16.双子たち
浅葱のことを、最初に言い出したのは、アタシのほうだった。
遠い昔、決着を着けたはずだった。皆がそうしたように、
待てると、思ってた。
――何が、ダメだったんだろう?
実際、あの時、何が起こっていたのかは解らなかった。
ただ、浅葱が目の前にいて、すごくすごく苦しそうで、それでも何かを講じているような――とにかく、アタシの主で、友達だった『賀茂浅葱』は、通常の状態では無かった。
みんな、混乱してた。
あの時、正常な気持ちで浅葱と対峙出来ていた人なんて、いなかったと思う。
ごめんね、ごめん……みんな、琳、
浅葱はそう言っていた。
何に対して謝ってるの。誰に、なんで――。
やっぱり、誰にも答えは出せなかった。
それからしばらくして、浅葱は消えた。
誰が、
蘇るべきではないから――と、言っていたのは、土御門の誰かだったんだと思う。
そうしたら、少しだけヒトとヒトが言い争いになって、最初は一人、二人の諍いが、どんどん大きくなっていった。
アタシたちの立場じゃ、止めることも言える言葉も無かった。
そうこうしてる間に、アタシの中の何かが、ぶちんと切れた。
それで、琳の腕を引っ張って、わき目も降らずに走って、蘆屋の古い屋敷へと潜り込んで――。
――見つけてしまった。
開けてはいけない箱。漆塗りの文箱には、幾重にも重ねられた札が貼られていた。それに触ると、アタシの指はどろりと溶けた。
呪いの札だった。
それでもアタシは構わず、札を破いて蓋を開けた。そうして中に入ってた古いふるい本を取り出して、頁をめくる。
琳は、そんなアタシを止められるはずだった。だけど、何も言ってはこなかった。
止めるべきだったのにね。
そうして、我に返った時には、何かの術が発動していた。
――浅葱、おねがい、もう一度だけ帰ってきて。
アタシのもとに、琳のもとに――皆の元に。
願うのは、それだけだったのに――。
「藍、ごめんね。こんな、むごいことを強いてしまって――でも、絶対――」
藍は返してあげるからね。
何を言ってるの?
浅葱、なんで泣いてるの?
アタシが禁を犯したから?
「――藍ッ!!」
琳が、見たことも無いような表情をしていた。その顔が苦しくて、切なくて、やるせなくて、申し訳なくて……。
とにかく、泣きたい気持ちでいっぱいだった。
だけどアタシは、泣けなかった。
そこに、泣ける体はもう無かったから……。
「……あれ?」
藍は数回の瞬きをした。
涙で視界が歪んでいる。それを自覚する前に、雫が足元へと落ちていった。
「藍、大丈夫ですか?」
「え、あ……りん、っ、静柯、さま……?」
懐かしい声であった。
それを耳にして、彼女は慌てて顔を上げた。視界に飛び込んできたのは、静柯の顔だった。
兄かとも一瞬だけ思ったが、なぜか彼の気配を感じなかった。
「あれ、なんで……アタシ、どうして……?」
「……うん、大丈夫そうですね」
静柯は藍の様子を注意深く確かめているようだった。そんな彼の動作がとても大きく感じて、藍は首を傾げる。
「藍。……あなたに確認も取らずに勝手なことをしてしまい、申し訳ありません。少々、マズいことになっていたので、あなたの魂を移させてもらいました」
「え……」
静柯の言葉に、藍は素直に動揺した。
彼が何を言っているのか、理解出来なかったのだ。
「静柯さま……アタシは……」
「かわいい小鳥さんですよ。……ほら」
「え……これ、アタシですか? えっと、文鳥……ですよね?」
静柯が鏡を向けてくれた。
その向こうに見える自分の姿に、藍はひたすらに驚くしかなかった。
彼の言うように、自身が文鳥になっていたからだ。
魂の移動――静柯は簡単に言ったが、これは簡単ではない術の一つだったはずだ。
「あくまでも、一時です。私の今の時代の妹――
「……静柯さま。それって……そんなことをして、大丈夫なんですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。
「…………」
静柯は笑顔だった。
こういう時の彼とは、あまり会話は弾まない。
藍は猫であった時に、それを何度か見知っていた。
追及をしてはならない。
そういう事なのだ。
「何かと不便かもしれませんが……私の傍にいる限りは、大丈夫ですから」
「……はい、と、今は……言っておきますね」
遠い過去から、浅葱の甥として生まれたあの時から、静柯は藍にとっては不思議な存在であった。
つかみどころがない、と言い切ってしまうと、それだけだ。
浅葱とは違う、何か――途方もない遠くを見ている。そんなことを、思っていた時があった。
若干、怖さも感じるほどに。
そこまで考えて、藍は自分の抱えていた気持ちや記憶、後悔や悲しみが軽くなっていることに気が付いた。
それを訴えようと静柯を見ると、彼はやはり、優しく微笑むだけだった。
「……おそらくね、あなたがやらなくても、いつか誰かがやってしまうと思っていたんです。だからね、誰もあなたを責めたりしませんよ。皆で少しずつ、探していきましょう」
「静柯さま……」
直接的な事は、何も言われなかった。
だがそれでも、藍は彼の言葉に救いを感じた。
だからこそ彼女は、素直に頷いてその仮の体でしばらく過ごすことを受け入れたのだった。
事の顛末は、藍と独白とほぼ同じだった。
それらを大まかに琳の口からきいた浅葱は、確かに驚いていた。
だが、それはなぜか、すんなりと受け止められる事象でもあった。或いは予想が出来ていたのかもしれない。
「……そう、か」
大きなため息を一つだけ吐いた後、浅葱はそう言った。
向かい合っている琳は、その息遣いに緊張しているようであった。ずっと伏したままでいる彼は、浅葱の表情までは伺うことが出来なかったのだ。
「琳、……よく、打ち明けてくれたね」
「……いえ、今まで申し上げられなく……本当に……」
「うん、それは……いいから。とりあえず、頭を上げて」
「はい……」
琳は浅葱の言葉を受けてから、遠慮がちに上体を起こした。
浅葱の隣には朔羅がついている。
その場にはいつも、
ちら、と朔羅を見れば、彼はいつもどおりの表情だった。僅かに口角を上げて、若干は何かを思っているのかもしれない。
だがその真意は、誰にも伺い知れなかった。
「ええと……ごめんね、あんまりうまく話をまとめられてないね」
浅葱は膝の上に置いてあるノートに文字を書き込みながら、そう言っていた。
今時であればスマートフォンで簡単に物事を記録できるはずだが、彼は敢えて紙に要点をまとめることに注力していた。
そうしたほうが頭に入れやすいのだと、前に言っていたことを思い出す。
「……藍のことですが、今は、幸徳井に預かって頂いてます」
「そうなんだ。さっきから気配を感じないから、気になってたんだよね。幸徳井のことは、中等部に女の子がいる、くらいしか分からなくて……」
「今は、それだけでいいと思います」
「うん、わかった」
琳はそれだけを答えると、また浅葱の行動を待つ姿勢を取った。
朔羅も、黙ったままで浅葱の綴る文字を見ている。その視線がとても柔らかなものだと感じて、琳は少しだけ不思議だと思った。
「……あの、朔羅。あんまり見ないで欲しいんだけど」
「今更、何言ってるの。書いた事を見てほしいって言ったのはあなたでしょ」
「そうだけど……書いてるところを見られるのが、あんまり好きじゃないんだよ。緊張するから……」
「ふぅん」
浅葱が遠慮なく自分を見てくる朔羅に向かって、そんな苦言を投げた。
だがそれは、やはり無駄な言葉となり、流される。朔羅は笑って返事をしたのみで、その姿勢を改めることはしなかったのだ。
「……少し、安堵しました」
「え……?」
琳が僅かに時間を置いてから、そっと唇を開いてそう言う。
浅葱は慌てて自分のノートから視線を移して彼にそれを向けると、琳は微かに微笑んでいるかのような表情をしていた。
「以前のあなたは、常に張りつめていらっしゃって……お辛そうでしたので」
「あ、そうか……ずっと、傍にいてくれたんだもんね」
黒猫の『リン』として、彼はずっと浅葱を見守っていてくれた。
真実を告げられずに、それでも離れずにいてくれたこと。
浅葱はそれを改めて思い返して、目を細めて笑った。
「……ありがとう。今度は僕が、あなたたちを救うからね」
「――――」
「琳?」
「あ、いえ……失礼しました。ありがとうございます」
琳は思わず、静柯に告げたようにして負の感情が口から出てしまう所だった。
救うと言っても、望みも少ない現状に、どんな活路があるというのか。
そう思ってしまった自分を、内心で恥じる。
浅葱は必死で、それを探している最中だと言うのに、自らの諦めの感情を、ぶつけてしまう所だったのだ。
――土御門浅葱は、確かに変わった。
そして彼を支える者たちの立ち位置も、変わった。だから自分も、前を見なくてはならないのだ。
「これからは僕も出来る限り、あなたに尽くします」
「うん。頼りにしてるよ」
浅葱は嬉しそうだった。
琳もその笑顔に不安が溶かされていくように思えて、小さく息を吐きこぼす。
浅葱と琳――そして藍は、ようやくここから、互いの心を通わせる一歩を、踏み出せたのだ。
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