第25話 現在進行形の初恋その7

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 数分後、玄関から出てきた舞花はいつものスポーティーな格好とは異なり、とても女性らしい綺麗な服に身を包んでいて、いつもと違う舞花の姿に油断すると僕は見とれてしまいそうになる。


「お待たせ。じゃあ……行こっか」


「う、うん……」


 僕たちはお互い俯いて相手の目を見ることすらできないまま、すごくぎくしゃくしながら一緒に歩きだした。


 やはり、それはまるで舞花とは全然違う、出会ったばかりのただただ綺麗な女性と過ごしているような錯覚すら覚えたけれど、それでも、振り向くとそこにいるのは間違いなく舞花だった。


 諸星先輩の言う通りなのかもしれない。


 舞花は綺麗になった。


 特に、いつものようなジャージ姿やランニングウェアではなく、こんな風に女性らしい服に身を包んでいるとより一層そう感じた。


 でも、きっとそれ以上に変化したのは僕の方で、舞花が変化したこと以上に、その舞花を見つめる僕の方が変わってしまったのだと思う。


 ――僕はいつの間にか舞花を仲の良い『女の子』として、あるいは『幼馴染』としてはもう見られなくなってしまったのだろう。


 そして、僕にとってそれはとても怖いことだった。


 当たり前だ。


 変わり続けることを恐れない人間なんていない。


 ましてや、それが自分以上に大切な人のことであればなおさらだ。


「あの時もさ……」


「――?」


「あの時もさ、二人してこんな風に当てもなく歩いたよね?」


「そうだな」


 いつの話か、など聞く必要はない。


僕たちはどうしようもなくお互いの考えていることが分かってしまうくせに、ほんの少しだけ分からないことがあるだけですぐこんな風に取り乱してしまう。


「達也ってさ、走ることは楽しかった?」


 唐突に舞花が尋ねる。


「楽しくなかった」


 僕は正直に答える。


「はは、やっぱり。そうだと思った」


 舞花はいつもの笑顔で笑う。


 でも、それが作り笑いであることは何となく分かった。――何となく、分かってしまった。


「舞花は……走ることは楽しいか?」


 僕は舞花に尋ねる。


「楽しくない」


 舞花は即答する。


「まあ、そうだろうな」


 僕は表情を変えずに言う。


 いつの間にか僕たちは昨日と同じく、いつもの公園に来ていた。


 なぜか自然に足がここへ向かった。――ここに来れば、何とかなるかもしれないという淡い期待があったのかもしれない。


 特に示し合せたわけでもなく、僕たちは吸い込まれるようにブランコに乗る。


 僕が右で舞花が左、昔から変わらない暗黙のルールはここでも健在だった。


 しばらく無言の時間が続いて、僕たちが漕いでいるブランコ独特の鉄の音だけが響く。


 次第に漕ぐ勢いは強くなっていき、その度にブランコは大きく揺れて僕たちは示し合せたように相反する動きをした。


 僕が前にいけば隣の舞花は後ろに揺れ、その反動で舞花が前に漕ぐと僕は反対に後ろに下がる。


 ――ずっと、すれ違っていた。


「僕が、怪我をしたとき……」


「――?」


 僕は突然口火を切る。


「僕が怪我をしたとき、舞花が僕の代わりに走ってくれると言ってくれて嬉しかった」


「……」


「舞花が僕の代わりに走ってくれるのなら、時間はかかるかもしれないけれど、きっと僕は陸上を諦められる。そして、いつか陸上に費やした時間を後悔ではなく、懐かしさとともに振り返ることができる――そう思えたんだ」


 舞花は何も言わない。


 その横顔からは何の感情も読み取れなかった。


「でも、それがもし舞花を縛ってしまっていたのなら、何というか……それは僕のエゴだと思うからさ」


 僕自身もうまく言葉にできなかった。


 だって、あの日この公園で舞花に救われたのは紛れもない事実で、今だって心のどこかで舞花に陸上を続けてほしいと思っているから。


「……ふざけないで」


 僕の話を聞き終えた舞花がようやく口を開いた。


「ふざけないでよ!! 何を無責任なこと言ってるの!! あの時の約束が私を縛り付けているって? そんなの当たり前じゃない!!」


「……舞花」


 口火を切った舞花は止まらなかった。


「達也が悪いんでしょ、あなたのために走るって言ったのに、結局私のことなんか見向きもしないで!!


 私は、本当は陸上なんかしたくなかったし興味なんてなかった!! 普通に可愛い服を着て、友達と合コン行ったり、買い物したり、映画見に行ったり、遊園地行ったり、かっこいい彼氏とデートしたり、適当に授業に出てそれ以外は遊んだり、朝だってゆっくり寝たり、お菓子食べたり、友達と恋バナしたり、お酒飲んだり、そういう陸上以外のことだってもっといっぱいやりたかった!!


 でも、でも達也と約束したから!! 私は達也の代わりに走り続けなきゃいけないからこれまで頑張ってきたのに!!


 なのに、達也は結局私のことなんか見向きもしないで、ずっと、ずっと、私たちは幼馴染のままで、全然進展しなくて、結局私は達也の『特別な』存在になんかなれなかった!!


 どこまで行っても、どれだけ頑張っても達也は私のことなんか見てくれなかった!!」


「……舞花」


 ああ、僕はバカだ。


 舞花はずっと僕に近づこうとしてくれていたんだ。


 それをあろうことか僕はずっと気づかないふりをして無理やり幼馴染のままでいようとした。


 お互いの関係を壊さないように、僕たち二人がずっとこのままでいられるようにと。


「ねぇ達也、私を置いて行かないでよ。私達也がいないと嫌だよ。


 達也がいないと生きていけない。だって、ずっとずっと一緒にいたから。ずっとずっと好きだったから」


 舞花は涙目で訴える。


 僕たちの乗っていたブランコはいつの間にか動きを止めていた。


「お願い、私何でもするから!!


 達也が困ったときにはいつでもそばにいてあげるし、達也が嬉しいときには一緒に喜んであげるし、達也が怒った時には何時間でも話を聞いてあげるし、達也が苦しいときには私も一緒に苦しんであげるし、達也が泣きたいときには私も一緒に泣いてあげるから――だから、私とずっと一緒にいて!! 私だけを見てよ!!」


 舞花は泣いていた。


 でもそんな風に泣きながらも、そんな風に僕に怒りを見せながらも、舞花は涙を流すだけで、決して僕に当たってこようとはしなかった。


 こんなに近くにいるのに、こんなに隣り合わせなのに。


 それはきっと僕を殴ることは舞花にとって自分を殺しながら生きることと同じくらい辛いことだからなのだろう。そのくらい、気が付かないうちに舞花は僕に依存していたし、それは僕も同じだった。


 ――きっと僕たちは間違ったのだ。


 どんなに信じられる相手であっても、自分の生きる意味を他人に見出してはいけなかった。


 だって、自分の人生は自分だけのものだから。決して、誰かのために生きていいものではない。それに、そんなことをしていてはきっといつか破綻してしまう。


 僕たちは寄り添いすぎていて、そして、支え合いすぎたのだ。


『人』という字は人と人とが支え合って……なんてセリフはとても有名だけれど、しかしそれは人間の本質を現していない。


 なぜなら『人』のように、お互いがもたれかかって支え合っていては――どちらかが崩れ落ちてしまったときに二人ともダメになってしまう。そんなのは、きっと正しい在り方じゃない。


「舞花……僕は、舞花とずっと一緒にはいられない」


「……達也?」


 舞花は信じられないといった顔で僕の方を見る。


 信じていたのだろう、きっと僕なら受け入れてくれると。


 ずっと一緒にいてあげると、そんな優しい言葉をかけてくれると舞花は信じて疑わなかったのだろう。


 ――でも、それじゃいけない。


 だって、僕は仮に舞花とずっと一緒にはいられなくても、一緒に未来へ進んでいきたいと願っているから。他の誰でもなく、舞花と一緒に。


「舞花、僕たちはずっと一緒にいることはできないよ。だって、僕と舞花は違う人間だから。ずっと一緒にはいられないし、そんな保証はどこにもない」


 舞花は目を真っ赤にはらしながら、何も言わず僕の話を聞いている。


「これまで僕と舞花は一緒にいることがほとんどで、その時間は誰よりも長かったし、きっとこれからも誰よりも長い時間僕たちは一緒にいることになるんだと思う。


 ――でも、それは決して同じ道を歩むってことじゃないんだ。


 僕たちの歩む道はこれまでずっと交わってきたし、これからも交わり続けるのかもしれない。でも、きっとそれは違う道なんだよ」


「違う……道?」


「そう、違う道なんだ。僕と舞花はそれぞれ違う人生を歩むんだよ」


 無理に誰かの道を代わりに走る必要などない。自分の道を、自分だけの人生を思うがまま全力で走っていくべきだ。


 他の誰でもなく、自分のために歩み続けるのだ。


 そして、きっとそれこそが本当の意味でお互いを支え合うということに繋がっていくのだろう。


 一人で生きていくことができない人間同士が一緒になっても、それはきっとお互いが不幸になるだけだ。


「舞花、僕は舞花と一緒に未来へ進んでいきたいと思う。でも、僕は舞花がいないと立ち上がれないような男にはなりたくないんだ。


 だって、僕一人で立ち上がれるようにならないと、もし舞花が倒れてきたときに僕が舞花を支えてあげることができないから」


 そう、きっと僕たちがあるべき姿は『人』という字のようにお互いにもたれかかって生きることではない。


 隣り合っていながらも、僕たちはお互い独立して生きていく。そして、もしどちらかがよろけて転びそうになった時には、隣でポンっと肩を押してあげる――僕は舞花とそんな関係でありたいのだ。


「だから舞花にも自分の道を歩んでほしい。僕のためではなく、自分のために生きてほしい。僕も舞花のためではなく僕自身のために生きていくから、舞花も自分の人生を生きてほしい。


 そうして僕たちが自分の足で立てるようになったなら、それからは隣り合って生きてほしい。ずっと一緒にはいられないけれど、それでも、誰よりも長く同じものを見ていたい。すっと一緒にはいられないけれど、誰よりも長く同じものを共有していたい。


 ――すっと一緒にはいられないけれど、舞花と誰よりも長く一緒にいたいんだ」


 僕は舞花への想いをすべて口にする。


 でもそれは紛れもない事実で、僕は舞花と一緒に生きていたかった。


「……バカ」


 やはり僕の隣に座る舞花は目を真っ赤に腫らして、でもとびっきりの笑顔で僕の方を見て笑った。


「仕方ないわね。達也がそこまでいうのなら私は達也のために生きるのはやめるわ」


 舞花はそう言っていつもの安心するような、しかし元気づけられるような笑顔を見せる。


 やはり、そんな風に笑う舞花はこれまでと違う女性みたいに感じたけれど、きっとそれでいいのだ。


 僕たちは未来へ進んでいく。未来ある僕たちには過去と比べたりする必要などない。大切なのは『今』であり『これから』なのだ。


「ねぇ達也? そっちに行ってもいい?」


「へ?」


 舞花はそう言うや否や、僕の正面から膝の上に座るような形でブランコに乗ってきた。


 僕たち二人の間にあった暗黙のルールが崩れる。


 でもきっとこれでいいのだろう。


 これまですれ違っていた時間など気にする必要はない。これからもっと二人だけの時間を作っていけばいいのだ。


「達也、ありがとね」


 舞花はそう言うと、そのまま顔を近づける。


 僕たちの距離はゼロになって一つになったように見えるけれど、でも実際はそうじゃない。――僕たちはそれぞれの道を歩んでいる。


 それでも、少しでも多く一緒にいたいと思うことは、決して間違いじゃないはずだ。


 二つのブランコは揺れていたけれど、もうすれ違うことはない。


 ――やっと僕たちは向き合うことができたのだから。

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