07.喚ぶ者と喚ばれる者。(ニ)

「…………」

「…………」


 賽貴と二人きりとなってしまった自室は、一気に空気が重くなるような気がした。それでも浅葱は、僅かな沈黙の後、いつもとは違う言葉を発した。


「賽貴、聞きたいことがあるんだ」

「私でお答えできることでありましたら、何なりと」

「……僕に、あなた達を喚ぶ方法を、ちゃんと教えてほしい」

「浅葱さま……」


 賽貴は浅葱の言葉に、少し驚いているようであった。それだけの否定をしてきたのだから、仕方ないと浅葱は感じている。


「全部、じゃないけど……ちょっとだけ、前向きに考えてみようと思うんだ。だから……」

「わかりました。では、私の前に座ってください」

「うん……」


 自分の一の式神は、いつでも淡白であった。

 一番気にかけてくれていて、一番甘やかしてくれて、そして一番に厳しくもある。

 最近は教師の姿でしか彼を見ては居なかったが、今日は本来の黒い着物と後ろで括られた長い髪。それが少しの緊張を生み、浅葱は当然のように身構えつつ、彼の前に腰を下ろした。


「……方法と言っても、我々からお伝えするのは少々難しくもあります。匠さまからや学園で学んだことも記憶に新しいかと思いますが」

「えっと……言霊、なんだよね?」

「そうです。例えば、先程の琳の件がそれにあたります」


 賽貴にそう言われて、浅葱は素直に「ああ」と納得した。

 無意識に猫の名を呼んだ。それが、琳という名と重なり合い、形となった。

 幼い頃から、ずっと言われ続けられてきたことだ。式神を喚ぶのは、『言霊』であることが必須条件だと。

 それが浅葱には、どういうことなのかいまいち理解できなかった。

 言葉であるからこそ、難しいのだ。説明する側にしても、『自然に』とでしか伝えられない。

 そして、それを意識しすぎてしまうと、ただの言葉にしかならない。


「……僕の場合は、どうしてもこうやって構えると、やっぱり無理だ……」


 浅葱がため息混じりにそう言うと、賽貴は小さく微笑んでから口を開いた。


「浅葱さまは、やはり気づいていらっしゃらないのですね。こうして私を、ここに喚んだではありませんか。あの感覚でよろしいのですよ」

「え……だって、賽貴はずっと式神符から出たままだよね?」

「……さすがに、私も夜はそちらに戻ります」

「…………」


 苦笑交じりにそう言われて、浅葱はぽかんと口を開けて言葉を失った。

 ずっと、賽貴はこちら側に出たままだと今の今まで思い込んでいた為だ。


「え、……え? だってじゃあ、さっきの……」

「そうです、あの時私は、式神符におりました」

「……は……」


 信じられなかった。だが、賽貴が嘘を言う性格ではないというのは知っているし、嘘をつく理由もない。

 だとすれば、あれもそうであったのだ。猫の名を呼んだ時のように、『普通』に、名を呼ぶだけ。

 だがしかし、それは簡単なことでない。


「……そうですね、では、方法をもう一つ」

「え……」


 浅葱の徐々に曇っていく思案顔を黙って見ていた賽貴が、ゆっくりと口を開いた。

 それに驚いた浅葱は、僅かに瞠目して彼に視線を合わせる。


「名を発する時に、心でも同じ名を呼んでください」

「心で……」


 視線の先にあるのは、賽貴の金の瞳。

 その色を見ながら、浅葱は彼の言葉を反復した。

 同じ名。例えば、ニの式神である朔羅さくら


「朔羅」

「――おはよう、浅葱さん」


 三の式神は紅炎こうえん


「紅炎」

「ここに」


 四の式神は、とある童話の姫と同じ名の白雪しらゆき


「白雪」

「お呼びでございまするか」


 そして、五の式神は颯悦そうえつ


「――颯悦」

「はい」


 ものは勢いだ、と思いながら式神全員の名を呼べば、彼らは自然と浅葱の目の前に現れた。賽貴と朔羅以外、初めて顔を見る者たちでもあった。


「……こんなに、簡単な事だったのか……いや、違うね……僕がずっと、心で否定してたからなんだ」


 浅葱は苦笑しつつ、そんな言葉を漏らした。

 受け止めた式神たちは、それに言葉を返せずに居る。だが個々に、彼らは嬉しそうでもあった。


「僕が思うに、こっちの方法のほうが浅葱さんには合ってたんじゃないかなぁ」


 そう言ってくるのは、朔羅であった。

 彼とは距離を置きつつであったが、もう幾度も言葉を交わした仲でもある。


「――朔羅には、ひどいことを言ったよね、僕」

「気にしてないよ。これでも君の事情は、充分すぎるくらい理解してるつもりだからね」

「ごめん……ありがとう」


 賽貴に冷たく当たった時のように、浅葱は朔羅にも自分のことは守らなくてもいいし、構って欲しくはない、と言ったことがあった。

 あからさまな拒絶であったそれを、朔羅は嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれた。遠くから見守るくらいは許してほしい、と伝えながら。

 そして。


「紅炎……颯悦、それから、白雪」

「はい」


 浅葱は改めて、彼らを交互に見た。紅炎も颯悦も白雪も、同じ返事を同時に発して頭を下げている。

 彼ら五体の式神の存在を初めて知らされた時は、自分はまだ小学生であった。彼らは生まれた時から自分に付き従うものだ、と聞いてはいたが、一時は自分の傍からその気配を感じることは出来なかった。

 従兄弟の匠が、預かってくれていた時期があるのだ。一年ほどの時であったが、浅葱はその間をまるで他人事のようにして気にも留めなかった。むしろ、ずっと匠のもとにいてくれればいいのに、とさえ思っていた。


「……僕は、あなた達に見合うほどの力量がないと自覚してる。だけど……今、あなた達を喚んでみて、感じたことがあった。それは、みんなの温かさだ」

「浅葱どの……」

「自分のことで精一杯で、気にしてなかった……みんなも僕と同じ、『生きてるんだ』ってこと」


 神のような、遠い存在であると、どこかで決め込んでいたところがあった。

 自分の置かれている状況がいつも日常的では無いために、余計にそう感じていたのかもしれない。

 だからこそ浅葱は、彼らを避け続けていた。


「至らないことばかりだと思うけど、これからは僕も努力していきたいと……思ってるよ」

「気張らず、少しずつで良いんですよ」


 浅葱の言葉に、そんな言葉を返してきたのは紅炎だった。目のやり場に困るような露出の目立つ姿と、豊かな胸がどうしても気になってしまうが、浅葱はそれをどうにか誤魔化しつつ、彼女へと視線をやった。芯の強そうな紅い瞳が印象的であった。


「もちろん、喚んで頂けるのでしたら、それ以上の喜びはありません。ですが、我々はもう古い時代の存在です。遠くで見守らせて頂けるだけでも、充分なのですから」

「紅炎……」

「記憶の片隅に、置いて頂けるだけで良いのです。ここにいる者たちは、全員そう思っているのですよ」


 ――アタシ達は、主に必要とされなければ、意味もなくなるんだから。


「……ッ」


 ビクリ、と肩が震えた。数日前の灯影の言葉を思い出してしまったのだ。

 式神にとって、あれが本音であり真実だ。

 それでも目の前にいる彼らは、一歩を引いたような言葉を浅葱にくれた。それが、どれほどのものか、浅葱自身が今、感じてしまったのかも知れない。

 紅炎の言葉に同意するように、颯悦や白雪も微笑みながら頷くだけであった。どこまでもどこまでも、彼らは主人に従順で、甘い。


「……、……」

「浅葱さま……?」


 名を呼んだのは、賽貴だった。

 目の前の視界が歪んだ、と思った時であった。一瞬で目の中が熱くなって、浅葱は自覚なく涙を零していたのだ。


「ごめん……みんな、ごめん……」


 喉の奥から絞り出した言葉は、謝罪の響きにしかならなかった。それが、精一杯であった。

 五体の式神はそれぞれに焦りを見せていたが、先に手を差し出したのは、朔羅であった。


「ちょっと、二人きりになろうか。ごめん皆、外してくれる?」

「……わかった」


 浅葱の肩にあっさりとその手を置き、場を仕切る朔羅に賽貴は僅かに眉根を寄せた。だが、それでも彼の言葉に従うようにして、以下を下がらせて、自分も一礼をしてから姿を消した。


「……ふう、やれやれ。いくらこの部屋がそこそこに広いって言っても、一気にあれだけの人数がいたら圧迫されちゃうよね」

「さくら……」

「君には苦労ばかりかけて、悪いと思ってるよ」


 朔羅は軽い口調でそう言いながら、浅葱の真横に躊躇いもなく腰を下ろした。

 浅葱はそれに大した反応も返さずに、静かに涙を零している。

 不思議と、賽貴がそばにいるより、空気が重くならないと感じてしまい、浅葱はそこで軽く首を振った。


「賽貴さんって、浅葱さんに対する接し方が重いよね」

「!」


 朔羅がぽつり、とそんな事を言いだした。

 浅葱はそれを聞いて、目を丸くする。そこで涙も止まったので、片手で拭いつつ、顔を上げた。


「……必要以上に主を思いすぎる節があってね。まぁ、昔からなんだけど。そんな彼は、賀茂浅葱の恋人だったんだ」

「え……」

「もちろん、賽貴さんも僕らも、君と『浅葱さん』を同一視してるわけじゃないよ。ただまぁ……そういう理由があって、皆、それぞれに君に対する気持ちが強くてね」


 とても信じられないような、予想外な展開であった。だがしかし、それを聞いて漸く、普段からの賽貴の接し方の理由がわかった気がした。


「……あれ? でも……その、賀茂浅葱は、男性……だったよね?」

「あはは、やっぱりそこ気にしちゃうか。君は、恋愛は男女じゃないとダメって思っちゃうほうかな?」

「あ……いや、別に……。僕は、恋愛そっちの方面は疎いし、自分にも縁がないから……」

「……浅葱さんは今、十六歳だっけ。その年齢の割には珍しいなとは思うけど、現状、余裕もないよね。匠さんも、こっちの稼業で手一杯みたいだし」


 朔羅の言葉は、軽やかに転がるような響きだった。それでいて、自分たちのことをよく見ているし、知っている。

 浅葱はそう思いながら、彼を改めて見た。

 女性みたいな容姿の、綺麗な顔。薄茶の髪はサラサラとしていて、指を通せば気持ちよさそうだ、などと思えてしまう。瞳の色は珍しい水色で、それこそ『水』の中へと吸い込まれてしまいそうな感覚を憶えた。


「……どうしたの、浅葱さん。僕の顔なんて、見飽きてるでしょ?」

「え、あ……ご、ごめん」


 思案を続けたままで、浅葱は朔羅の顔を覗き込む姿勢となっていた。目の前の朔羅はそれでもいつもどおり、軽い笑みで受け答えするだけだった。飄々としているこの雰囲気が、浅葱には何故かとても新鮮で、好意的だった。


「君は不思議だね」

「そうかな……」

「魅力の一つだと思うよ。それは、個性って言っても良い」


 そういう朔羅の方こそ、不思議だよ。

 心に思ったその言葉を、浅葱は口にすることが出来なかった。


「涙、止まってるね」

「うん……」


 朔羅がそう言いながら、頭を撫でてくれた。浅葱はその温もりに何故か照れてしまい、頬を染める。

 ヒトと妖魔。主人と式神。

 その垣根を、少しだけ越えられたかのような朝となったこの日は、後々までの大切な記憶として、浅葱の中に残り続けるのだった。

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