるとは思えん」


 しかし、斎藤がそう言い切る根拠はなにもなかった。第一、ろくに素性もしらないのだ。ただ、沖田と間違われて浪人に襲われているのを助けた。思えばそれ以外はろくに知らない。

 留三は、手にした湯飲みを飲みほした。

「よろしゅおす。とりあえず定一を張ってみまひょ。美濃屋は前から目エつけてましたさかい、今からひとり遣りますわ」

「すまぬ」

 頭を下げようとした斎藤を、留三はあわてて押し止めた。


「実はわて、本間小十郎さまのことがずっと気になってたんや。わてには、あのお方がはなからお縄になるのを覚悟であんなことしはったように思えてならしまへん」

 留三は、らしからぬ苦渋をにじませて小声でつぶやいた。

「深いわけがあってのことやろが、ご定法を曲げるわけにはいかへんし、せめてご自身で話してくだされば思うてたんやけど、だんまりの達磨やった」

 斎藤は沢より、留三は下手人に対してひどく冷酷な男だと聞いている。その留三がこれほどの情をしめす、四郎の兄という男はどんな男なのだろうか。

「お前がお縄にしたとき、何かてがかりになりそうなことは言っていなかったのか?」

 留三は、横目で部屋のすみで火鉢にあたっている小者の平吉をうかがうと、斎藤の耳元へ口をよせた。

「わてが言うたことは、沢さまには内緒にしておくれやす」

「ああ」

「身請けの金や言わはりました」

「身請け?」

「へえ。あれを出してやらねばならぬ。そう言うてはりました」




 今朝、斎藤は本間四郎の住居を尋ねるつもりで屯所を出た。生憎、四郎は留守にしていた。

(もう一刻は前やなあ)

 洗濯ものを手一杯かかえた長屋の女房が教えてくれた。

(定一が来て、なんや急いで一緒にでかけはった)

(定一?)

(美濃屋の手代や。手代いうても、しょもないごろつきやけどな)

 先日、四郎を尋ねた時にはちあわせをした、痩せこけた男のことだった。

 女房に尋ねると、四郎がこの長屋へ来た三月ほど前、追いかけるように姿を現したという。来るたびに、なにやらわめきちらし、四郎は言い返すでもなく黙ってじっと耐えているのだと言った。

 今日も定一が現れ、いつも通りの罵声が聞こえるものと思っていたら、しばらくすると

四郎が一緒に外へ出てきて、急いでどこかへ行ったというのだ。無理やり連れていかれたのではない。

(やっかいなことに巻き込まれているのではないだろうか)

 何故これほどあの少年のことが気にかかるのか。

(総司と同じ顔をしているだけではないか)

 あの少年と知り合ってから、どこか地に足がつかない心地がしていた。

 胸苦しい、この妙な焦燥感は、どこからくるのだろうか──。




 自室へ戻って刀架に大刀を掛けたときだった。廊下から顔をのぞかせた沖田が素っ頓狂な声をあげた。


「あれぇ? お帰りだったのですか?」

 そのまま部屋へ入ってくると、

「今さっき、本間さんが屯所へ来たのです。斎藤さんにお伝えしたいことがあるって言ってましたよ」

「どのくらい前だ」

「そうですねえ。もう四半刻ばかり前になるかなあ」

 沖田は嬉しそうに微笑した。

「あのね、斎藤さん。本間さんの兄上が見つかったそうですよ。それをお伝えしてくださいと言っていまし……」

「なんだって!」

 斎藤は目を剥いて沖田の上椀をつかんだ。

「兄上が見つかった、そう言ったのか!?」

「え、ええ。どうなさったんですか」

 沖田は驚いて斎藤から身を離そうとした。

「馬鹿な。そんなわけがない」

 沖田は抗らうのをやめて、訝しげに斎藤を見返した。

「斎藤さん。なにかご存知なのですか?」

 斎藤はあわてて目をそらした。

「いや、そうじゃない」


 沖田は時折、こんな目をすることがあった。偽ることを許さぬ、すべてを見透かしてしまいそうな目。そのまま見つめられていると、引き込まれ、裸にされそうな気がする。普段の瓢々としたかれとは似つかぬまなざしだった。


「本間さん、もうじき江戸へ帰れると言っていましたよ。江戸では姉上がお待ちだそうです。」

「姉?」

「ええ。ご存じないのですか?」

 斎藤は戻した大刀を手にした。

「ちょっと出かけてくる」

 沖田はあわてて、斎藤の袖をひいた。

「もうすぐ出動の時刻です。それでお戻りになったのでしょう」

 今日は夜勤番だった。夜半過ぎまで身体が空かない。組長が遅れるわけにはいかなかった。

 斎藤は舌打ちして、どっかりと腰を下ろした。


「ねえ、どうなさったんですか。本間さんのことが気になるようでしたら、私が見てきましょうか? 今夜はこれといって用があるわけじゃありませんし。それに」

 顔を見ようとはしない斎藤を不思議に思ったのか、沖田はふいに口調を改めた。

「斎藤さん、本間さんの兄上の消息をご存じなのではないですか。違いますか?」

 斎藤は逡巡しながらも、口を開きかけた。


 その時、障子に影がゆらぎ、張りのある声が沖田を呼んだ。

「沖田君、一寸時間があるかね」

 服部武雄が立っていた。浅黒く引き締まった頬に、爽やかな微笑をうかべていた。

(沖田君に惚れたよ)

 先日の独白めいた告白が耳に甦る。

「伊東先生が天然理心流の極意についてお聞きになりたいそうだ。無理は承知でちょっと来てもらえないかね」

 沖田は困ったように眉を寄せ、次いで斎藤を振り返った。何か言いたげな瞳に、斎藤は薄く微笑んで頷きかけた。

「すぐに戻ってきますから」

「私は大丈夫だよ」

 沖田は軽く口唇をかんで、

「待っててください。いいですね」

 念をおして、服部の後について部屋を出た。

 服部の手が沖田の肩にかかり、親しげに抱きこむようにして話しかける。

 服部がこちらを見た。斎藤は無表情で睨みかえす。すると、服部の口許にうっすらと笑みが浮かんだ。

(あの男は、何を考えているのだ)

 そのまま背を抱き込むように沖田を伴う服部を、斎藤は目を眇めて見送った。




(続く)



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