38.時は巡りて(完)


 季節が、一巡した。

 あの頃と同じように初夏を迎える空気が学園内に広がり、今日も生徒たちは勉学に勤しむ。

 中等部であった紅子は高等部へと上がり、浅葱は高等部二年生として過ごしている。従兄の匠は去年の秋ごろに留学を終えて帰国し、そのまま生徒会長となった。相変わらず、彼は忙しいらしい。


 そんなある日、浅葱は一通の封書を手にしていた。

 それは、地方の古社からの退魔依頼であった。

 社に巣食った悪霊の存在が強まり、鎮めの祈祷も効かずついには人に害をなすに至ったため、祓い手を求めてきたという。


「……匠兄さんじゃなくて、僕のところに?」


 浅葱は眉をひそめながらも、どこか納得していた。

 土御門家以外にももちろん退魔師の存在はいるが、他家には他家の役割がある。幸徳井家も最近では土御門家に準じると公言していることもあり、敢えて表舞台には立たないようになった。紅子は経験を積むためと影ながら頑張っているが、兄の静柯が夜の見回り等を禁じているため、やはり名を馳せるのはこれからになっていくのだろう。

 それはすなわち――「役割」が巡ってきた、ということだ。


「さて、そろそろ出るけど……準備はいいかい?」


 背後から、朔羅の声がした。

 振り返ればそこには、いつもと変わらぬ『一の式神』の姿がある。


「うん。行こう」


 この依頼には、自分の足で応えるべきだと、浅葱は思っていた。

 同行するのは、朔羅一人である。白雪は門を預かる役目に徹し、紅炎と颯悦はそれぞれ別任務にあたっている。

 だからこそ、今この場では――主と式神、ただ二人での出立だった。



  ◆

 


 依頼先の社は、町外れの山中にあった。

 訪れる者もほぼなく苔むした鳥居に、古びた注連縄が色褪せて風に揺れている。

 かつての信仰が、ゆるやかに朽ちていく――そんな風景の中で、強い負の気が地に溜まっていた。


「……悪霊、と言うより、祀られ損ねた存在……かな」

「信仰が消えれば、神もまた地に堕ちる。寂れてしまった土地では、よくある話だよ」


 浅葱は浄化札を片手に持ち、社殿の奥へと踏み入った。

 朔羅は言葉少なに後をついてくる。どちらともなく呼吸を合わせ、浅葱の手刀がすらりと空気を切った。


「――契、土御門の名において、ここに鎮めを授けん」


 静かな声が、空間に満ちる。

 悪霊の呻きがじわりと響くも、それは朔羅が背後で放った鋼糸こうしが一瞬でかき消した。

 怨念は残滓のように霧散し、結界の中に吸われていく。

 十数分の出来事――短い戦いの果て、社の空気が澄み渡っていった。


「ふぅ……うん、大丈夫そうだね。終わったよ」

「お疲れ様、浅葱さん」


 朔羅が微笑み、小さく頷いた。

 そうして彼は浅葱を軽く抱き込んで、主の肩に若干残る塵のような悪霊の欠片を払いのけた。


「おぉ……なんと……」

 

 そんな声にふと振り返れば、社の隅に身を伏せていた神職らしき老人が、ゆっくりと立ち上がり周囲を不思議そうに見ている。それほど、この場の穢れは深刻だったのかもしれない。

 手の施しようもなく、普段は山の麓で様子見するだけの彼だったが、今回は浅葱の任務の見届け人として訪れていたのだろう。


「どんなに手を尽くしても……あれほど不気味でしかなかった社殿が……ありがとうございます。土御門さま!」

「……いえ、少しでもお役に立てたようでよかったです。鳥居の注連縄だけは、近いうちに新しいものへと変更しておいてくださいね」

「はい、明日にでも、すぐに」


 その老人からは、たくさんの手土産をもらった。

 この土地で育った特産品や、少々珍しい珍味なども混じっている。

 一緒に謝礼の封筒も差し出されたが、浅葱は敢えてそれだけは辞退した。


「これだけ頂ければ十分です。お金は社殿の修復などにお使いください。もし何か足りないものがありましたら、僕のほうからも支援できますので」

「おお、なんと慈悲深い……信仰を取り戻せるように努めます」

「それでは、僕たちはこれで失礼しますね」

「重ね重ね、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」



  ◆

 


 帰り道。下山途中の道で、浅葱は空を見上げた。

 朔羅が本来の狐の姿になり背に乗っているために、吹き抜けてくる風が心地よかった。

 これから梅雨の時期に入り、不快指数も上昇する一方だろう。このタイミングで依頼を受けられたことはむしろ良かったのかもしれない。


「……最初の頃は、こういうのがすごく苦手だったけど……これが、僕の役目なんだね」

『そうだね』

「賽貴も喜んでくれるかな」

『……きっと誰よりも君のその成長を喜んでると思うよ』


 朔羅が、淡く笑う。

 その言葉に浅葱もまた、ひとつ深く息を吐いた。

 一年の間に、大きく変わったことが一つだけあった。それは、賽貴が正式に式神としての契約を終わらせたという事だ。首の後ろに刻まれていた印も消え、彼はこれから永い時間、妖魔たちすべての王として過ごしていくと言う。

 そうして、その隣にはかつての賀茂浅葱の姿があると聞いた。

 それを聞いただけでも、浅葱自身は満足している。少しの寂しさも確かにあるが、これで良かったのだとしみじみと感じた。


(あの二人が少しでも穏やかな気持ちで過ごせれば……僕も嬉しい)


「――朔羅。これからも、よろしくね」

『もちろんだよ。君が僕を選んだ限り、僕は君の式神であり続けるし、特別な存在としても居続けるからね』

「……うん」

『じゃあ、帰ろうか』


 うん、と小さく返事をしてから、自分の手元を見た。今は朔羅の白銀の体毛を握りしめているが、そこに迷いや緊張など無い。

 あの頃とは違う。見て見ぬふりをしないし、もう逃げない。そして恐れもしない。

 嫌で仕方なかった『浅葱』という名前。だが今ではこの響きは、自身の誇りにも繋がっている。


 歩いていく先に、誰かが待っているかもしれない。

 まだ知らぬ道に、意味があるのだと信じて。


「僕は、これからも土御門浅葱で在り続ける――」


 そう呟いた言葉が、空気に乗ってどこまでも澄み渡っていくような気がした。



 終

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夢月夜 Re:或いは新しいモノ 星豆さとる @atsu86

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