第4話 用済みの名探偵その4
004
「おはよう達也、時間ぎりぎりなんて珍しいね」
これから二限目の講義が始まる教室で、ノートを開くわけでもなく、さりとてスマホをいじっているわけでもなく、一人でつまむにはやや中途半端な大きさのクルミパンを食べながら隣に座る僕に話しかけてくるショートカットの少女。
活発そうでいかにもスポーツ少女と言った雰囲気のこの少女の名前は
「おはよう舞花。別に、ちょっと義兄としての自分の立ち位置に迷走していただけだよ」
「ははは、何それ? 意味わかんない」
そう言って舞花は手に持っていたクルミパンを完食した。
「相変わらず達也は礁湖ちゃんにべったりなんだね。仲がいいというか、シスコンというか……」
「何度も言っているが僕はシスコンじゃない。ちょっと人よりも家族愛が強いだけだ」
「それを世間ではシスコンって言うのよ。あのね達也、お願いだから近親相姦で捕まったりしないでね? 幼馴染がそんなことで捕まるとか私イヤよ?」
「大丈夫だ、礁湖は義理の妹だから万が一のことが起きても法律的には問題ない。法律的に問題があるのは義理の母親の場合だけで義妹の場合なら大丈夫だ。ちゃんと調べたし法学部の教授にも聞いたから間違いない」
「やっぱりこの兄妹普通じゃない!?」
そんな風に僕たちは他愛のない会話をする。
舞花とは長い付き合いで、彼女は僕たち家族のことや細かい事情なども概ね把握している。だからこそ、こうやって僕たちはお互いに気兼ねなく話すことができる。
二限目開始のチャイムはすでに鳴っていたが、開始時間を数分過ぎても教授は教室に現れなかった。そのため教室内は私語をしたり、スマホをいじったりと皆だらだらと過ごしていた。
「相変わらずこの授業の先生は時間通りに来ないな」
僕は愚痴を漏らす。
「ははは、まあね。でもその分レポートを書くだけで簡単に単位もらえるって話だし少しくらい別にいいんじゃない?」
「まあそうなんだけどさ。でもこうやって人の時間を適当に奪うのは本当に勘弁してほしいよ」
ついそう呟いて横を振り向くと、隣の席に座っていた舞花が僕を少し寂しそうな目で見ていた。
「やっぱり、まだ後悔してる?」
突然舞花が神妙な面持ちで問いかける。
「……別に。まあ人生のステ振りをミスったとは思うけどさ」
つられて僕も少し俯いて返す。
「そんな風に言わないで。ひょっとしたらこれから先、これまでの経験が活かせることだってあるかもしれないよ?」
「まあな。それに、結局なくした時間を後悔しても仕方がないし、こんな俺でもまともな人間になれるように何とかやっていくしかない……よな」
「えー、それは無理じゃない?」
「……え?」
気心知れた幼馴染からのまさかの発言に僕は焦る。
「だって、達也が普通の社会人になる未来とか想像できないもの。どう考えたって会社勤めとか無理そうだし、絶対定職に就かずふらふらしてるわよ。それか、義妹のヒモになるかのどちらかね」
ひどい言われようだった。
何より、幼少の頃から知っている幼馴染の未来予想には無駄な信憑性があって、なぜだか僕の額からは変な汗が噴き出してきた。
「そんなこと……ないよ」
「おや? 突然声に力がなくなったよ?」
そう言って僕の隣に座る舞花はニヤニヤ笑っている。
悔しいが見える……義妹のヒモになる義兄の姿が。
「そんなに必死になって『普通』になろうとしなくてもいいんじゃない? 達也はさ、達也らしくやりたいようにやっていく方がきっといいよ」
「そ、そうかな?」
「きっとそうだよ。……それに、その方が私も安心するし(ボソッ)」
「え? なんだって?」
最後に舞花が呟いた声は小さすぎて僕には聞き取れなかったけれど、僕から目をそらす舞花の頬は少し赤くなっているのは分かった。
「まあたとえ達也がまともな社会人になれなくても私と礁湖ちゃんで稼ぐから達也は専業主夫にでもなればいいよ」
「礁湖はともかく、何で僕が舞花に養われなきゃいけないんだよ」
「……鈍感」
「え? だからなんだって?」
また小声で聞き取れなかったが、今度は先ほどと違い、唇を少しとがらせて僕に怒っているのが分かった。理由は皆目見当もつかないけれど。
僕たちはお互いに口を閉ざした。
無言で特に会話のない時間が続いたけれど、少なからずこういった時間すらも心地よいと思えるのは、きっと僕が舞花のことを信頼しているからなのだろう。それこそ、家族同然のように。
周りで私語をしている学生たちの声がやたら大きく聞こえた。
「まあでも……」
そんな雰囲気の中、舞花が口を開く。
「私にとっては今だって別に時間を無駄にしてるって感じはしないよ? 私にとっては達也とこうやって二人きりでおしゃべりできる時間はとても楽しいもの」
「……」
「達也にとってはやっぱり無駄な時間?」
舞花はこっちを見て少し不安そうに僕に問いかける。
「……いや、僕もすごく楽しいよ」
そう答えると舞花は少しうれしそうに笑って
「えへへ、ありがと!」
と、そう返した。
僕は少し恥ずかしくなって舞花から目をそらした。
――だって、まさか舞花も僕と同じことを考えていたなんて思わなかったから。
「そ、そんなことより、陸上の調子はどうなんだよ?」
僕は恥ずかしくなって話題を切り替える。
「え? う、うん。バッチリだよ」
舞花は少し戸惑いながら答える。
そんな舞花の様子に僕は少しだけ違和感を感じた。
「舞花、お前――」
――ガチャ。
そのとき大きな音を立てて教室の一番後ろのドアから大慌てで教授が走ってきた。
「いやいや皆さんすいません。遅くなりました」
そう言って教卓に到着して開口一番謝罪した教授は、しかし次の瞬間には何事もなかったかのように授業で使うレジュメを配り始めた。
「――? 達也、どうかしたの?」
僕は舞花に対して何か言いかけたが、何となくタイミングを外したような感じになってしまって、
「……いや、別に何もないよ」
と、そんな風に答えてしまった。
教授から配られたレジュメが後ろの席まで行き渡るにつれて、教室内の私語も少なくなっていった。
それから僕たちは特に会話をすることなく、お互いに前を向いて教授の話す内容に耳を傾けていた。
特に会話こそなかったけれど、それでも舞花とこうやって並んで座っているのは、やはり僕にとってはとても居心地の良い感覚で、講義の内容は正直つまらなかったけれど、こうやって二人して並んでいる間は、とても時間がゆっくりと流れていくのが分かった。
不思議なことにゆっくり時間が流れているように感じるのにあっという間に授業終了のチャイムが鳴る。
きっと本当に居心地のよい空間というのはこんな感じなんだろうな、と僕はそんなことをぼんやりと思った。
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