19.うごめく影

「――まだ事を動かせないのか」


 暗がりの中、誰かの声が聞こえた。

 怒りと、苛立ちのような声音であった。


「やはりあの式神たちが厄介かと」

「一部を排除した・・・・だけでは、守りは崩せぬか」

「幸徳井側をダシにしようかとも思ったが……あちらも厄介なことになっている」

「全く姿を見せないが、息女の兄だろう。あれは底知れない。……恐怖すら感じる」


 数人が、密談をしているようであった。

 ――山奥にある由緒正しい寺の一画に、古びた平屋があった。

 奥地に存在するため、人目には全くつかない。表向きは観光スポットでもあるが、この平屋までは誰も目を向けない。

 それほど、潜むには適した場所であった。

 それは、『蘆屋会』の拠点の一つであった。


「土台がいて、材料もそろっているというのに、何が足らないのだ……」

「――賀茂家・・・滅亡こそが我々の悲願。焦ってはならん」

「しかしだな。あちらも我々の動きを危ぶんでいる」

「しかも、『贄』がとうとう知恵をつけ始めた」


 そこに集まるそれぞれが、意見をぶつけあっていた。

 壮年の男が大半のようだが、暗がりの空間のせいか、誰もが表情を伺えない。


「焦ってはならんが、悠長に構えていても駄目だという事だな」

「奴の式神を、一体でもおびき寄せられんものか」

「……それについてなのだが、各々がたは『雪華族』はご存じか?」


 一人の男が冷たい声でそう告げると、その他の者たちの視線が一斉にそちらへと向いた。


「門を守るあの『雪女』の事だろう。あの女以外の存在は見たことが無いが」

「随分前に滅んだのだろう?」

「そう、あちらには滅んだ種がいくつかある。それを利用してはどうか?」


 一人の男の提案に、素直に頷くものは居なかった。


「儂としてはあの狐をどうにかしたい」

「狼と、半妖のアレは?」

「あちらは触れん方がいい。彼奴等の一族も厄介だ」


 皆が一斉に、思っていたことを次々と告げる。

 それ故に、いったんは平行になりかけていた話題も、また脇へと逸れていった。


「……やれやれ。これだから先に進まないんだよ」


 そう、小さく独り言を漏らしたのは、その一角に座している一人の影だった。


 ザザ、と平屋を囲む木々が風に揺れる。

 高木が乱立しているために、陽の光が届きにくい。

 その木々の一枝に、一羽の『鴉』が止まっていた。

 鴉は眼下の平屋を暫く見つめていたが、やがてカァと一鳴きして、枝を蹴って上空へと昇っていく。

 その鴉に続くようにして、一羽、また一羽と飛び立つ別の鴉たちがいた。

 空で一まとめになった彼らは、一点を目指して彼方へと飛んで行った。

 ――賽貴さいきの、使いの『鴉』であった。




 浅葱の通う学園では、期末考査があった。

 エントランスの電光掲示板に順位表が掲示され、誰もがその結果に驚きを見せている。

 十位から五位あたりまでは、あまり変動が見られない。問題は、その上の順位だった。

 ――総合三位、土御門浅葱つちみかどあさぎ

 実技ポイントの関係でその位置ではあったが、やはり予想外であったために周囲がざわめいている。


「マジかよ、あの土御門が……?」

「なんで? 前半の架空戦闘術、全然ダメだったじゃない……」

「Aクラスの本領発揮、ってとこか……?」


 それぞれの感想が飛び交った。

 浅葱は当然、その場にはいられずに、中二階になっている個所から覗き見ている状態だ。


「はぁ……」

「僅差だったねぇ。もう少し頑張れば一番だったのに」


 小さくため息を吐きこぼしていると、隣に座る朔羅さくらがそんな事を言ってきた。


「いや……あれでいいんだよ。あんまり目立ちたくないし」


 二位は、二年の女生徒の名。

 そして一位は、浅葱と同じクラスの、前に声をかけてくれたあの男子生徒であった。

 彼はこれまでもずっと、上位をキープしている。

 将来が約束されていることもあり、プライドを誇示している体もあるが、彼本来の真面目さが結果として現れている為であり、浅葱もそれをよく知っている。だから純粋に、彼が一位で良かったとさえ思っていた。


「……あっちは中等部の結果だね。幸徳井の名前があるよ」

「本当だ……しかも一位だ」


 ――中等部・総合一位、幸徳井紅子こうとくいべにこ

 最近、何かと縁がある名前であった。


「ほら、あそこ見てごらん。あれが『紅子ちゃん』だよ」

「え、朔羅……知ってたの?」

「まぁ、縁の深い人があっちにいるからね」


 朔羅が視線のみで誘導してきた先に、一人の女生徒の姿があった。

 紅子本人の姿だ。

 彼女は掲示板を睨むようにして見つめている。一位であるのに、嬉しくはないのだろうか?

 浅葱は純粋にそう思い、彼女を見つめた。


「……っ!」


 その数秒後。

 紅子が迷いもなく、こちらへと視線をぶつけてきた。

 ――明らかに、強く睨まれていた。


「な、なんだろう……?」

「うーん……あんまり気にすることも無いんだけどねぇ」


 朔羅は、彼女のその『理由』を何となく把握しているようだった。

 だがしかし、浅葱は彼女と初対面である上に、下の名前も初めてまともに認識したという程度だ。

 そこまで考えてから、浅葱は自分の立ち位置を思い出した。自覚は嫌というほどしてきた『土御門』の名。たったそれだけで、自分の知らない人物が、自分を知っているという事が多くなる。

 紅子もまた、そういった経緯ゆえなのかもしれない。

 睨まれる理由も、何となくだが理解出来たような気がした。


「幸徳井って……ルーツは賀茂の分家だったよね」

「そうだね」

「……じゃあ、『土御門』であったかもしれないんだね」

「家督を誰が継ぐかで、先代の時には随分と揉めてたよ。僕からしてみれば些細な事だったけど、彼らにはすごく重要だったんだろうね」


(……本当に、馬鹿馬鹿しい。望む者の誰もが、浅葱さんの志を無視してるんだから)


 朔羅は静かに心の中でそう毒づいた。


「じゃあ伯父さんも、その揉め事に巻き込まれてたのかな?」

寛匡ひろまささんは、唯一の常識人だからね。いろいろ工夫して、家督を継いでもらった・・・・・・・のさ」

「……え?」


 朔羅の言葉回しに、浅葱は首を傾げた。

 まるで自分たちが叔父に家督を継ぐようにと仕向けたかのような――そう、聞こえてしまったのだ。


「……馬鹿に継がせる家柄じゃないからね」


 朔羅は口元だけの笑みを走らせ、遠く離れた位置にいる紅子を見ながらそう言った。辛辣な言葉だった。

 ちなみに紅子本人は、とうに浅葱から視線を逸らしていた。

 挑発か、牽制か。似たような感情だったのだろう。


「あの子はまぁ、賢いよ。あの掲示板が示すとおりの実力の持ち主だ。……でもね、圧倒的に足りてないものがあるのさ」

「朔羅……?」


 朔羅の言葉の意図が読めずにいた浅葱は、さらに問いかけをしようとした。

 その次の瞬間。


 ――ビーッ! ビーッ!


「!」


 突然の警告音が、エントラス内に大きく響き渡った。

 生徒たちはその音に緊張を走らせ、表情を硬くする。


『緊急事態発生。学園東側にて妖魔の出現を確認。Aクラス及びBクラスの生徒は、現場に急行してください』


「……Bクラスも?」

「え、なんで……?」


 校内アナウンスに、誰もが動揺した。該当するBクラスの生徒たちには、あまり経験のない事だからだ。

 それでも、Aクラスの生徒たちは自分の道具を確認した後、外へと飛び出していく。

 そんな姿を見下ろしつつ、朔羅は再び口を開いた。


「――浅葱さん、どうするの?」

「うん……行くよ」


 浅葱もその場で、一瞬は体を強張らせていた。以前までは、自ら進んで動こうとはしなかった。それ故に、まだ躊躇いもあるのだ。

 だが今は、違う。

 浅葱は僅かに声を震わせつつも、しっかりとその場で立ち上がり、下に降りる為に階段へと足を向けた。

 一方、幸徳井紅子は。

 人で混雑する中、瞠目した表情を直すことも出来ずに、その場で立ちすくんでいた。

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