08.悪しき影
浅葱の退魔師としての意識が、以前と少しだけ変わった。
自分の意志で式神たちを喚んだあの日から、全てにおいての枷から解放されたかのような、そんな気分になれるようになったのだ。
それ故に、周囲の視線が以前より気にならなくなった。学園内でも上を向いて歩けるようになったし、シミュレーション室での仮想戦闘術もこなせるようになった。
普段から浅葱を嘲りの目で見ていた生徒たちは、そんな彼の突然の変化に驚き、最初は戸惑っていた。
だがそれでも、少しずつ変化があった。浅葱に声を掛ける者たちが増えてきたのだ。
「土御門、少し良いか?」
「え、あ……うん」
逆に浅葱のほうが、受け答えに不慣れな面がまだあった。長い間、他人との接触を自分から避けてきた為に、慣れる時間がどうしても必要なのだ。
「さっきの授業なんだけど、いまいち理解出来ない部分があって……。お前はどう思った?」
「あぁ……ええと、術の発動条件の話だっけ。術式の展開が増えすぎて、分かりにくいよね。だから僕は、消去法でとらえれば良いかなって思ってるよ」
「なるほど、消去法……どれも間違いではないが、現場で焦った場合とかは使えるかもしれない。ありがとう、参考になった」
声をかけてきたのは、同じクラスの真面目そうな男子生徒であった。伊達では無さそうな眼鏡をかけ、常に教科書と睨めっこをしているという印象がある。そんな彼とは、こうした意見交換が度々行われていた。ちなみに彼はとある大きな寺の跡取り息子で、将来は住職という立ち位置が決まっているらしい。
「――あ、そうだ。お前の従兄弟の匠先輩、イギリス留学だって?」
「え?」
「あれ、聞いてないのか。さっき職員室で担任と話してたぞ」
「そ、そうなんだ……ありがとう、あとで兄さん本人に聞いてみる」
意外な話題をその生徒から聞かされた。
匠の留学。本人からは何も聞いてはいないが、これは完全にタイミングのせいだろうと思った。少し前に、交換留学の話が教師から出ていた。その関係なのだろうとも思い、浅葱は妙に素直に納得してしまう。
「……兄さんは模範生だし、当然そういう話も出るよね」
廊下を一人で歩き、小さく呟く。
間違いのない話であれば、やはり少しだけ寂しくなる。最近になってようやく、昔のように話せるようになってきたばかりだと言うのに。
彼の式神、深影や灯影たちとも、同様に。
「四神はどうなるんだろう。……彼らって確か、この土地からは動けないはず」
「――それで、お前に預けようかと思ってるんだけどな」
「……えっ」
独り言に突然、背後からの声が飛んできた。
それに驚いた浅葱は、うつむきかけていた顔を上げて、振り向いた。
匠本人であった。決まりの悪そうな表情をしている。自分からではなく他者から伝わってしまったことに、申し訳無さを抱えているかのようなそんな顔つきだ。
「兄さん、留学って本当なんだね」
「いや、それがさ……実は俺も、聞かされたの昨日の深夜なんだよ。それも親父から直接な」
「あれ、伯父さん帰ってきたの?」
「そ。話聞かされたのが携帯からで、久しぶりに顔見たのがついさっき。時間の都合で、家じゃなくて学園のほうに先に戻ってきたって感じだけどな」
匠は僅かに視線を外に向けつつ、そう言った。表情はやはり、困り顔のままだ。
浅葱はそれを見上げて、不思議そうな顔をしつつ、匠の先ほどの言葉を脳内で反復して、再び口を開いた。
「あの、四神を僕に預けるって……」
「そうそう、本題はそこな。お前がさっき言ったとおり、あいつらは土地自体を守る存在だから、俺は連れていけない。だからその間、お前に契約させておきたいんだよ」
「伯父さんが帰ってきてるんなら、伯父さんのほうが適任なんじゃ……」
「親父はここの理事長だろ。あれでも結構忙しい人だからさ、そういう関係でも適任者とは言えないんだよなぁ」
匠のそんな言葉を聞いて、いよいよ自分は辞退できないと、浅葱は悟った。
そうして一拍置いた後、静かに頷きつつ、言葉を繋げる。
「……わかったよ。でも、預かるだけだからね」
「お前だったらそう言ってくれるって思ってた……っと、予鈴だな。放課後、帰らずちょい待っててくれ」
「うん、了解」
二人が話しているところで、予鈴が鳴った。
匠は上の階、浅葱も移動教室へと向かわなくてはならなく、会話はそこで終了する。
それとなくてはあったが、放課後また落ち合うという形をとった二人は、それぞれの場所へと歩みを始めるのだった。
放課後。
浅葱が呼ばれた先は理事長室であった。
そこにいるのは当然、理事長であり伯父だ。
「おお、浅葱! 半年ぶりだ。もう少し近くで顔を見せてくれ」
「あ、あの、伯父さん……お久しぶりです。お変わりないようで……」
名を
だが、実際のところは妻にも子供にも甥にもベタベタに甘く、感動屋でもある。
「ああ……どちらの面影もきちんと出てきたな。お前が無事に育ってくれることだけが、私の願いだ……」
「お、伯父さん……僕はもうそんなに子供じゃないし、大丈夫です……」
「何を言う! ある日突然、襲われるやもしれないのだぞ! 匠は放っておいても大丈夫だが、浅葱に何かあったら私は耐えられないッ!」
伯父は浅葱に詰め寄りつつ、語気を強めてそう言った。怒っているのではなく、心底心配しての行動であった。そして彼は想像力豊かにその場で最悪の結果を妄想して、目の幅ほどの涙を流し始める。
「伯父さん、伯父さん……あの、本当に大丈夫なので、落ち着いて……」
「おお……ッ」
伯父は恥じる姿も見せずに、己の勝手な妄想により号泣していた。それを何とか納めなくてはと思い、浅葱は声をかけるが、修正は難しいようであった。
「――親父、あんま浅葱を困らせんな」
「ぬぅっ、匠! いつからそこにいたっ?」
浅葱の背後辺りからの声に、伯父はいち早く反応した。そして今の今まで流していた涙をぴたりと止め、一歩を引く。
ちなみに匠は、浅葱より数分遅れではあるが室内に入り込んでいた。もちろんノックもしていたのだが、それは浅葱にも父親にも聞こえていなかったようだ。
「……ノックは聞こえなくても、気配は読めただろ。あんたのダメなとこってそれだよなぁ」
匠はそう言いながら横にある本棚に背中を預けつつ溜息を吐いた。息子だからこそ言える言葉でもあった。
「我が息子ながら冷たいな……さて、役者もそろった。――始めよう」
「!」
伯父――寛匡が表情を変えた。浅葱は一瞬瞠目するが、匠の表情はそのままだ。
寛匡の言葉の後、理事長室内に結界が貼られた。結界と言うよりかは、異空間になったと言ったほうがいいか。とにかく、浅葱が肌に感じたものはそんな感覚である。
「に、兄さん……」
「ああ、大丈夫だ。話の内容が外部に漏れないようにしただけだから」
「…………」
それだけ重要な内容なのか、と浅葱は思った。そもそも、『土御門』が三人そろっている時点で、そうであるのかもしれない。そして、匠の急な留学の本来の理由も。
「知ってのとおり、私は半年ほど『西洋校』に滞在し、あちらの学長と共にとある調査をしていた」
「生徒のほとんどには、新しい分校の為の視察って話になってたな。本筋を知ってたのは、俺と浅葱……正式な退魔師の数人だけって感じか」
「うむ。あとは
(幸徳井……土御門とはライバル関係の……。中等部に一人、女の子がいたはず)
寛匡と匠の会話に耳を傾けながら、浅葱は内心でそう呟いた。そして、自分が思ってた以上に内情を把握できている事にも気づいて、少しだけ複雑な気持ちにもなる。
「千年計画、という言葉は、記憶にあるか」
「チラっとなら」
「……ぼ、僕は、それは初耳です」
次の言葉は浅葱の知らぬ事柄であった。非日常が日常でもあるこの界隈だ。そんな現実離れを感じる響きが出てきてもおかしくはないとは思う。
だが。
「浅葱には、深く関わることとなるだろう。お前のご先祖が関わった話だからな」
「え……」
伯父の言葉の響きに、浅葱は素直に眉根を寄せた。
すでに癖になってしまっている反応に、浅葱自身が驚き、直後に視線を下に落とした。
「……嫌な気持ちにさせてしまったか」
「い、いいえ……僕のほうこそ、変に反応してしまって……」
「浅葱。嫌なもんは嫌でいいんだぞ」
「……ううん、大丈夫」
二人は優しいと思った。
厄介者であるはずなのに、何故こんなにも優しくしていられるのだろう。そんな事を心で感じながら、浅葱はそれでも首を横に振った。
後ろを振り向かない。自分を過度に卑下しない――そう、決めたからだ。
「ふむ、私が留守の間に、浅葱は少々変わったようだな。良いことだ」
寛匡はそう言いながら、嬉しそうに目を細める。
そして一呼吸を置いてから、再び口を開いた。
「ご先祖の時代に、大妖魔という存在がいたというのは、歴史になっている事実だ。だが……」
「……その『事実』が実際のところ、ソレが居たかどうかってのは、妖しいんだよな」
「え、そうなの? ……賽貴たちは、知ってるんじゃ?」
「その賽貴たちが、知らないって言ってたんだ」
「……、……」
浅葱は面食らったようにして、言葉を失った。
伯父や従兄がこういう話で嘘をつくはずもなく、そして何より、教科書にすら載っている歴史そのものが、もしかすると違っているという事に、やはり驚くしかなかった。
――大妖魔が、存在しない。
だったら何故、自分の祖先である浅葱は奮闘したと記されているのか。
虚偽が伝えられてきたのか、それとも別の何かが存在したのか。
曖昧な憶測しか、脳内では展開できない。
「
「……俺はまぁ、普通に」
「僕も……少しだけ」
次の言葉で、匠の雰囲気が若干マイナスに傾いた。だが、それを伺うことはせずに、浅葱も同様に頷き、答えを返した。
「ふむ、そうだな。蘆屋会は、名前の通り道満の思想を継ぐ者たちの集まり――つまりは、我々とは歩む道が違う『敵』とも言える」
妖魔崇拝――そんな言葉を、過去にどこかで聞いた。蘆屋会の者たちは同じ退魔師でありながらも、異端であるのだ。道満が生み出したとされる呪いの言葉を主に使い術を行使するので、
「その蘆屋会の連中が、活動的になってきていてな。この国のみならず、西洋にも勢力を伸ばし始めたらしい」
「それで伯父さんは、向こうに行ってたんですね」
「うむ、そうなのだ。……実際、現状を目の当たりにしたのだが、向こうでは『悪魔』が夜に数を増やしていた」
「……祓魔師はあっちじゃエクソシストってやつだもんな。『妖魔』も『悪魔』って、統一されてるんだったかな」
伯父と従兄に加わりながら、自分は思った以上に会話についていけていると浅葱は思っていた。
いつもであれば、こういった内容の話には、耳を傾けなかった。
向き合うことを恐れていた時には、意識すら傾けられなかったというのに、不思議なものだ。
「……それで、千年計画の話に戻るが。つまり蘆屋会が、大妖魔復活を目論んでいる」
「あれ、さっき…存在しないって……?」
「存在しないものを、『在るもの』として設定したら……楽しいかもしれないだろ?」
「!」
匠の言葉に、浅葱は瞠目した。
楽観的な響きに聞こえるも、その表情は固い。状況的には、冗談を言ってる空気でもなく、そして、信じがたい。
――だが。
「匠兄さん……蘆屋会は、無いものを在ると言ってるの?」
「そういうこったな」
「……兄さんの言葉を借りて言うと、『楽しい』から……? そんな自己満足みたいなもので、妖魔を生み出してるの?」
「歪みとは、いつでも恐ろしい思想を生む。蘆屋の者たちも、元の志は我々と同じであったはずなのだ。遠く、我々がまだ陰陽師と言われていた頃、その枠に入れなかった者たちが、恨んだ結果だと聞いている」
そう続ける伯父の言葉が、重いような気がした。
思っていた以上の事の深刻さ。
自分が避けてきた現実が、あまりにも残酷に、そして明確に迫ってくるような気がして、浅葱は軽い眩暈を起こす。
そしてそこから、新たに気づいたことがあった。
――先ほど伯父は、浅葱に深く関わる事だと言った。それは、何故なのだろうか?
「……伯父さん」
「浅葱はやはり頭の良い子だ。……話を振ったのは私だが、本音を言えば明かしたくは無かった。だが今は……」
「言ってください」
「……そうだな。どう、伝えるべきか未だ迷っているのだが……浅葱、お前はかつて贄であった」
「え……」
伯父の言葉は、またもや重い響きであった。
『贄』とは、何なのか。そしてこれは、聞き覚えのある響きだ。
「伯母さんと、同じ立場だと……?」
浅葱がそう言うと、寛匡は苦笑する。そして匠もまた、表情を歪めていた。
「……付け足すと、俺の母さんはお前の替わり……似たような存在っていうか、補填だな」
「蘆屋の者は、浅葱を『賀茂浅葱』として、復活させようとしているのだ」
「ど、どういうことですか……?」
凄い内容が語られたと思った。
だがその直後、この緊張感を崩すものがあった。
校内のチャイムであった。
「――時間切れ、だな」
匠がそう言って、パチンと指を鳴らした。
すると、先ほど寛匡が構築した結界はいともたやすく無くなり、『通常の理事長室』が戻ってくる。
「すまない。これから職員会議があってな」
「……そ、そうですか」
「まぁ、手短にって思ってたけど、実際は問題てんこ盛りってこったな。俺の留学も、親父の手が回らなくなってきたから、俺が代わりにそれをこなすって事だろ」
「……そういうことだ。詳細はまた後日にしよう」
「俺が知ってる限りの事は、浅葱に伝えておくよ。あとは、賽貴たちもある程度は分かってるだろうしな」
匠が父親のフォローに出たのには、それなりの理由がある。リアルな時間の都合はもちろんだが、やはり年の近い自分が今の浅葱には受け入れやすいだろうと思ったのだ。
蘆屋会の目的や、『賀茂浅葱』の真実も。
「では、匠。諸々、頼んだぞ。――浅葱も、また家で改めて話をしよう」
「は、はい……」
寛匡はそう言って、先に理事長室を出て行ってしまった。それほど、重要な会議があるのだろう。
浅葱が匠を見上げると、彼はすぐその視線に気が付き、軽く笑みを見せてくれた。
「……兄さん、なんか、いっぺんに色々あって、僕……」
「いや、こっちこそごめんな。完全なキャパオーバーだよな。このまま帰れそうだし、家で少しゆっくりしような」
「うん……」
匠はいつもと変わりない手つきで、浅葱の頭にポンポンと軽く叩いてそう言ってくれた。
浅葱もそれをいつも通りに受け入れ、ゆるく頷いて見せた。
今はまだ、真相の一旦にたどり着いたに過ぎない。避け続けてきた自分の道。そこにしか見えないその先を、浅葱は自身の意思で踏み込むしかないと感じていた。
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