四、過去の声(二)


 そんな道場のひとつとして、斎藤は試衛館を尋ねたのである。

 応対に出てきたのは十五、六の少年で、驚くほど目鼻の整った顔に人懐っこい笑を浮かべて、

(主は他出しております)

 と、丁重に言った。

 その時は、ほんの悪戯心だった。こんな花のような姿でなにをするのかと思ったのである。

(では、貴殿にお相手願えないだろうか)

(私が、ですか?)

 少年は紅い口唇を大きく開いて、素っ頓狂な声を上げた。しかし、少女のような容貌に似合わぬ不敵な笑を口の端にのぼららせて、

(かしこまりました。若輩ながらお相手いたします)

 と、落ちつきはらって道場へ案内したのである。

 少年の言うように皆出払っているのか、みがきあげられた板間には武者窓から陽が射しこむのみで、誰ひとり姿が見えなかった。


 斎藤は、そこでまんまと沖田に負けた。

 見くびっていたせいもあるが、舞のような華麗な剣さばきに目を奪われ、そのすきに面をとられた。

 だが、沖田はそれを得意とする様子もなく、頭を押さえる斎藤へ駆けよって、

(大丈夫ですか、つい忘れて……)

 と、心配げにのぞきこむのである。

 あとで聞くと、斎藤の腕につい加減するのを忘れたのだというのだ。

──決めた。

 斎藤は道場主である近藤勇の養父、周斎が帰宅するのを待って、その日のうちに試衛館への入門を決めた。入門といっても他流のため、いわば居候である。


 それから四年の後、風雲急を告げる時流に乗って、試衛館一門とその他の居候について、京へ上った。

 新選組を作って名をあげ、今では二番隊の組長を勤めている。沖田と共に新選組の双璧と並び称される身にもなった。




 壬生の屯所へ戻る前に、斎藤は茶店に沖田をさそった。

 沖田は、さっそくきた団子を頬張りながら、

「そういえば、このあいだおかしなことがあったんですよ」

 と、満を持した様子で喋りだした。

 斎藤は、湯飲みにつがれた冷や酒をふくんだ。こういう時の沖田は、子供のように邪気がない。


「土方さんのお供をして黒谷のご本陣へ行ったときなんですけどね。帰りに蛸薬師の縁日に寄っていこうと思って、小者の忠助を先に帰したのです」

 斎藤はあやうく口にふくんだ酒を吹き出すところだった。

「土方さんが承知したのかね」

「ええ、もちろんです」

 沖田はにやりとする。

「でも、土方さんはそのあとどこかへ逐電なさるおつもりだったから、その口封じだったのかもしれないんですけど」

 馴染みの女のもとにでも寄ろうとしていたのだろう。表だって素振りは見せぬものの、土方はかなりの艶福家である。

「それでなにが妙だったのかね」

「それが……」


 沖田が言うには、苦りきった土方を連れて屋台をのぞいたり、芸人の口上を聞いたりしているうちに、妙な気配を感じたというのだ。

「例のごとく浪士たちかと思って、道をはずれようとしたんです」

 ひとごみのなかで斬りあいをしたのでは、なにが起きるかわからない。土方へ声をかけようとしたその時、いきなり背後から腕を取られたのだという。の鋭い沖田にとっては、よほどびっくりしたことだったのだろう。


 驚いてふり返ると、

(やっと見つけたぞ。観念しろ!)

 と、四十位の人相の悪い町人にいきなり怒鳴られたというのだ。

(ど、どなたですか?)

 振りほどこうとするのを、よけい締め上げて、

(うるせい! じたばたしねえでおとなしくしろ!)


「もう驚いたのなんのって。その人の剣幕にあんまりびっくりしたものだから、私は金魚みたいに口をぱくぱくするばかりで、そのまま引きずられていきそうになったんです。その時、土方さんが来てくれて──」

(無礼者!)

 と、鞘ごとぬいた大刀で男を打擲したのだという。

(新選組の土方歳三である。その方が狼藉しているのは同じく沖田総司と存じてのことか!)


「その剣幕のすごいこと、すごいこと。いやあ、格好よかったなあ」

 手振り身振りをまじえ、目を輝かせて語る。沖田の土方贔屓はいまに始まったことではない。

「それは、総司が土方さんの寅の子だからだよ」

 ほそい眉をしかめて、上目がちににらむ。

「違いますよ。あの人、縁日につきあわされて苛々してたものだから、癇癪をおこしたんです。もしかしたら気の毒だったのはあの町人かもしれません」

「それで、その男はどうしたんだ」

「土方さんの剣幕のすごさに、あわくって逃げてきました。でも、気味悪いですね」

 沖田はからになった皿を置くと、湯飲みの茶をすすった。

「その男が探してたのは、私によく似た人ということでしょう。世の中には同じ顔をした人が三人いると言いますけど、まだそんな人に会ったことないですし、あの様子だと、ずいぶんと長いあいだ探しているみたいでした。どういう仔細があるのか気になるじゃありませんか」


 ふと、斎藤の脳裏に雲母坂で助けた少年の顔が浮かんだ。あの沖田によく似た少年は、どうしているだろうか。

 あのあと瑞応寺を辞去して、雲母坂をから北大路通までともに来たが、一乗寺木ノ本町あたりで別れた。斎藤が貸した羽織を返しに壬生へ来ると言っていたが。

「いや、いるかもしれないぞ。第一、総司のようなのが三人もいたらつかいでがあっていい」

「どういうことです」

「まず、ひとりめは新選組で働いてもらう。もうひとりは土方さんにつけておいてお守りをしてもらって、残りのひとりは、門にでも立って帰ってくる隊士へ声をかけてもらう。総司ほどの美形にねぎらわれて、気分の嫌な野郎はいないだろうからね」

「なに馬鹿言ってるんですか」

 沖田は肩をすくめて湯飲みを置くと、大刀を手に取った。

「そろそろ行きましょう。その土方さんの目がつり上がらないうち帰ったほうが、得策でしょうからね」

 土方に似た表情で、にやりと笑った。




 屯所に戻ると、妙に騒がしい。

「どうしたんですかね」

 沖田と顔を見合わせて奥へいくと、客間の近くで何人もの隊士がうろうろしていた。そのなかには原田の姿もある。

「何があったのですか?」

 沖田が小声でささやくと、原田は沖田を上から下までながめわたし、満足げに大きく頷いた。

「やっぱり違う」

「違うって、なにが違うのですか」

 ざわざわと言葉を交わしあう隊士らの視線に、沖田はうるさげに眉をひそめた。

「総司、おまえに弟はいるか。なんなら妹でもいいぞ」

「いるわけないじゃないですか。そんなこと原田さんもご存じでしょう」

「なら、このなかにいるのはなんだ」

「なにって……」

 要領を得ず、絶句して沖田は斎藤を振りかえった。

(本間四郎だろう)

 斎藤には、原田の騒ぎようですぐにわかった。屯所に現れたときから大騒動になっていたに違いない。町人のなりではあるが、顔を見て沖田の縁者ではないかと客間に通されたのだろう。


 斎藤は、かまわず障子をあけた。

 沖田と同じ顔は緊張のためか少し青ざめ、驚いたように腰をうかせてこちらを見上げていた。

「あれ?」

 後ろで沖田が素っ頓狂な声をあげた。

「斎藤さま」

 本間四郎はほっとしたように表情をゆるめたが、斎藤の肩ごしにのぞく顔を見て、あっと小さく叫んだ。沖田といえば、目を輝かせて四郎を見返している。そのまま四郎の隣へすわり込み、じっと顔を見つめた。


「ねえ、斎藤さん。この人は、きっと私の従兄弟ですよ。いやあ、びっくりしたな。こんなに似ている人がいるなんて思ってもみたことがない」

「そう言うがな総司。実はこの本間君はおまえに間違えられて、あやうく浪士どもに斬られるところだったんだぞ」

 えっ、と沖田は声を上げた。

「それを一さんが助けたのかい」

 原田は、にやにやと意味ありげに笑った。

「それは申しわけないことをしました。今度から私は頭巾でもかぶって巡察に出ましょう」

「そんな間抜けなことを土方さんが許すかねえ」

「だって原田さん。そっくりな人は世の中に三人はいるっていう話じゃありませんか。私がこんな稼業をしているもんだから、ほかの二人に迷惑をかけてはいけないと思えばこそです」

「わかった、わかった」

 原田は沖田の背を押して座敷を出た。


「あの……あの方はどなたですか」

「なにをかくそう、天才剣士、新選組の鬼と異名をとる沖田総司どのだ。きみがこのあいだ間違えられたのは、沖田とだったんだよ」

 うさぎのような目がまんまるくなる。

「こんなに……、綺麗な方だったんですか」

 こらえきれずに原田が豪快な笑い声をたてた。

「目くそ鼻くそを笑うってえなもんだな。正反対だがよ」

 障子の際からさかんに覗く隊士らを追い立てて、原田はやはりにやりと斎藤へ笑いかけた。

「ごゆっくりな、はじめさんよ」

「どういう意味だ」

「いいから、いいから」


 閉められた障子にむかってため息をつく斎藤へ、四郎は改めて手をついた。

「先日は本当にありがとうございました。命をお助けいただいた上、羽織りまでお借りして何と御礼を申し上げたらよいか」

「あの坊主が袈裟しかないなどとぬかすからだ」

 瑞応寺の智光坊は、極上物とひとめでわかる地紋入の白羽二重の袷を出してきたあげく、いかにもそれにあいそうな紫の袈裟を四郎へ着せようとしたのである。

(風邪をひくよりはよいであろうが)

 智光の性分から、悪戯心がまじっていなかったといえば嘘になる。見かねて斎藤がおのれの羽織りを貸したのだった。


「あの破戒坊主にずいぶんと気にいられていたようだが、気をつけたほうがいい。口は悪いは、意地汚いは、関わるとろくなことにならん」

「優しいお方とお見受けしました」

 少年の聡さに、斎藤が目元をほころばす。

「ああ、よくは知らんが苦労人らしい。寺にきていた近所の婆さんがそんなことを言っていた」

 四郎もにっこりと微笑んだ。

「君は関東の人だろう。悪いことはいわん。京都にいるとこのあいだのようなことに、また巻き込まれるかもしれない。できれば郷里へ戻ったほうがよいのではないか」

 四郎は目を伏せた。

「なにか子細があって上洛したのだろうが、事情が許せばそうしなさい。京は物騒だ」

 黙ったまま、ただ俯いた。斎藤はおのれの強引なものいいに苦笑した。

「私もおせっかいだね。君が沖田に似ているせいか他人のような気がしなくてね。知り合ったのもなにかの縁かと思うと、つい世話をやきたくなる」

「人を探しております」

 か細い声が応えた。

「ひと探しか」

「はい。兄を探しております」

「国事にとの志で上洛されたのか」

 一瞬の間があった。

「おそらく、左様かと」

「勤皇か佐幕か」

「わかりません」

 斎藤は腕組みをして、視線を宙に泳がせた。

「その兄上を連れて帰らねばならぬのか。失礼だが、郷里はどちらか」

「越中富山藩でございました」

「やはり侍か」


 加賀の前田家の一門である。そこを浪々したというのであれば、よほどの子細があるのだろう。

「兄上はなんといわれる。所司代の下っ引きが知ってるかもしれん。よければ今度聞いてみるが」

 四郎の白い面に喜色が走った。しかし、瞬時にそれは消え失せ、そのままゆるゆると首を振った。

「そこまで斎藤さまにご親切にしていただくいわれがございません」

「沖田に似ているからではいけないかな」

 斎藤自身、なぜこうもこの少年の世話をやきたがるのかわからなかった。ただ、このまま放っておくのはためらわれた。危なげな、一途に思いつめそうな生真面目な表情に、なにか危惧するものがあったのかもしれない。

 見る者の哀れさをさそう少年だった。


 四郎は信じられぬといったように、斎藤を見上げていた。

 すると、大きな瞳がみるまに潤み、泪が頬をつたった。

 思いがけぬものに斎藤はうろたえた。

「どうした、私がなにか悪いことを言ったのか」

「も、申しわけありません。嬉しいんです。すみません……」

 指先で頬をぬぐう先へ、手拭いをわたしてやる。

 しきりに謝りながら、四郎は顔をぬぐい、何度も礼を言った。せわしないその様子に、斎藤はどこか心痛むものを感じた。




(続く)



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