第4話 素人とプロ
むしゃむしゃと咀嚼する音が響く。その度にパラパラとパンのかけらが落ちる。しかしこの女、『ミラ・L・クラウレス』は気にすることなく食事をとっていた。
誰一人いないこのパン屋では、何をやっても咎められない。それ故彼女はカウンターに腰掛け、足を組んで居座っていた。
「アンタ食べないの?」
最後のひとかけらをゴクリと飲み込むと、ミラはこちらに目を向けた。手で服についたパンくずを払うと、これまたバラバラとくずが落ちていく。
「俺はいいよ」
「餓死しても知らないわよーっと」
ミラはピョンと飛び降りると、近くにあった棚からフランスパンを手に取る。ザクりと噛みちぎりながら、再びカウンターに飛び乗った。これで七個目だぞ。こいつ、店の商品食い尽くすつもりか?
俺は傍に置いておいたペットボトルを取り、天然らしい水を喉に流した。不思議と腹は空いていない。ガラス越しに見ると、外はもう夜の闇に染まっていた。
ミラと会ってからは特に誰かと会うこともなく、このパン屋にたどり着いた。この街はゲームの参加者以外誰もいないから、あるものは勝手に食べていいらしい。そうは言っても気は引けるし、泥棒みたいな支給方法に若干の悪意を感じる。
「なあミラさん……」
振り向き様に言ったが、ミラからの返答はない。彼女は俯いて、ピクリとも動いていない。ミラに近付いて垂れ下がった顔を覗き込むと、瞼を閉じて小さな寝息を立てていた。
「いきなり寝るのかよ……」
『いきなりと思うのなら、ちゃんと疑うべきよ』
「どういう意味だ?」
『不自然ってことよ』
この双剣は回りくどい言い方をしやがって。イライラするからやめてくれ。
『すぐに答えを知ろうとするのは、思考能力のない単細胞と一緒よ』
「分かりにくいって言ってるんだ。普通に話してくれよ」
『いきなり眠ったことが不自然だって言ってるの。後は分かるでしょう?』
「その後が分からないんだよ!」
『ッ―――! 来るわ!』
直後、右足に何かが突き刺さった。背側から矢が刺さっていたのだ。血と痛みが滲み出る。矢を抜こうとすると、視界の端に違和感を覚えた。
「やったー! 当たったー!」
いつの間にか、パン屋の入り口に女子がいた。黒のセーラー服にスカート、赤いリボン。ぴょんぴょん飛び跳ねる度、二つに結われた茶髪が揺れる。
あの制服は、俺の学校のものだ。だが、いつも学校で見る姿とは少し違う。普段は弓を持ち、背に矢筒を下げてなんかいない。
『そっと抜いて。止血しないとどんどん辛くなるわよ』
止血しろと言われても、それが出来そうなものがない。制服のブレザーでくくっておくか?
まあその前に、止血の時間をくれるかっていう問題があるんだが……。
「あたし初めて弓使ったのー! すごくない⁉」
女子はそう言いながら矢筒から矢を掴み、こちらに構えてきた。俺は矢を抜きすぐに双剣も抜く。弓が相手なら間を詰めればいいと頭では分かっているが、それが出来るほどの技量は持ち合わせていない。本物の剣に触ったのだって初めてだったんだぞ。
『スキルに関しては、彼女もアナタと同じ素人よ。しっかり動きを見ていれば、絶対避けられるわ』
その言い方は、精神的には相手はプロってことか? そういえば、ゲームの参加者は暗殺部隊候補だったな。つまり、大男やミラみたいに躊躇なく人を殺せるってことか……同級生にそんな人間がいたなんて恐ろしい。
「―――と見せかけてっ!」
「ッ⁉」
女子は急に矢先の向きを変え、放った。俺はすぐに反応したつもりだったが―――間に合わなかった。
「あー……」
幸運にも、矢はカウンターに―――ミラの顔の真横に刺さった。
「ハズレちゃった」
女子はむすっと頬を膨らませた。
危なかった。こいつ、最初からミラを狙っていたのか。そりゃ動いてない相手の方が当てやすいもんな。迂闊だった。
俺はミラの肩を掴み、激しくゆすった。しかし声をかけてみても、彼女は起きなかった。まるで死んだかのように、すやすやと眠っていた。その様子を見てか、女子がくすくす笑い始める。
「起こしても起きないよー?」
「なんだと?」
「だって、薬飲んでるもんっ」
えっへんと女子が腰に手を当てる。
薬? まさか睡眠薬? そんなもの、いつミラが……?
『パンよ』
「えっ、パン?」
「そーう! だーいせーかーい!」
女子が称賛で手を叩いた。その後、とんでもない事実を発表した。
「ここのパン全てに睡眠薬入れといたんだー!」
おそるおそるミラを見た。無防備な姿を曝け出して、楽しそうに夢の中だ。心做しか、肌が真っ白く見える。
たしかミラ、パン七個くらい食べたよな?
まさか死んでたり……してないよな……?
「おい……どのくらい入れたんだ?」
「えー? うーん、忘れちゃった。でもさ、」
―――どうしてそんなこと気にするの?
絶句した。やっぱりこいつも、精神的には「プロ」なんだ。
「しっ……死んだかもしれないんだぞ」
「だってこれ、そーゆーゲームじゃん」
「だからって―――ッ」
左脇腹を矢が掠め、制服が破けた。女子は次の矢を取っていた。俺を狙うその目は、とても同じ学校に通う女子とは思えない。百戦練磨をくぐり抜けてきた戦士のような目だ。
「油断してると死んじゃうよ?」
「くそっ!」
俺が走り出すと同時に、矢が放たれた。矢は俺の顔ギリギリを掠める。双剣を振ったが、刃は虚空を斬る。外に跳んだ女子は、着地するとまた矢を放った。避けようと右に跳ぼうとしたが、痛みで一瞬遅れた。左肩に矢が突き刺さる。その場に片膝をついた。
「いっつッ……!」
「お次はこれだよっ!」
急いで矢を抜き捨てる。女子は同じように、矢筒から矢を取り出す。しかしその矢は、今までの白とは違い、紫の羽を持っていた。
嫌な予感がする。あれに当たったら死ぬ―――。
『あれは絶対避けて!』
「くらえーっ!」
「くらうかッ!」
真っ直ぐに女子に向かうのではなく、なるべく狙いにくいように蛇行しながら俺は走った。女子は矢先を俺に合わせて動かす。しかし当然狙いは定まらない。女子は下唇を噛んだ。
「止まってよ! 当たらないじゃん!」
「わざわざ死ににいく馬鹿が何処にいる!」
女子が怒号ついでに放った矢は、明後日の方向へ飛んでいった。その隙に俺は女子に十分近付いた。
次の矢がセットされる前に―――!
「「くらえぇええええッ!」」
俺が振るった刃は、女子の弓を真っ二つに斬った。破片が飛ぶと同時に、俺の左頬から血が飛び散った。
激しい痛みに、俺は膝から崩れた。乾いた音を立てて双剣が落ちる。傷口を触ると、手にも痛みが生まれた。すぐさま手を離す。
「ふふっ……今放ったのは毒矢だよ……?」
勝ち誇ったような、だが苦しそうな声が降ってくる。見上げると、女子が苦い顔をしながら微笑していた。腕からは出血している。弓を斬った時、腕まで斬れたらしい。どうも感触が生々しかったわけだ。
女子は矢筒から矢を取り出した。紫羽の毒矢。頭の中で誰かが逃げろと言っている。だが逃げられなかった。毒のせいなのか恐怖のせいなのか。体が動かない。女子が矢を振り上げた。
俺はきっとここで死ぬ運命なんだ。
「……さようなら」
眼前に鋭い死が迫った。
―――最後に聞こえたのは、間近で肉を抉る音だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます