09.垣間見た真実と別れ

 学園から帰宅後、浅葱は自室にこもり調べものをしていた。見る限りは古い書物が机に積み上げられている。

 匠には夕飯まではゆっくりしてろと言われたが、とてもそんな気持ちにはなれなかったのだ。


「……ええと、今からおよそ千年前は普通に妖魔が出ていて……それを退治していたのが、僕らの前身である陰陽師……そして賀茂浅葱は、対象を祓うことなく魔界へと還すやりかたで妖魔たちを退けていた……うん。これは僕も知ってる」


 古書を専門家がある程度の解釈をして作り直したらしい本を片手に、ノートに要点をまとめている。


「賀茂浅葱は生粋なる人間ではなく、人間と妖魔の間に生まれた存在だった。それ故に、両方の懸け橋となり、活動をしていた」


 書かれている通りの文を、読み上げる。

 そうであるとは、元々聞いていたし、知ってもいた。だがその情報は、どこから来たものなのかは、浅葱自身は憶えていなかった。


「……うーん。全盛期っぽい時期の箇所は、どこでも同じことしか書いてないな……こっちのは、どうかな……」


 一つの本を閉じて、別のものを手にする。古い、表紙すら掠れたものだ。


「あぁ……こっちは古文だ……読めるかなぁ。えっと……『妖の者に落ちし始祖は、その後真なる姿を見せ、この地を焼いた……。その威力は想像を絶し、都へ未曽有の災厄を振りまき、憎悪と遺恨を根付かせた』……? あれ、これって誰の事だろ……? 賀茂浅葱はあの時点でその家系の三代目だったはずだし、始祖って言葉は……当てはまらないよね……」


 なおも独り言が続いた。音にすることで、混乱を軽減させているのかもしれない。


「……うーん……」


 こうして考えている間にも、浅葱には確信があった。もっとシンプルに、『聞いたほうが』早いはずなのだ。

 自分の式神たちに。

 当然それには、迷いがあった。素直に呼べば良いのだろうが、生活の行動ごときに式神を呼ぶのはどうなのだろうか?

 それでも、一人きりでは答えは出せない。


「……朔羅さくら


 数秒ためらった後に、浅葱は二の式神の名を呼んだ。


「はいはい、やっとお呼びか。……賽貴さいきさんを呼ばなかったのは、なんでかな?」

「賽貴は、まだ学園から帰ってきてないから……。それに……彼にはちょっと、聞きにくい」

「……まぁ、賢明な判断だよ」


 いつもは符から出てどこかで待機しているはずの彼が、珍しく符の中にいた。

 そして姿を見せた朔羅は、軽く伸びをした後に視線のみで確認を取ってから、浅葱のベッドに腰を下ろす。


「随分、頑張って調べものをしてるみたいだね」

「うん……昼間に、色々あったから。……って、あなた達はある程度分かってるんでしょ?」

「あぁ、うん……いや、でも僕は、あまり関知しないようにしてるから。他の式神たちにも言えることだけど、符(そこ)にいる限りは、主に過干渉しないって決めてるからね」


 朔羅は自分の収まっていた符を指さしつつ、そう言った。

 そうは言い切るも、浅葱の現状は把握しているらしい。


「……知りたいかい?」

「う、うん……」

「本当はこういうの、賽貴さんに確認しなくちゃいけないんだけどね。あの人、僕らの上の格だから」

「え……そういう、差とか、あるんだ」


「言ってなかったっけ。僕らは所謂いわゆる、元は妖魔だからね。あっちの世界でのクラスっていうのが、ヒトと同じようにあるんだよ」


 浅葱が知らずにいた事が、また一つ広がった。

 このあたりは賽貴が明かさずにいた為なのだろうと理解してしまい、一応はとその件は後回しにする。


「そうだね……どこをどう言えばいいかな……まずは大きな疑問に思ってるだろう、『大妖魔』なる存在だけど」

「うん……」

「居るけど、居ないよ」


 曖昧な言葉が展開された。

 浅葱はそれをどこかで分かっていたのか、大しての驚きは見せずにいた。


「……君は悟りが早いよね。そういえば寛匡さんからは、何を聞かされたの?」

「えっと……僕は、贄だって……」

「そうか。そういう伝え方なのか……」


 朔羅は浅葱の言葉を受け止めて、困ったように笑った。


「大妖魔の原因は……まぁ、浅葱さんでね。彼は途中で妖の気が強くなってしまった人なんだけど、それでも陰陽師であり続けた。戦って、戦って……妖の気を使い続けてしまってね」

「……まさか」

「――そうだよ。浅葱さん自身が、『大妖魔』なんだ」

「っ」


 ――妖の者に落ちし……。

 先ほど目を通していた文献の一文を思い起こして、青ざめる。


「待って……じゃあ、あなた達は、主を……?」

「正確には、浅葱さんの甥っ子がね。封じなくちゃいけない状況になっちゃったからね」

「じゃあ、この古書に書いてあるのは……」

「……ああ、これね。これはね、ちょっと出まわっちゃいけない書なんだよ。……何しろ、蘆屋の者が書いた物だからね」


 浅葱が差し出した書を見て、朔羅はまたもや苦笑した。

 そして彼は表紙を一撫でした後、それを爪で跳ねのける。


「なんでこの家にコレがあるか、わかるかい?」

「え……伯父さんが立場的に権利があって、持ってた……とか?」

「まぁ、そうとも言えるかな。でも実際は、彼の肉親から没収したんだよ」

「…………」


 朔羅は躊躇いもなく、言葉を続けた。

 相当な内容であるはずなのだ。それでも、迷いが無い。現実と時間と時代を超え、享受の末なのだろうか。

 そして、信じられないような言葉に、浅葱はまたもや顔色を変えた。

 言い回しが思わせぶりなのも気になったが、やはりこれは、自分に深く関わってくるのだろうという直感が働く。


「――この先も、聞きたいかい?」

「…………」


 浅葱はそこで、戸惑いを見せた。

 聞きたくないわけではない。だが、聞いてはいけないのではないだろうかと、思ってしまったのだ。


「おーい、浅葱。飯出来たぞ……って、朔羅」

「こんばんは、匠さん」


 匠が浅葱の部屋に入ってきた。朔羅は予め彼の気配を察していたようだが、浅葱自身は少々動揺している。


「……なんかおかしなこと、吹き込んでないだろうな?」

「相変わらず、匠さんは僕への信頼度が低いよねぇ。まぁ、それくらいでいいと思うんだけどね」


 浅葱の状態と、この場の空気で何かを察した匠は、当然のようにして朔羅に問いかけた。そして朔羅は、その問いに肩を竦めて苦笑いをするだけだ。


「……匠兄さん、大丈夫。僕が無理に聞き出しただけなんだ」

「…………」

「本当だよ。ね、朔羅?」

「……そうだね」


 匠はあまり納得は出来ていないようだ。

 たが、浅葱はそういう限りは、それ以上の追及は出来ない。

 朔羅はそんな二人の姿を笑みを浮かべたまま見て、やれやれと言いたげであった。


(……しかし、思ってた以上に深刻な状況になってきてるな。賽貴さんが戻ってから、僕らは僕らである程度の情報共有をしておいたほうがいいのかもしれない)


 表情を変えないままで、内心でそんな事を考える。ある程度は今の主に本当の事を伝えてしまったが、これ以上は賽貴の口から伝えたほうがいいのかもしれない。そんな事を思いつつ。


「……まぁ、浅葱さんはまずご飯食べておいでよ。凛々子りりこさんをあまり待たせないほうがいいしね」

「あ、うん……」


 朔羅にそう促されるまま、浅葱もそれ以上の案を続けられずに、立ち上がった。

 匠も納得がいかないような表情をしつつも、浅葱の部屋を出て行く。

 ちなみに朔羅の言った『凛々子』とは、匠の母の名前だ。

 笑顔を絶やさず、朔羅は匠と浅葱を見送り、彼らの気配が階下まで遠ざかってから、深い溜息を吐きこぼしていた。




 食卓には和食メニューが並んでいた。鮭の塩焼きは浅葱の好物だ。


「今日はねぇ~、全部匠ちゃんのお手製なの~。私もお手伝いしたかったんだけど……」

「……母さんは和え物をやっただろ」


 席に着いたのは匠と凛々子と浅葱だけであった。

 伯父はまだ帰ってきてはいないのか、やはり気配などは感じられない。


「あの……伯父さんは?」

「会議が長引いてるんですって。せっかく全員でそろってのご飯だと思ってたのにねぇ~」

「そう、ですか……」


 浅葱はあからさまに落ち込んでいるようであった。

 それを見て、凛々子と匠がちらりと視線を合わせていたが、敢えてそれを伺うことはせずに、別の話題でやりすごす。


「浅葱、お前の鮭は一番デカイやつだからな。ちゃんと味わって食べろよ」

「あ、うん……ありがとう」


 匠にそう言われるままに、浅葱は自分の箸を動かして美味しそうな鮭の身をほぐし始めた。一口分を摘まんで、口へと持っていく。


「……うん、おいしい」

「だろ? 母さんのやった胡麻和えもなかなか美味いぞ」

「やだ~お母さんは匠ちゃんが準備してくれたものを混ぜただけなのよ~。でも、塩昆布が良い感じよ~」


 副菜にはにんじんの胡麻和えが添えてあった。決め手は塩昆布らしく、浅葱は匠の勧めるままに口へと運ぶ。


「美味しいですよ、伯母さん」

「あら~そう~? 嬉しいわ~!」


 浅葱の言葉に、凛々子は嬉しそうに微笑んでいた。

 美しい伯母の笑顔に、浅葱の心もいくらかは救われたような気持ちになる。

 出会った頃から外見的変化が何も無いように思える伯母は、実際のところ年齢のほうは浅葱も知らなかった。

 それ以前にやはり、浅葱には知らない事ばかりだった。様々なものを拒絶した結果、気づけば本当に何も知らないという所まで来てしまったと自覚する。


「浅葱ちゃん」

「あ、はい。すいません、ちゃんと食べます」

「……無理しなくていいのよ。もちろんご飯はちゃんと食べなくちゃダメ。けれどね、引っかかることがあるんだったら、抱え込まないで、いつでも誰にでも聞いてね」

「伯母さん……」


 考えることに気持ちを向けると、どうしても箸を動かす手が止まった。それを見かねて声をかけてきたのは凛々子で、彼女は持ち前の笑顔で優しくそう諭してくれる。

 浅葱はそれを素直に受け入れて、小さく頷いた。


「いつも、……ありがとうございます。まずは、ちゃんと食べますね」

「そうね。冷めないうちにね」

「……俺たちは、浅葱の言いたいことはある程度把握してる。けどそれは、やっぱり『ある程度』しか分からない。だから、ちゃんと言えよ」

「うん」


 三人はそこで、一旦話題を終わらせた。そして匠がコントロールする形で楽しい話題を選びつつ、食事の時間を終わらせるのだった。




「……え? どういうこと?」

「物凄く怖い顔だぞ、朔羅」


 浅葱が階下で食事をとっている頃、戻ってきた賽貴と朔羅が現在の状況についての話をしているところだった。

 許可なく今の主に賀茂浅葱の真実を語ったことについては、賽貴はいずれは知れてしまう事だと怒りもしなかった。

 それ以上に、彼から思ってもみない言葉が吐き出されて、朔羅は珍しく表情を歪めているのだ。


 ――あちらに帰ることになった。


 賽貴が静かにそう言った。

 あちらとは、賽貴たちの元の世界――妖魔たちが住まうエリアの事を指す。


「つまりは、とうとう王の座につかないとダメになってきたって事?」

「……元々、こうなることは決まっていた。随分遠回りをしてきてしまったが、父上も、そろそろ限界らしい」


 賽貴の表情は、穏やかであった。否、若干はあきらめの色に近いのだろうか。

 対する朔羅は、呆れ顔になった。


「……今更、僕からは否定も出来ないし、仕方ない事情だとは思うよ。けど……浅葱さんのことは、どうするの」

「――……俺の『浅葱』は、もう戻らないからな」

「!」


 その言葉は、あまりにも悲しい響きであった。

 朔羅も、到底言い返すことのできない『真実』だ。


「俺たち妖魔……あやかしは永きを生き過ぎてきた。そんな異形が、ヒトの世界に長くいる事も、本来ではあるべき事ではない」

「だけど、僕らは『式神』だ」


 賽貴の視線は、遠くを見ていた。

 彼はもうすでに、今の立場を捨てようとしている。

 そう悟った朔羅ではあったが、どうすることも出来なかった。


「式神……その立ち位置に、どれだけ甘えさせてもらってきたか。とにかく俺はもう、この印を還さなくてはならない」

「何の前触れもなく、いきなり? 今の主の断りもなく?」

「……わかるだろう、朔羅。俺はもう、あの方から離れたい」


 賽貴はそう言いながら、自分の首の後ろへと手のひらを持って行った。

 その先にあるものは、式神であることの証である印が刻まれている。

 五体の式神それぞれが、体のどこか――それぞれが望んだ場所に、刻まれているものだ。


「やっぱり、浅葱さんに浅葱さんを……重ねてしまってた?」

「……それは、否定しない。だからこそ俺は、もうあの方の式神ではいられない」


 浅葱を浅葱として――。

 生まれ変わりではなく、それでも土御門浅葱は、賀茂浅葱の霊力を全て受け継いでいる。それを感じている中で、どうして期待を抱かずをいられるだろうか。

 戻ることは無いと解っているのに、渇望はどうしても消せなかった。だからこそ賽貴は今の浅葱も甘やかしていたし、それでいて厳しくもしていた。


「お前は、……いや」

「僕は僕の意思で、彼のそばにいるよ」

「そうだな」


 賽貴はおそらく、少し前からこうする選択をすると決めていたのだろう。朔羅はそれを感じて、それ以上の問いかけはしなかった。

 それぞれの立場。式神であるという事。

 退魔師と式神との関係性は、昔ほどの制約はなくなってしまった。だからこそ、式神たちにも自由に選択肢を選べるようにもなっている。

 尤も、賀茂浅葱の式神たちは、今までもずっと、自分たちの意思で彼に使え続けてきた。理由は様々だが、信念は変わらなかったのだ。

 遠い昔、かつての主であった浅葱――もしくはその前の当主が刻んでくれた彼らの血の証は、もうとても遠い。


「……自分勝手だな、俺は」

「僕らと違って、あなたには責がまだ残っているからね。だからいずれはこうなる事は、みんな解ってたよ」

「俺が言えた事ではないが……浅葱さまのこと、頼む」

「うん」


 朔羅は素直に頷いて、小さく笑った。

 全てを納得したわけではないが、それでも仕方がないと思った。

 その後、夜遅く。浅葱の目の前で深々と頭を下げた一の式神賽貴は、静かにその役目を辞して、戻るべき場所へと一人還っていった。

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