21.歪の妖魔

 出現した妖魔は、数が多かった。

 最初の群れは小鬼たちだ。

 それを教師とAクラスの二年の生徒が数人で対処し、その他の生徒たちは出現ポイントを探した。


「職員用の駐車場、それから校庭です!」

「二手に分かれるしかないか。……A、B混合で、俺と佐藤先生が――」


 式神に先を行かせ、ポイントをいち早く見つけた生徒が、教師に向かってそう報告してくる。

 教師は歩みを進めつつ、新たな指示を出すために言葉を続けようとした。


「キャアァッ!」


 女生徒の悲鳴がこだました。

 指示を出そうとしていた教師が、目の前で倒れたのだ。その背後に、ぬらりと現れたのは大きな妖魔であった。


「先生っ!」

「……い、いいから、退け……早くっ」


 倒れた教師は、かろうじて息があった。

 足をやられたのか、起き上がれずにいる。


「――うわぁぁっ!」


 今度は別の方向から叫び声が上がった。


「……くそっ、手刀で九字を切れっ、シミュレーション室でやった通りに……やってみろ!」


 教師の足元に血だまりが出来ていった。

 数人の生徒はそれだけで足がすくみ、恐怖で全身を震わせている。


「出来なければ、……俺に構わず、校内へと逃げろっ!」


 教師はそう言いながら、一枚の札を地面へと手刀で叩きつけた。

 強い閃光が地から生まれる。

 生徒も、教師の背後にいたと思われる妖魔も、その光に怯んだ。


「……っ、臨・兵・闘・者……」


 一人の生徒がそれで冷静になり、早九字を切る。もう一人の生徒は這いずる形で教師へと歩み寄り、彼の体を校内側へと引き寄せた。


「――颯悦そうえつ、斬って!」


 絶望しかないと思われていた場所に、そんな声が響いた。

 直後、主の命を受けた一体の式神が、刀身の見えない刀を一閃し、妖魔を切り捨てた。

 颯悦の風の刀であった。

 彼はその後、「先を見てまいります」と言い残し、一瞬で走り去ってしまう。


「……あ、……土御門つちみかど、くん……」

「今のうちに、先生を運んで。出血がひどいから、気を付けて」

「う、うん……」

「君はそのままもう一度、九字のあとに鬼の文字を乗せて……教科書通りだよ」

「わ、分かった」


 浅葱が生徒たちの一歩前に立っていた。

 少し前の彼の姿とは、想像もつかない立ち方だった。

 状況にも臆せず、今も先の展開を考えつつ、またその場を駆けだした。


りん、いるかな?」

「――はい、ここに」

「見てて解ると思うけど、ここはこれ以上持たせられないから、あなたの石を借りてもいい?」

「了解しました」


 この場に居た生徒たちは、Bクラスの者が大半だった。一人は泣いているし、もう一人は震えている。その中で自分を保っていられる者だけが浅葱の言葉を聞いて、行動を起こしている。

 こんな状況では、次に大きな妖魔が出現した時には、全滅してしまう。

 浅葱に結界石を望まれた琳は、その場でいくつかの翡翠色の石を生み出し、地面に等間隔に五つほど突き刺して歩く。

 そうして、浅葱を見やって、こくりと頷いて見せた。


「――我に応じよ、封ずるもの!」


 浅葱はそう言いながら、パンと両掌を弾いて見せた。同時に術が発動し、一帯に結界が大きく張られていく。


「……よし。琳、続けてで悪いのだけど、校内をお願い出来るかな。幸徳井のあの子、ちょっと気になって……」

「分かりました。行きます」


 無事に術の発動を確認出来た浅葱は、そのまま琳に次の命を出して、踵を返した。

 出現ポイントへと向かうようだ。


「浅葱さん、目覚ましいね」

「……自分でもびっくりしてるよ。でも、今はそんなこと言ってられない……。なんで急に、こんなに妖魔が現われるんだろう?」

「僕もそれが気になってた。紅炎が先回りしてくれてるから、これ以上大きいのは湧かないとは思うけどね」


 移動しつつ、朔羅さくらとの会話があった。

 朔羅は本来の姿である白狐へと変容し、主を背に乗せてから駆け出したのだ。

 ヒトが必死に走っても、このスピードには追い付けないだろうという一歩が、とても大きかった。

 紅炎こうえんはもっと速く走るよ、と前に訊いていたが、先ほど命を出して行動してもらった際、その速さを目で追う事が出来なかった。

 獣族はみんなこうなのだろうか、と浅葱は遠くでそんな事を思いながら、現実へと意識を向ける。


「先に駐車場に行くよ。颯悦がいる」

「うん」


 校舎から少々離れた位置に囲むようにして植えられている低木を飛び越え、コンクリートの壁を横切った。

 すると直後に視界が開けて、職員用に使用されている駐車場へと抜ける。


「――はぁっ!」


 ザシュ、と何かを斬る音がした。

 颯悦の刀が生んだものであった。


「浅葱さん、ちゃんと自分の功績にしておくんだよ?」

「……あ、うん」


 朔羅にそう言われて、浅葱は慌てて自分の退魔符を取り出し、颯悦が斬った妖魔へと向けた。

 黄色から紫紺へと変わっていく符を見ながら、浅葱は現状に首を傾げる。


「妙だ……なんでこんなに、いびつな形ばかりの妖魔なんだろう」

「こうなると、完全に沈めないと逆に退魔師が危ないからね」

「個の意思もあまり感じられない……出現ポイントが作られている時点でおかしい事なんだけど、やっぱり継ぎ接ぎのような気配がする」

「……そうだね」


(本当に、目覚ましいなぁ……。いや、今はそれどころじゃないか……)


「あのね、浅葱さん。ポイント封じのついででいいから、聞いてくれる?」

「うん。……颯悦、そのまま構えていてくれる? 僕は向こう側に回るよ」

「御意に」


 会話を続けつつも、やはり浅葱は行動を止めずにいた。倒れた妖魔を退魔符に吸収し終えた直後に、出現ポイントへと足を向けて、手刀を作り、宙に光を灯す。

 朔羅はそれを見届けてから、再び口を開いた。


「――白雪しらゆき、喚んでみた?」

「!」


 その言葉に、浅葱は肩を震わせる。

 浅葱の式神たちは全員、予め符から喚び出してあった。

 朔羅は元から浅葱の傍にいたが、紅炎と颯悦が同時に姿を見せ、琳も命に従って動いてくれている。

 ――だが、白雪だけが、珍しいことに姿を現さなかった。

 否、彼女が主の命に従わないという事自体、ありえないのだ。


「白雪、普段はどこにいるんだっけ? 符には殆どいないよね」

「そうだね、彼女は門番だから……。でも、何処に居たって浅葱さんの声が聞こえないことは、無いんだよ」

「――うん」


 浅葱はそう言いながら、出現ポイントを塞ぐことに成功した。あっさりと出来てしまった事に、違和感を覚えた。


「校庭に行ってみる。紅炎は大丈夫かな?」

「まぁ、彼女に何かを出来る存在なんて、賽貴さんクラスの人じゃないとあっさり返り討ちになるけどね」

「…………」


 颯悦が浅葱たちの会話を聞きつつ、別の気配を読み取って顔を上げた。

 その数秒後、エントランス付近から轟音と悲鳴が聞こえてくる。


「浅葱さま。校庭のほうへは私が参ります」

「うん……じゃあ、これを渡しておくね」


 颯悦が言う言葉に、浅葱は素直に頷いてから彼に一枚の符を手渡した。ポイント封じに使われるものであった。


「無茶はダメだよ」

「はい。すぐに戻ります」


 真面目な五の式神は、綺麗な姿勢で一礼をしてから、その場を離れていった。


「……、朔羅。琳のほうに行こ――」

「うん」


 颯悦が走っていった方角を見やりつつ、浅葱は轟音がしたほうへと足を向けた。朔羅に向けて言葉を投げている最中で、その音を投げた相手に遮られる。

 いつの間にか人形ひとがたへと戻っていた朔羅は、浅葱を一瞬で片腕で抱き込み、唇を奪ってきたのだ。


「さ、朔羅……」

「日課でしょ? さぁ、行こうか」


 真っ赤になって反応を返す浅葱に、朔羅はいつも通りの笑顔でそう言うだけだった。

 そして主を軽々と横抱きにして、地を蹴る。


「……だ、誰かに見られたら……」

「あなたは嫌なの?」

「そうじゃない、けど……」

「……まぁ、さっきのは単なるやきもちだけど」

「え……」


 移動中、そんな会話が続いた。

 だが、現場についたところで、それ以上は続けられない現実が飛び込んでくる。


「……っ、廊下が……」


 浅葱の腕から地面へと下ろしてもらうと、エントランスから伸びている廊下が破壊されている光景が飛び込んできた。

 瓦礫となった箇所を跨ぎ、廊下の内側へと入る。

 エントランス側は遠くで騒然としているようだったが、こちらには人気ひとけはない。

 その反対側で、琳とらんが妖魔と応戦していた。


「琳!」

「……浅葱どの、丁度よい所に。動きは封じましたので、あとはよろしくお願いします」


 大きな妖魔は、やはりいびつの形をしていた。

 兄妹という連携が効いたのか、苦戦はしたようだが、その妖魔はすでに動けなくなっていた。琳の結界石が周りを取り囲み、淡い青色の結界が貼られているのがわかる。


「……藍、その小さな体で、よく頑張ったね。ここにいるという事は、幸徳井さんの関係……かな?」

「アタシが、わかるの……?」

「うん。姿は違っても、オーラとか血の流れとか……そういうので、ちゃんとわかるよ」


 浅葱は自然と右手を差し出し、その指先に藍を招いて見せた。

 白い小鳥は、一切の抵抗を見せずに降り立ちつつ、彼を見上げる。

 思い返してみれば、藍は土御門浅葱という存在と、初めてまともに会話を交わした事になる。

 それすら感じさせないほど自然に、彼は接してくれた。藍にはそれが、とても有難かった。


「あ、あの……あのね、今は紅子の傍にいるの」

「うん。彼女の力になってあげてね」

「……うん」

「でも、いつかはちゃんと帰ってきてね」


 浅葱の言葉に、藍はきちんとした言葉を返すことが出来なかった。

 彼が小鳥の姿である藍の頭に、唇を落としてきたからだ。

 慈しみのその触れ合いに、藍は泣き出してしまいそうになっていた。

 温かい――とても温かい触れ合いだった。


「……面白くなさそうですね」

「そう見えるかい?」


 少し離れた場所でその光景を見ていた朔羅に、琳がそんな言葉をかけてきた。

 昔から変わらない、少々挑発的な言葉をわざと選んで投げてくる。琳はそういう存在だった、と思い返しつつ、朔羅は肩を竦めた。


「浅葱どのが周りをよく見るようになった分、あなたの視界は狭くなりましたね」

「……的確に突いてくるの、やめてくれないかな」

「否定しないのですか。……これは、面白いですね」


 琳は楽しそうに言葉を空気に乗せていた。

 相手を逆なでしつつも反論できないように追い詰めてくるのは、天猫の特性なのかと朔羅は内心で毒づいた。

 やりにくい相手とはなるべく会話を続けたくはない。

 そう思い、彼は琳から距離を取り一歩を進んだ。


「浅葱さん。和むのは後回しだよ。先にアレの処理を――」


 浅葱にそんな言葉を掛けつつ、数歩歩み寄る。その過程で琳が足止めしていたはずの妖魔へと視線をやった。

 ――妖魔の姿が、そこには無かった。


(空間移動! まさか、大きいだけのあんな雑魚に出来るわけ――)


「浅葱さん!」

「!」


 浅葱は、足元に感じた気配と同時に、自分の手の中にいた藍を宙をへと放った。

 だが、自分の体を移動させることに僅かに遅れ、直後に鈍い痛みをわき腹に感じる。


「……っ!」

「浅葱っ!」

「浅葱どの!」


 藍と琳が同時に名を呼んだ。

 朔羅は瞠目したままで、それに続くことは出来なかった。

 パン、と何かが弾ける音がした。琳はそれに反応して視線をやると、自分の施した結界と石の一つが、粉々に砕かれていた。


「意外と、脆いねぇ……」


 誰かの声がした。鈴のような笑い声と、冷たい声音。

 どこかで聞いたような、それでいて知らない声を、その場で耳に留めたものは居なかった。


 いびつの妖魔は、浅葱の足元から床を突き抜けるようにして現れ、腕だったものを杭のような形へと変化させて、浅葱の体を貫いていた。

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