二、出会い(二)

 斎藤は着物から少年の手をひきはがすと、おのれの背に隠すように立った。腰から下がぬれたなんともいえない気持ち悪さに、口のなかで悪態をつく。

 角を曲がってでてきたのは、三人の若い侍だった。顔を真赤にさせて抜身を下げている。斎藤の後ろに見つけた姿を指さして頷きあった。


「その者を渡せ!」

 斎藤は眉をひそめた。丸腰の少年を多勢で追っているのも勿論、その威気高な態度が勘にさわった。

「いやだね」

「なにを!」

 三人はいきなり抜刀した。

「幕府の走狗に天誅を加えるのだ!」

「黙って渡さぬと」

「渡さねえと、何だって?」

 斎藤はにやりと笑った。

「……なに!?」

「こんな子供に大の大人が寄ってたかって見苦しいねえ。どうしてもというならば、相手になってやる。その前に──」

 斉藤は、ゆっくりと三人を見回した。

「弔いに困るからおまえらも名を名乗れ。俺は新選組の斎藤一という者だ。察するに貴公らもさぞかし名のある志士の方々に違いない」

 三人の顔面が、一瞬で蒼白になった。

「さ、斎藤一!?」

「おのれ、罠にはめたな!」

「罠とはなんだえ、人聞きの悪い」

「うるさい!」


 奇声をあげてうちかかってきた刃をかわし、泳いだ身体をとんと押した。見事に顔から雪へ突っ込んだその喉元へ、斎藤は切っ先を押し当てた。

「ぐずぐず言ってないで、さっさと消えろ。それとも正月早々膾なりてぇのか!」

 男は仰向けに四つんばいになったまま、ずるずると這っていく。雪のなかに石でもあったか額から血を流し、かみ合わぬ歯ががちがちと鳴っていた。

「さっさと失せろ!」

 斎藤の一喝に、三人はびくりと飛び上がった。何度も転びながら我先にと争うように、坂を駆けていく。途中で転びながら、あっという間に見えなくなった。


「──どうも意気地がない」

 斎藤は刀を納め、雪の上の座り込んでいる後姿へ声をかけた。

「行ったぞ。怪我はないか」

 少年の身体は、まだ震えていた。

「立ちなさい、着物がぬれる。あの者共が天誅と言っていたが、お前は所司代の密偵でもつとめているのか?」

「こ……腰が──」

 斉藤は後ろから少年の腕を取ると、鋭い掛け声をかけた。


「どうだ、立てるか?」

 細い肩が二、三度大きく息をしてから、おずおずと立ち上がった。

「あ、ありがとうございました。もう少しで危うく……」

「あんた」

 斉藤は口をぽかんと開けた。

 おのれを見上げる少年の顔から、貼り付けたように視線が動かせない。

「あの、なにか──」

「──そうか」

「はい?」

 斎藤は大声で笑い始めた。

 少年の顔を見て、追われていた理由がやっとわかったのだ。


 そっくりだった。

 年はこちらのほうが若いものの、顔だちといい声音といい、新選組一番隊長沖田総司に、少年はうりふたつだったのだ。

 旧知の斉藤から見れば、あきらかに他人である。しかし、うろおぼえの人相しか知らないのでは間違えても無理はない。なによりも沖田の人相書には、美形という余計は一文字が付く。


 だが、随分と印象が違った。

 沖田がおのれの見てくれを吹き飛ばすほど賑やかなのに比べ、この少年は怯えた小さな獣のような印象だった。

 沖田よりも幾分小さく、繊細さを増しただけ印象の薄くなった顔は強張り、斎藤の視線に怯えたように二、三歩下がった。


 斎藤はぴたりと笑いを収めた。

「すまない。君が知人にあまりにも似ていてね。それよりもあの浪人に心当たりはあるかね」

 いいえ、と少年は首を振った。

「急に刀を抜いて追いかけてきたのです。一体どういうことなのか、私にも……」

「たぶん、人違いだよ」

「人………違い?」

 と、足の下で何かが崩れたような感触に、斉藤は草履の下を見た。薄紅色の小さな粒が泥雪の中に散らばっていた。

「あ……」

 少年は懐を押さえ、あわてて屈み込んだ。すでに溶け始めた金平糖を幾粒か拾い、そして諦めたように元に戻した。

「おまえさんのか?」

 少年は、小さくかぶりを振って立ち、深々と頭を下げた。

「本当に危ないところをありがとうございました。私は本間……四郎と申します」

「侍か?」

「いえ」

 少年は町人髷を結い袴は着けていた。無論、丸腰である。だが、その立居振舞いは武家の出自に違いなかった。

「そうか」

 斎藤は快い音をたてて刀を納めた。

「私は新選組の斎藤一だ。来なさい。すぐ近くに知った寺がある。着替えないと風邪をひく」




 今にも崩れそうな山門には、瑞応寺との名があった。

 鬱蒼とした比叡の山林を背後に控え、門をくぐると右手に本堂と庫裏、正面に小さな浮島に祠堂を置く青緑の沼のような池があった。池を取り囲む草木は手入れをしていないため、雑草と混じって茫々たる様である。

 山門から池をはさんだ向かい、湾曲した石段をのぼると鐘楼があり、その右上に優美な五重塔が年経た白木の姿をのぞかせていた。伽藍の中で唯一、かつての寺格を偲ばせるものである。奥の院は、塔のよこ手からぐるりと山腹をめぐったさらに奥にあった。


 斎藤は寺内を見渡した。鐘楼下の石段に、小さな姿がうずくまっていた。

「智光どの」

 雪を払い、陽のふりそそぐ石段に、住職はだらしなく座り込んでまどろんでいた。


 年の頃は五十路半ば過ぎか。剃髮した頭の一寸ばかり伸びかかった髪はおおかたが白く、袖口の薄くなった着物の上に綿入半纏。首から下げた数珠がなければ、長屋のご隠居といった風情である。


「そんなところで転た寝をされては、風邪をひきますぞ、ご老体」

 智光はぽかりと開けた口を閉じると、目を擦って斎藤を見上げた。すでに前歯が幾本か欠けている。

「これは斎藤どの。毎度毎度多額のご喜捨に、必ずや御仏のご加護がありましょうぞ」

「御坊にはお変わりもなく」

 智光はにやりと笑って、立ち上がった。小柄な痩躯は斎藤の肩ほどである。

「ここのところ、ずいぶん足が遠のいていたが、かれこれ三月ぶりかの」

「十日前に伺ったのをお忘れか」

「はて。左様だったか。ここのところ、とんと物覚えがわるくてな。いやいや、斎藤どのの来訪を忘れるとは、仏罰があたるわ。なにしろ斎藤どのは奇特なお方でな。この寺がこうしてこのように栄えておるのも斎藤どののおかげと、拙僧は朝晩神仏に感謝している次第」

「御坊」

 斎藤は財布から出した小判を懐紙に包み、いくらでもしゃべり続けそうな智光の手に押しつけた。

 智光はそれを大事そうに懐へしまうと、斎藤にむかって両手を合わせて瞑目し、なにやら経を唱えた。そろりと片目を開け、斎藤と目線が合うと悪びれずににやりとする。


「──さて」

 智光は山門のそばに立つ少年の姿に気づき、雪駄の端で斎藤を踏みつけた。

「なんじゃ、あれは。斎藤どのの稚児殿か」

「人聞きの悪いことを。そこで助けたのだ」

「いやいや、遠目にもわかる麗質。儂にまで隠すことはない。相変わらず煩悩の多いことじゃなあ」

 斎藤は大きくため息をついた。

「そこで転んでびしょぬれだ。なにか着替えを拝借したい」

「左様か。ろくなものはないが、庫裏を見て来よう」

 智光が背を向けると、斎藤はそのまま石段を登り、奥の院へと向かった。


「斎藤どの」

 振り返ると、智光がこちらを見上げていた。

「なんだ、御坊」

「執着はまだ消えぬか」

 斎藤は無表情に智光を見下ろした。

 一瞬はりつめた空気を解きほぐすように、智光は表情をゆるめた。

「よいかの、これでも拙僧は若年のおり、匂い立つような若衆振りでな。通りを歩けば必ず袖を引かれたものよ。男女を問わず、数知れぬほど懸想されのでな、坊主ながら仏道よりも色道にこそ明るい。儂のいうことは、いちいちもっともと聞いておいたほうが身のためぞ」

「御坊が、か?」

 笑った智光の口許が、ぽかりと暗い穴になる。

「信じられぬか」

「信じられぬ」

 智光は大音声で笑った。


 斎藤は再び石段を登った。

 奥の院への途中に斜面を下る石段があった。頭上を覆う樹木にさえぎられ、それほど雪は積もっていない。

 下りきると祠があった。斜面をくり抜き、石を敷いた粗末なものだった。

 ようやく人一人が入れるほどの穴に入ると、中には石仏があった。

 洛中の寺内で見るような嫋々たる仏の姿ではない。荒々しい鑿跡もおおらかに、笑を浮かべた観世音菩薩は、慈悲をもって衆生をあらゆる苦しみから救済するという。

 斎藤は数歩下がり、手を合わせるでもなく仏の顔を見つめていた。


 一年余前になる。

 斉藤は浪士を追って、この寺に踏み込んだ。無礼な乱入を住職に咎められ、詫びを口にする斉藤に、住職はいきなり我執を断てと言った。

 それ以来、斉藤はこの寺へ出入りするようになった。

 智光はその度にかなわぬものは諦めよと説いた。だが、斎藤が何に執着しているように見えるのか、一切語らないのである。斎藤も、否とも諾とも答えたことはない。

 斎藤はしばらく仏の顔を拝したのち、藪をわけて見晴らしのよい一角にでた。

 右手に鞍馬の山が連なり、左に控える東山三十六峰は白く、青空とあざやかな対比を見せていた。

 懐から煙管を出し、火口石を叩く。

 深く吸い込んだ煙を吐き、藪ごしにかいま見える仏へ視線を戻した。

 吹き上げる寒風が心地よかった。




(続く)


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