私を忘れて

翡翠 蒼輝

少女の思い出


 建物は壊れ、生命は死に絶え、井戸水も枯れた。ただただ廃れた村が眼前に広がっている。

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 ──いや、理由はわかっている。わかっていても、どうしようもない虚無感だけが心を満たしていく。


「私はただ、みんなのことが好きだっただけなのに」


 ぽつりと零した言葉は誰にも届かない。彼女が愛した人たちは、もう誰もいないのだから。



 始まりは小さなことだった。みんなに出会い、認められ、楽しく過ごした。大したことはできなかったけど、それでもみんな優しくて、暖かかった。

 気づいたのはほんの偶然。たまたま通りがかった畑が数日前の嵐でぐちゃぐちゃになってしまっていたのだ。

 私は思った。この畑をどうにかして直せないだろうか、と。だから願った。いつも分け与えてもらえる優しさを知っていたから、その恩を返したいと思った。


 そしたら、畑が直っていた。作物も完璧とはいえないけど、一部は元気になっていた。

 村の人たちはその様子を見ていたのか、すぐに私の仕業だと気づいたみたい。私はいつもの恩返しをしたかっただけだし、完璧に復元できたわけでもない。なのに、凄く感謝してくれるみんなが好きで、私はもっとみんなの役に立ちたいと思った。


 私は頑張った。みんなが私に優しくしてくれると、いろいろとできることも増えているような気がした。私はみんなと遊んで、はしゃいで。誰かが困っていたら助けてあげる。みんなも私が困っていたら助けてくれる。嬉しかった。

 みんなと優しく楽しく過ごせるこの時間が好きだった。


 嵐が来たら家屋と家畜と畑を守り、守り切れなかったら「ごめんね」って謝りながらみんなで直した。

 誰かが風邪をひいてしまったら付きっきりで看病して、みんなで治してあげた。

 井戸水が枯れてしまったら新しい水源が見つかるようにみんなで頑張った。

 みんなで作って、みんなで治した。

 いつしかそれは恩返しというよりも、私がみんなを好きだからする、という簡単なものになっていた。それでいいと思った。


 思っていた。


 おかしいなって思ったのはみんなに出会ってから三年くらい経った頃だったっけ。みんながいつも通りに遊びに来て、一緒に話したり、感謝してくれたりする。

 だけど、その中に覚えのない出来事が混ざっていたんだ。


 最初は寝ぼけてたとかド忘れしちゃってたのかなって思った。でも、違った。

 そのの話題は日に日に増えていき、勘違いで済むようなことではなくなってきていた。


 みんなは私がやったことだと思っている。だけど、私はやっていない。それだと本当にやってくれている人がかわいそうだ。

 そう思って私は家を出た。久しぶりに一人で村を回った。


 そして、見つけてしまった。


 とある民家の一つ。私にはなぜかその民家に違和感があって、駆けていったんだ。物音もしないからそのまま民家に入ると、広間で誰かが死んでいた。

 怖かった。

 死体を見てしまったからではない。自分が、この村で誰かが死んでしまったことに気づかなかったということ。

 そして、見覚えのあるはずのその顔が、のだ。


 村を回っていく。様々な違和感が積みあがっていく。ここは、本当に私の愛した村なのだろうか。


 眩暈が強くなってくる。大丈夫、まだ落ち着ける。


 少し怖くなって、家に戻ることにした。そこにはみんながいる。私を温かく迎え入れてくれるみんな──


 誰?


 顔は覚えている。みんな私の──私に感謝してくれた人たち。でも、誰かはわからない。

 焦って、焦って。それでも実際に会えばきっとわかると思って家まで走った。

 そして、出会ってしまった。


「やあ、遅かったね」


私と同じ顔をした誰かに。


「君はやりすぎたのさ。ああいや、別に悪かったわけではないよ」

「ただ、君の体が。器が彼らのに耐えきれなかっただけの話」

「だから、溢れすぎた信仰が『私』という新しいみんなの神様を作り上げてしまったというだけの話なんだよ」


 私は何も言えない。何も、言葉が出てこない。


「簡単に言ってしまえば、君という神様はもうこの村には必要ない」

「君はこの村人たちに好かれ過ぎた。そして、君も好きになりすぎたんだ」


 なんで。どうして。私は、ただ、みんなと一緒にいたかっただけなのに。


 私の村が、私の居場所が、なくなっていく。もう、ない。

 こんなことになるなら。私が私でなくなるなら。それが、集め過ぎた信仰によるものなのだとしたら。


 私は願う。


「信仰しないで」


 これ以上大きな存在にはなりたくないから。



「私を忘れて」


 最初から。また一からこの村でみんなと生きていきたいから。


 だから、そのために。今までのすべてを。



「すべてをなかったことにして」


 また、この小さな村で一緒に


 過ごしていきたかった。





 願いは聞き届けられた。いや、もしかしたら私に残されたみんなの信仰の力が、可能にしたのかもしれない。


 そして信仰は消え、私という神様は忘れられ、私がしてきたこともすべてなかったことになった。


 村は、死んだ。


 畑は荒れ、病は収束せず、井戸水も枯れたまま。

 私はいなかった。いなくなった。してきたことが、すべてなくなった。

 私の祈りは時間を置き去りにしたのだ。ただ、望んだ過去に帰るのではなく、願いをそのまま、この時代に放置した。


 大好きだったみんなはもういない。私が、殺したから。


 建物は壊れ、生命は死に絶え、井戸水も枯れた。ただただ廃れた村が眼前に広がっている。

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 ──いや、理由はわかっている。わかっていても、どうしようもない虚無感だけが心を満たしていく。


「私はただ、みんなのことが好きだっただけなのに」


 ぽつりと零した言葉は誰にも届かない。彼女が愛した人たちは、もう誰もいないのだから。


 信仰を失った神は、ただ忘れ去られ、消え行くのみ。


「……ごめんね、ダメな神様で」


「こんな言葉じゃ、自分勝手で、迷惑だなって思うだろうけど」


「ありがとう。みんなと過ごせた時間は、とっても楽しかったよ」


 一筋の涙が少女の頬を伝う。

 その涙が地面に落ちたとき、そこにはもう、誰もいなかった。


 誰もいない、廃れた村だけが残された。


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