10.残されたもの
「…………」
翌日は日曜日であった。
普段から休日は予定などは入れず、気まぐれに散歩か本屋巡りかくらいの行動しかしない浅葱は、今日は部屋から出ずに、机で突っ伏した状態であった。
思いのほか、
「散々、僕のほうから避けてたのに……酷い考えだな……」
浅葱はそんな独り言を漏らして、苦笑した。
賽貴がそこにいて、許してくれて、時に煩わしいほどの過干渉になっていたことすべて。
おそらく、これは『甘え』だったのだろうと改めて思う。
「……朔羅が位がどうのって言ってたけど……まさか妖魔の長だとは思わなかったよ……」
賽貴の口から、初めて彼の立ち位置を聞かされた。ヒトとは異なる世界が存在し、賽貴はその異世界での王帝という最高位であった事。今までは父親がその位置に居続けていてくれたが、年齢的な無理が出てきていた事――等、色んなことを聞かされた。
そもそも、『彼ら』は何年を生きてきたのだろう?
それを考え始めると、気が遠くなる。
ずっと生き続けて、本来の主ではない『自分』に仕えることは賽貴には苦痛ではなかったのか。
『賀茂浅葱』ではない――彼にはなれない自分に、どうして賽貴たちは仕えてくれるのだろう。
「……あれ?」
そこまでを考えて、浅葱は顔を上げた。
『浅葱』になれないと、どうして思えたのだろう? 誰にも不可能だとは聞いたことが無い。だが、自分は何故か、賀茂浅葱の生まれ変わりではないと自覚がある。
「うん……なんか、どこかで誰かに……ううん、なんか、憶えがあるような……」
「――浅葱どの」
「……っ!」
急に声を掛けられて、浅葱はビクリと震えた。
慌てて振り向くと、そこには
「驚かせてしまい、申し訳ありません。……こういった場合、朔羅が適任だとは思うのですが、おりませんでしたので」
「……ああ、そうか。ありがとう、心配してくれたんだね」
紅炎は凛とした女性であった。本来の姿は炎を纏う狼だと言うが、その本質から来ているのかもしれない。
そして、露出の目立つ衣服は、浅葱でさえも狼狽えさせる。
「あの……ごめん、その……目のやり場に困るから……、胸元とか、もうちょっと隠してもらえると有難い、かな」
浅葱は最初に視界に飛び込んできたその豊かな胸に、やはり照れているようだった。そしてたどたどしくも、自分の希望を彼女に伝えると、紅炎は苦笑しつつも快く受け入れてくれたように見えた。
「なるほど。浅葱どのは純朴でいらっしゃる。もう少し生地を増やした衣服を用意しておきます」
彼女はそう言って、綺麗な笑顔を浮かべてくれた。
「……何やらお悩みのようでしたが……賽貴どのの事を考えておられたのですか」
「あ、うん……今更、虫のいい話だけど、やっぱり少し寂しいなぁとか、思っちゃって」
「そうでしたか。……あの方も突然、こちらを離れてしまうとは……私たちも驚いているのですよ」
そんな紅炎の言葉に、浅葱は目を丸くした。
意外な響きであると思ったようだ。
「もしかして、賽貴は本当に……突然切り出したの?」
「そのようです。
「……そうだったんだ」
それを聞いて、浅葱はどこか安堵してしまった自分がいる事に気が付き、僅かに自嘲した。
紅炎はそんな主の姿を見て、こちらも僅かに目を細める。
「――少し、お話しても、良いでしょうか」
「あ、うん。もちろんだよ」
紅炎が改めて、そう切り出した。
浅葱は少々驚きつつも、まだ知らない事のほうが多い彼女たちの話を聞けるのは、むしろ歓迎すべきだと思い、頷いて見せる。
「実は、私には娘がおりまして」
「えっ!?」
思いもよらない言葉に、返事が裏返ってしまった。すると紅炎は、何故か嬉しそうに微笑んでいた。
「さらに申しますと、孫もおります」
「っ!?」
とんでもない真実を打ち明けられた浅葱は、目を回しそうになった。
外見的な老いというものを全く見せない彼らだが、こうした現実も確かにあるのだと痛感させられる。
「
「……そ、それって、朔羅が言ってた……甥っ子さん……?」
「ええ、そうです」
意外な話はまだ続いていた。だがそれでも、少しずつ繋がっていく話に、浅葱も興味が深まっていく。
「その、娘さんは……? 式神にはならなかったの?」
「お恥ずかしながら、勝気な娘でして……縛られるのは嫌だと、早いうちから出奔してしまいました」
「今も……?」
「そうですね……たまに会ったりはしますが、あれもあれで、今は忙しい身でもありまして」
紅炎の言葉の繋がりに、少々の間があった。それを黙って見ていると、おそらく気配を探っているのだろうと思った。自分に仕えていてくれる式神は、誰もが常にこの行動をとるという事を、浅葱は知っていたからだ。
「……いつか、僕も会えるかな」
「ええ、もちろんですよ。会ってくださると、あれも喜ぶと思います」
「そっか……。ありがとう、あなたの事を聞かせてくれて」
「……私以外の者にも言える事ですが、聞きたいことがあったらいつでも聞いてくださいね」
彼女はとても穏やかにそう言ってくれた。
優しい声音であった。
賽貴もそうであったが、やはり皆がそれぞれに自分によく接してくれている。
――何故なのだろう。浅葱は純粋にそう思った。
「あの……こういう質問は嫌かもだけど……。どうしてあなた達は、僕に仕え続けてくれるの?」
「…………」
浅葱の問いに、紅炎は動揺を見せたように思えた。だが彼女は即座に唇に笑みを湛えて、言葉を作る。
「しきたりや掟、または契約……そういう言葉を想像されているのであれば、否と答えます。私も、おそらく他の者も、自分の意思であなたの傍にいますから」
「ええと……その、僕は『賀茂浅葱』にはなれないよ?」
「……ええ、そうですね。ですが、どの種族にもあるように、時代を超えて継がれていくものがあります。私は最初の主が賀茂浅葱の母君でしたが、今も気持ちは変わってはおりませんよ」
紅炎はとてもしっかりとした口調で、迷いなくそう言った。
それは理解できる。だが、浅葱には、どうしてもわからない部分があった。
「僕は、どうして賀茂浅葱の霊力を持ってしまったんだろう……」
独り言にも近い呟きを、口から漏らす。
すると紅炎が、若干その表情を揺らがせた。
「――一度、浅葱どのがこの世に戻った事がありました」
「え……?」
言葉の意味は、半分ほどしか分からなかった。曖昧に告げてくるのは、濁しているからだろうと思い、続きを促すように彼女を見る。
「戻ってはいけない方法でした。その時……彼の魂は傷ついてしまったのです」
「……っ」
浅葱はその言葉に、心臓をつかまれたかのような感触を得た。
魂が傷つく――。それは転生を難しくするのではないか、と思ってしまう。
「……彼は出来た人でした。そんな状況の中でも、あらゆる策を講じて……己の霊力を『分けた』のです」
「そ、それが……僕に……?」
「そうです。例え自分が後世に残されなくとも……能力だけは継いでほしいという、希望の元だったのです」
そう言う紅炎の表情は、少しだけ寂しそうであった。
主が決めた事――その気持ち全てを受け入れてきた式神たちの覚悟は、どれだけのものだったのだろう。簡単に言い表せないほどの、感情があったはずだ。
「我々は、その能力……彼の残した霊力を守りたいのです。浅葱どのが受け継がれた事は、決して偶然ではありません。敢えて直系である匠どのに受け継がれず、あなたに伝わった事には、大きな意味があるのです」
「そう……なんだ。でも僕は……きっと『どちらの側にでも』なれるんだよね?」
「蘆屋の古書のことを言っておられますね。……否定はしません。あなたは闇に染まることも容易く出来てしまいます」
「…………」
「ですが、我々がそれをさせません。そして、離れてしまった賽貴どのも、未だに同じ思いです」
黙ってしまった浅葱に、紅炎は少しの感情を揺らめかせて立ち上がる。
そして数歩を下がりつつ彼女は、妖の気を表に出した。
「こ、紅炎……?」
「少々乱暴ですが、お見せしたほうが早いでしょう。賽貴どのが残したもの――我々が守るべきものの根底を!」
「!」
言いながら、紅炎は赤い目を光らせた。
そして彼女は、『敵意』をむき出しにして、浅葱へと飛び掛かってくる。
当然、浅葱には予想外の行動で、椅子から立ち上がる事しか出来なかった。
――その、直後だ。
「……っ!」
バチン! と何かを大きく弾く音が耳元に届いた。それと同時に、全身を何かに包まれたかのような感覚を得て、浅葱は瞬きを数回した。
視界に映ったのは、紅炎がこちらに向かってくるところと、その彼女が何かに弾かれ、ドアのほうへと吹き飛んだところだった。
「な、なにが……」
言葉通り、浅葱には何が起きたのか分からなかった。
だが、『それ』は結界であると、浅葱は早い段階で理解が出来た。
そして、誰が施してくれていたのかも。
「……賽貴……」
思わず、ここにいない者の名前が漏れる。
同時に、浅葱は自分の瞼が熱くなっていくのを感じて、慌てて強く瞳を閉じた。
勝手な事だったが、見捨てられたと感じていた。
自分が避けてきた事のしっぺ返しが大きく出てしまった、とも思っていた。
だが、そうでは無かった。
「……浅葱どの」
紅炎の優しい声が降りかかってくる。
それに浅葱は、答えることが出来ずにいた。
目が熱い。
涙がどんどん溢れてくる。情けないと思いつつも、止めることが出来ない。
「……大丈夫です。彼の力は、彼がどこにいても作用します。それから、不足分は我々が必ず盾になりましょう」
「うん……うん。僕はそんなあなたたちの為にも、ちゃんと前を見るよ」
紅炎は、浅葱にわざと攻撃を加えようとして、弾かれた。無茶をする、と思いながら、浅葱は涙を拭った。
『賀茂浅葱』の代わりにも、生まれ変わりでもない自分。それでも、やるべき事は確かにある。式神たちが自分に仕えてくれる限りは、それに答えなくてはならない。
そう思い至った彼の心には、新たな気持ちが宿っていた。
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