第13話 用済みの名探偵その13

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 翌日、僕は礁湖にいってきますのチューをして大学へ向かう。


 今日は一限目の講義しか入っておらず、猛烈にサボりたい欲求にかられたけれど、残念なことに今日入っている講義は卒業を左右するレベルの重要なもので、とてもではないがサボるわけにはいかなかった。


「あー、かったるい」


 僕は死んだ目をしながら駅まで歩いてそこから大学行きのバスに乗る。


 駅前には僕以上に死んだ目をしながら駅の中に吸い込まれていくサラリーマンの群れがいて、僕は将来死んでもこうはなりたくないと思った。


「あら、海野杜君。おはよう」


「――?」


 振り返ると、同じバスに諸星先輩が乗っていた。


 どうやら先輩は僕より一つ前のバス停から乗車していたらしい。


「諸星先輩、おはようございます。先輩もバス通学だったんですね」


「ええ、この暑い中大学まで自転車で行くのはさすがに骨が折れるから」


 僕たちの住んでいる町はとても田舎で、電車も朝の通勤時でさえ三十分に一本しか来ない。


 さらに大学は最寄りの駅からも歩いて二十分以上かかるほど微妙なところにあるため、自宅から自転車で通うか、もしくは僕たちのようにバスで通うかのおおよそどちらかに絞られる。


 通学中のバスの中は満員というほどではないが、それでも座席は空いておらず、僕たちはつり革を持ち、隣り合って立っていた。


「昨日はごめんなさいね」


 先輩は僕の方を見ず、唐突にそう言った。


「いえ、気にしないでください」


 僕も先輩の方を見ずに返す。


「でも、昨日の私すごく感じ悪かったでしょう?」


「ええ、そうですね」


「……」


「すいません、冗談です。気にしていないのは本当ですからそんなに思いつめないでください」


「そう? ならよかった」


 そこまで言うと、再び僕たちの間には無言の時間が流れる。


「せ、先輩ってこのあたりに住んでるんですか?」


 僕は何となく沈黙に耐えられなくなって話題を変えた。


「え? もしかして海野杜君、今度は私の家まで押し掛けてくる気なの?」


「違いますよ!? ちょっと聞いただけじゃないですか!」


 どうやら、昨日から僕に対する誤解は続いているらしい。


 名探偵なら何よりもまず僕に対する疑いを晴らしてほしいところである。


「冗談よ。そうね、家は駅からちょっと歩いたところにあるわ」


 先輩はまだ若干疑いの残った目で僕の方を見ながら渋々といった感じで答える。


「そうなんですか。僕も駅から歩いてすぐのところなので、ひょっとすると案外近くなのかもしれませんね」


「そうね。でも、最近では家に帰るよりも事務所に寝泊まりすることの方が多いの」


「へー、そうなんですか。でもご家族の方とかは心配しないんですか?」


「両親は……どっちも家にはいないの」


 先輩は少し俯いてその横顔は少し陰る。


「私が小さい頃に両親が離婚してね。私は父親の方に引き取られたのだけれど、父はずっと仕事で海外に行っているの。だからもう何年も会っていないわ」


「……そうなんですか」


「ええ、もうずっと小さい頃からそうなの。だからきっと父は私がかつて名探偵として世間からちやほやされていたことや今の私の現状なんて知らないんじゃないかしら? きっと普通のどこにでもいる女子大生に育ってくれていると信じていると思うわ」


「……」


 昨日思ったことが的中してしまった。


 何となく先輩はいつも一人なんじゃないかと思っていたけれど、きっとそれは当たりだったのだろう。


 と、そのとき僕たちの乗っていたバスが大学の前に到着した。


 僕たちはそのままバスを降りてキャンパス内に入る。


「それじゃあ海野杜君、私はこっちだから」


「そうですか。それじゃあまた」


「ええ、また」


 そう言って僕たちは特にそれ以上会話をかわすこともなく、それぞれが向かう教室のあるキャンパスに向かって別れた。


 その日の講義の内容はとても難しく、集中していないと簡単についていけなくなってしまうそうだったけれど、それでも、僕はずっとぼんやりしていて、全く頭に入ってこなかった。




 講義が終わってすぐ、僕は駅方向のバスに乗って自宅へと帰っていた。


 時刻はまだ十一時過ぎといったところで、買い物をして帰れば丁度礁湖の昼食の時間に間に合いそうだった。


 僕は駅と自宅の丁度間くらいにある大型のスーパーで食材一式を購入して帰路についていた。


 こんなスーパーから自宅まで帰る間にもふと考えてしまう。


 要するに、僕や先輩みたいなのは単にステータスの振り方を間違えてしまっただけなのだろう。


 社会で価値のないものにステータスや時間を全振りしてしまったがゆえに、普通は当たり前に備わっているはずの能力や、他の人にとっては簡単にできることが僕たちにはとても難しいことに感じてしまうのだ。


 世の中には一つの分野において天才的な能力を持つ一方で明らかに他のことにおいては社会不適合者同様の人間もいる。


 だからこそ、かつてスポーツの世界でスターだった選手たちが引退した途端に借金まみれの生活を送るようになったり、犯罪に手を染めてしまったりするケースは僕たちもよく知っているはずで、大それたことを言わせてもらえれば、結局それは彼らも僕たちみたいなやつらと基本的には同じ人種であるからこそ起こり得ることなのだろう。


 天才的な野球選手だけど人とコミュニケーションが取れない人間、常に将棋のことを考えてしまうがゆえに一人で運転することもできない天才棋士、歴代随一の才能を持ちながら何よりも金に執着してしまう天才ボクサー、自分が勝つたびにどんどんおかしな宗教にのめりこんでいく天才テニスプレイヤーなど、そんな事例は山のようにある。


『人には誰でも自分だけの優れた才能を持っている』なんてことは小学校の道徳の授業で使う教科書にも書かれてあるようなことで、きっとそれは紛れもなく事実なのだろう。


 僕や先輩と彼らのような本物の天才たちに違いがあるとすれば、それは『才能の価値』なのだ。


 人間なら誰しも才能は持っている。ただし、その才能だけで社会を渡り歩けるほどの価値を生み出せるかといえば、もちろんその限りではない。


 例えば、某国民的アニメの主人公でいつも青色の未来から来た猫型ロボットに助けられている少年がいる。


 彼は勉強も運動もダメで、おまけに〇×問題でゼロ点をとってしまうほどの運のなさまでそろっているどうしようもないやつだ。


 でも、そんな彼にもちゃんと才能はある――射撃と、あやとりと、昼寝だ。


 でも実際にはそんな才能あってもどうなるものでもなくて、結局彼は苦労する人生を歩んでいくのだろう。


 そう言う意味では、きっと天才と凡人を分けるのは『才能の有り無し』ではなくて、『自分の持って生まれた才能に価値があるか否か』なのだろう。


 ――人は誰でも天才ではあるけれど、その才能が社会に必要とされているとは限らない。


 きっと、ただそれだけのことなのだろう。だけど――


「やっぱり気に入らねぇな」


 才能に胡坐をかいていたやつらが転落していくことなんてざまあみろとしか思えないし、そんな奴らは陸上の世界で嫌というほど目にしてきた。


 でも、自分にはこれしかないと、そう思ってその才能に自分の人生すらかけた人間の先に待っているものが、報われないものであっていいはずがない。


 ――そんなことは、絶対にあっていいはずがないのだ。

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