第12話 用済みの名探偵その12

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『一人ではどうしようもなくなってしまったときだって、周りに自分の味方が誰かいてくれればそれだけで人は救われることもあるの』


 僕は夕食のときに礁湖が言った言葉を思い返していた。


 ちなみに礁湖は今入浴中で、僕はソファーで横になってくつろいでいる。


 そんな風に一人で考えていると、不意に舞花のことが頭をよぎった。


 僕があのどん底から今こうやって生きていられるのは大げさでもなく舞花のおかげだ。


「僕にとっての舞花のような存在が先輩にもいるんだろうか?」


 一人でそんなことを呟いてみたものの、正直それはないような気がしていた。少なくとも大学内にはきっとそういった人物はいないのではないかと思う。


 諸星先輩と話をしたのは今日が初めてだったけれど、諸星先輩の存在自体はずいぶん前から知っていた。


 かつて有名だった名探偵の成れの果て。またそのルックスも相まって諸星先輩はおそらく自分が思っている以上に大学内では目立つ存在だ。


 ――でも、いつも一人だった。


 僕が舞花や数少ない友人としか話をしていない以上に、僕が見かけた諸星先輩はいつも一人だった。


 だから、


「だから僕が先輩にとって舞花みたいな存在になれればいいのにな」


 と、そんなことを思った。


 僕は突然ソファーから起き上がると、スマホを取り出し、LINEで電話をかける。


『もしもし、達也? どうしたのこんな時間に?』


 電話口からは聞きなれた舞花の声が聞こえる。


「舞花、今から会いに行ってもいいか?」


『……え?』




 舞花の家は僕の家から歩いて五分ほどの距離にある。


 僕たち家族がこの家にやってきたのが今から十年以上前なので、僕たちは小学生の頃からの付き合いということになる。


 ご近所同士であり、同じ学校に通う同級生でもあり、そして――つい数年前までは一緒に陸上競技に励む仲間だった。


 僕が怪我をしてふさぎ込んでいた時期に一時疎遠になりかけたものの、舞花のおかげで僕たちの関係はこれまでと変わらず続いている。


 ――そう、これまでと何ら変わりなく。




「いらっしゃい達也。上がってよ」


 舞花の家についてインターフォン押すと、すぐに舞花が玄関を開けに来てくれた。


 一瞬、僕はドキリとしてしまう。


「あ、ごめんね、こんな格好で。さっき達也から電話がかかってくるまでお風呂に入っていたから。今はお風呂上がりのストレッチをしてる途中なの」


 そう言った舞花は、なるほど薄着のとてもラフな格好で、それが風呂上がり独特の艶めかしさと普段陸上で鍛えられた健康的な肢体と相まって――なんというか、僕は舞花を直視できなかった。


「お、おじゃまします」


「はい、どうぞ」


 僕は少し緊張しながら家の中に入る。


 最近はいつもこんな感じだった。


 舞花は、昔から知っている気心知れた仲で、家族以外では僕が唯一心を許せる相手なのに、最近――僕は舞花と話す時いつも緊張してしまう。


 特にこんな風に無防備な格好をした舞花を前にするとそれはより顕著だった。


 もちろん、この感情がどういう類のものなのか分からないというほど僕は子どもではない。分かっているけれど、それでも長い付き合いだからこそ踏み込めないところもある。


 ――家族と同じくらい信頼している人を失うのは、やっぱり僕だってこわい。


 それは僕みたいな社会不適合者でも同じで、それに、きっと舞花にそんな気がないことも分かっている。


 それならきっとこの関係をずっと続けていくのが僕たちにとって最適解なのだろう。


「コーヒーくらいは出してあげるからゆっくりしていってね」


「ありがとう」


 そう言って舞花は台所へ向かった。


 僕は勝手知ったる感じでリビングにあるテーブルに腰かける。


「はい、どうぞ」


 しばらくすると舞花がインスタントコーヒーを淹れたマグカップを僕の目の前に置く。


『砂糖は何個必要か』なんてことは聞かない。


 僕がブラックしか飲まないことを舞花は分かっている。


「あれ? おじさんとおばさんは?」


「ああ、今日はまだお父さんもお母さんも仕事から帰ってきてないの。最近仕事が忙しいみたい」


 舞花はそう答えると、おそらく僕が来るまでに行っていたのであろう風呂上がりのストレッチを再開した。


「そっか……」


 僕はコーヒーを一口すする。


『この関係をずっと続けていくのが僕たちにとって最適解』だということはもちろん分かっているけれど、それでも、舞花が時折見せるこういった無防備なしぐさにはどうしてもドキドキしてしまう。


「それで? 今日は急にどうしたの?」


 横でストレッチと続けながら舞花は僕に尋ねる。


「別に。ちょっと舞花の顔が見たくなっただけだよ」


「えー、何それ」


 舞花は心なしか上機嫌に笑いながら言う。


 現在進行形でドキドキしっぱなしのはずなのにこんなセリフが言えるのは単純に付き合いの長さゆえだろう。


『思ったことは何でも口に出せる』なんて、そんな関係は家族以外ではやはり舞花だけだった。


「なあ、舞花。三年の諸星先輩って知ってるか?」


 僕は切り出した。


「うん、知ってるよ。彼女有名人だもん。それがどうかしたの?」


「それが……」


 僕は今日一日起きたことをすべて舞花に話した。


 諸星先輩と出会ったこと、礁湖にたしなめられたこと、それらすべてを洗いざらい話した。


 舞花はストレッチを続けながら、僕の話を聞いて時折相槌を打ってくれた。


「……というわけなんだ」


「なるほどね。それで達也は私に会いたくなっちゃったんだ?」


 舞花は顔だけを僕の方に向けてにやりと笑う。


「別に、そういうわけじゃねぇよ」


 僕はコーヒーを飲みながら舞花から目をそらした。


「ふふ、そう? ならいいけど」


 そう言ったところで丁度ストレッチを終えた舞花がテーブルをはさんだ僕の目の前に座る。


「ありがとうね、達也」


 舞花は僕の目を見て言った。


「何で舞花が僕にお礼を言うんだよ」


「別に。何となく達也にお礼が言いたくなったの」


 そう言うと舞花は僕の目の前にあったマグカップを奪い取り、まだ半分ほど残っていたコーヒーをすべて飲み干してしまった。


「……苦い」


 舞花は顔をしかめる。


「お前何してんだよ。コーヒーは砂糖とミルクいっぱいじゃないと飲めないくせに」


「いいじゃない? たまには達也と同じようにブラックが飲みたくなったの」


 そう言って舞花は速足で冷蔵庫まで歩くと、中に入っていた牛乳を腰に手を当てて勢いよく飲んだ。


 僕たちはきっと変わらない。


 おそらく、ずっと先もこんな感じなのだろう。


「達也の好きなようにすればいいよ」


 唐突に牛乳を飲み終えた舞花が口を開く。


「きっとそんな達也に救われている人だってきっといるよ。それに、何かあったら私も協力してあげるからさ」


 そう言った舞花は笑っていたが、それがどこか無理をしているようにも感じた。


「舞花、ありがとな」


 でも、僕は幼馴染のそんな部分には触れず、ただただ舞花に頼るだけだった。


 ――いつもそうだ。


 僕は舞花から励まされることで勇気をもらい、そして――いつも与えられてばかりの自分のことがほんの少し嫌いになる。


 きっとこんな関係はこれからも変わらないのだろうし、きっといつまでたっても僕はこんな人間なのだろうと、どこか諦めたようにそんなことを思った。

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