18.告白

 朔羅さくらに最初に出会った時は、女性かと思った。

 あまりに綺麗な顔立ちで、薄茶色の髪と何より水色の瞳が、浅葱にとっては強く印象に残っていた。

 優しい色だと思った。

 彼はいつでも、浅葱の思う一歩先を考えて行動してくれていた。

 賽貴さいきと一緒に居た頃は、その距離感すらも計って行動してくれていたように思う。

 賽貴と、自分と、この家の人たちも含めて。

 ――いつか、彼自身が言っていたように、彼は常にその思考とは裏腹に、行動は一歩下がっていたのだ。

 ずっとそうしてきたのだろうか。

 賽貴と同じように賀茂浅葱を思っていながらも、その完璧な笑顔で、主と親友の為に何事も無かったかのように――。

 そう考えてしまうのは、朔羅にとっては失礼かもしれない。長年をそうして過ごしてきたのであれば、彼なりのプライドだったのだろうとも思う。だとすれば、それは尊重すべき事でもあった。


「……、っ、さく、ら……」


 息苦しい、と思った。

 口づけをされているのだから、仕方ない。

 ――とは、冷静にも考えられない。

 もちろん自分は、こんな事は初めての体験だ。

 するにしてもされるにしても、とにかく自分には縁が無かったからだ。

 何も見ようとしてこなかった。だからこそ、他人との縁も築けない。浅葱はそれでもいいとさえ思っていた。

 だからこその今の現状は、とても信じがたいものだった。


「ふ、……ん、っ、あ、あの……、ちょっと……待っ……」

「……苦しいの? キスってね、こうしてお互いの唇を交わしていけばいいんだよ。……そうしたら、ほら……呼吸も出来るようになるから」

「ん、っ……ふ、ぁ……」


 浅葱が必死になって、僅かに朔羅の体を押して、言葉を作った。

 それをきちんと聞いてから、しかし朔羅は、離れようとはしてくれなかった。

 それどころか、再びキスをされて、そのまま唇を貪られる。

 間近の水色の瞳は、まさに水面のように揺れて、浅葱を惑わせた。


「……ん……」


 こんなに情熱的なものなのだろうか。

 最初は、ロマンチックな触れ合いから始まるものでは無いのか。

 そんなモノは、見ただけの知識などは、現実には何にも役には立たないのだと、浅葱は今まさに実感していた。

 脳が痺れるような感覚が、どんどん溢れてくる。

 余計な思考が、掻き消されていくような気がした。


「……、……」


 朔羅は、自分の腕の中で必死に口づけにこたえようとしている浅葱を見て、眩暈を起こしそうになっていた。

 触れ合う事には慣れきっている。

 だからこそ、主には無体をしないようにと気にかけてきた。


(……そう、今も思ってるんだけどな……)


 内心で呟きつつ、浅葱の唇をぺろりと舐める。

 すると目の前の主は、頬を染めてビクリと肩を震わせた。伏せられた瞼は小さく揺れて、今にも泣いてしまいそうだ。


「……浅葱さん」


 思わず、名を呼んだ。

 すると浅葱は恐る恐る瞼を開いて、自分を見上げてくる。


「っ、……、な、なに……?」

「かわいいね」

「な、っ……そんな、僕、なんか……」

「……うん、混乱してるのは……わかるよ」


 浅葱は真っ赤になりながら、そう言ってきた。

 自分も他人も愛してこなかったからこそ、自虐的な言葉が優先される主を、絆していくしかない。

 朔羅はそんな事を思いながら、浅葱の頬に改めてのキスをしてから、口を開く。


「本当なら、このまま抱いちゃおうかなって思ったんだけど……今日はここまで、ね」

「……っ、あ……」

「あれ? そうして欲しかった?」

「えっ、……い、いや、あの……僕は……」


 浅葱は混乱しているようだった。

 無理もない話だ。

 だからこそ、勢いには乗らないほうがいい。朔羅は、そう判断したのだ。


「今更だけど……僕を好き?」


 僅かな間の後、朔羅は静かにそう問いかけた。

 すると浅葱は、一瞬だけ迷ったように瞳を泳がせたが、それでもきちんと朔羅を見上げて、口を開く。


「うん……好きだよ」


 か細い声だった。

 それでも、朔羅にはしっかりと届いていた。

 素直に嬉しくて、彼は柔らかく微笑む。

 そして朔羅は、自分の額を浅葱のそれにそっと押し付けてから、囁いた。


「――僕も、あなたが好きだよ」

「僕は、賀茂浅葱にはなれない……それでも?」


 ――朔羅は、僕を好きでいてくれる?


 朔羅は瞠目していた。

 ここにきて、浅葱はやはりどうしても比べてはならない人の名をあげてしまった。

 思わず、だったのか、意図的だったのかは自分でもわからなかった。

 それでもマズいことを口走ってしまったとは、自覚した。

 たまらず朔羅から視線をそらして、彼の体を今度こそ自分から避けようと肩口に手を伸ばす。

 それを止めたのは、朔羅だった。


「……さて、どうしてくれようか」

「さく、ら……?」


 伸ばされてくる浅葱の手を軽々と自分の手の中に収めてから、僅かに強くに握りしめて、そしてベッドに押し付ける。

 内に秘めている感情が、溢れ出してしまいそうだと思った。


「……目、の色が……」


 浅葱が瞳の色を指摘してくる。

 普段の水色から金へと変容しているのだろう。自覚はしているので、朔羅自身も苦笑するしかない。


「うん。ちょっと感情が高ぶったりすると、こうなっちゃうんだ」

「あの、やっぱり、怒った……?」

「いや、違うよ」


 朔羅はそこで言葉を切って、浅葱の額に唇を落とした。

 ちゅ、と音を立てれば、浅葱が小さく震える。

 それを間近で感じ取りつつ、彼はその唇を移動させた。

 鼻すじを通って、頬に。それから一度唇へとキスをして、また頬へと滑っていく。


「っ!」


 ビクリ、と反応を見せたのは浅葱だ。

 自分の肌に触れてくる朔羅の吐息に、体が先に反応してしまったのだ。


「……っ、さくら、あの……っ」

「うん? どうしたの」


 言葉を作ると、朔羅がそれを返してくれる。

 それだけなら、良かった。

 彼の唇は今、浅葱の耳元にある。

 だから当然、吐息と声がダイレクトにぶつかってくる。

 浅葱は何も考えられなくなり、ぎゅ、と瞳を閉じた。


「――浅葱さん、嫌だって言わなくちゃ」

「だ、だって……っ」

「抵抗しないと、ダメだよ」


 落ち着いた声音が、耳元に届いた。

 浅葱はそれで、僅かに瞳を開く。

 すると朔羅は困ったように笑いながらも、その身を引いたのだ。


「あ~ぁ、惜しいことしたなぁ」

「……朔羅……?」


 朔羅はそう言いながら、浅葱の腕を引いて彼の半身を起こしてやった。そうする事で、これ以上を進まないように自制するためでもあった。


「……目の色、どうなった?」

「あ、水色に戻ってる」

「そう。……これね、ホント言うと、あんまり良くないんだ。僕が暴走する合図だからね」


 それを聞いて、浅葱は何となく理解した。

 体感して、すんなりと腑に落ちたと言ったほうがいいのかもしれない。


「感情が乱れると……その、ああいう感じになるんだね?」

「……昔はね、コントロールが出来なかったんだよ。だからああなると、欲しくなっちゃうんだ」

「何を……?」

「血、かな。妖魔だからね、本質のほうが先に出ちゃう感じかな?」


 血を欲する妖魔。

 そういう類のものは、数多に存在する。むしろ、妖魔そのものが、すべて人間の血を欲していると言ったほうが早いだろう。

 式神となった今でも、彼らの本質は変わりない――そう言う事なのだ。


「でもね」

「?」

「さっきのは、違うかな。……浅葱さんが物凄く欲しくて」

「……え……」

「さっきの質問、あれは反則だよ。僕はもちろんだよって答えるけど、煽られると困るなぁ」


 ――賀茂浅葱にはなれないけど、僕を好きでいてくれる?


 不躾な質問だと思っていた。

 だから朔羅を怒らせてしまったと、浅葱は思っていた。

 その実は、真逆であったらしい。


「あ、あの……」


 浅葱は再び、頬を真っ赤に染めた。

 朔羅の言葉の意味を理解したのだろう。


「今日は我慢してあげるけど……次は無いからね?」

「え、あ……う、うん……」

「――ちゃんと、わかってるのかな?」

「……、……っ」


 朔羅が繰り返し、問いかけをしてくる。

 浅葱をわざと追い詰めて、楽しんでいるようだ。

 そして浅葱は、やはり返答に困り、俯いた。


「僕があなたに何を欲するのか。それが何であるのか――わかるよね」

「う、うん……一応……」


 頬を染めたまま、小さな声でそう答える浅葱に、朔羅は改めて自分の腕を回した。

 そして彼の反応を待たずに体を引き寄せて、頬にもう片方の手を滑り込ませる。


「……前にも言ったけど、僕は獣族だから……欲しいと思ったものは絶対に離さないし、逃げたら追うからね」

「に、逃げないよ……多分……」

「ははっ、こんなに真っ赤になって言うセリフじゃないね。あ、そうだ。ついでだから言うけど、キスは毎日させてね」

「は、え……んむ……」


 とんでもないことを言われて、さらにとんでもないことを続けられて。

 浅葱の脳内は、すでにいっぱいいっぱいであった。

 だが朔羅は、楽しそうに笑いながら、至近距離にあった主にまた口づけをしてくる。

 それには式神としての理由もあるのだが、どちらかと言えば、その立場を利用している節があった。


「……こうやって触れれば、僕の式神の証をきちんと確立していけるから」

「そ、そう……なんだ……」


 浅葱のほうも、思考がすでに回らない状態にあるので、朔羅の言葉を鵜呑みにするしか出来ずにいる。


「主としてもそうだけど……あなたは僕のものになるんだってこと、理解してね」

「……わ、わかったよ……」


 何を意味するかなど、きっと考えてはいけないのだ。

 浅葱はそう思うのが精いっぱいで、朔羅にそう返事をしていた。

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