05.退魔師として

 退魔師という立場に立つものは、こなさなくてはならない事がいくつかある。

 一つは名前の通りの『退魔』。そしてもう一つは、夜間の見回りだ。

 これはローテーションで、周回箇所と曜日が割り振りされている。

 ちなみに、学園生徒は夜間は危険とされていてこの対象から外されているが、土御門家だけはそれが除外されていた。

 理由は学園の理事長が匠の父親である事と、多くの退魔師の中で『最強』を誇っている家系でもあるからだ。

 そんな輝かしい理由も、浅葱あさぎにとっては迷惑なだけの話であった。

 だがしかし、夕食前にたくみに来いと言われてしまった。そして自分は、頷いてしまった。だから今現在、この場にいる。


「えーと、俺たち今日はどこ担当だっけ?」

「……今月は上賀茂あたりだったと思うけど」


 隣に立つ匠は、遠くを見回しながらの質問をしてくる。

 浅葱が小さくそう答えると、彼は満足そうな笑みで「そうだったな」と言って、背中をポンと叩いてきた。

 わざと聞いてきたのだろう、と浅葱は思った。

 そもそも、匠が忘れるはずもないのだ。配分を行っているのは土御門なのだから。

 退魔師たちはその活動を外で行う場合、着用しなくてはならないものがある。千早と呼ばれる透けた着物だ。神社の巫女が神事などで着る白い上着と同等なのだが、退魔師のそれはデザインが少しだけ違った。

 現代に合わせて様々な色や柄などが取り込まれ、丈も前は短く後ろは長く、脇も割れてはいない。

 ただ、各家での見分けが必要とされているために、土御門では黒生地で襟が紺、前で結ぶための組紐は青、という決まりがあった。そして、極めつけは背に家紋が入っているということだ。土御門は揚羽蝶であり、遠目でも分かるように銀の糸が使用されている。

 浅葱には、重すぎる上着だ。

 バタバタ、と風に後ろ衣が揺れる。それを聞き続けるのが嫌で、浅葱は脇を抑えて衣を引っ張った。


「さて、今日は上賀茂近辺ってことは、注意するポイントは深泥池あたりだなぁ。妖魔ってよりは、怨霊ばっかりのとこだな。ついでに出来るだけ祓っておこうぜ」

「匠兄さんの得意分野でしょ、それ。僕は見てるだけにするよ」

「そう言わずに、協力してくれよ。あれって結構骨折れるんだぞ」

「……それは、知ってるけど」


 匠はどちらかというと、怨霊を祓うことに注力するほうであった。以前に浅葱がそれとなく理由を尋ねたことがあるが、「誰かがやってやらなくちゃ、無念も晴れないだろ」というもっともな返事があった。

 実に匠らしい、と思う。

 浅葱からしてみると、地に残る怨霊のほうが妖魔より厄介なのでは、といつも感じていた。

 彼らが発するものは、この世への哀しみと怨恨だ。道を歩くだけでその声が聞こえてくる。生者に対する憎しみなども混じっており、それを聞く度にこちらまで嫌な気持ちになった。

 この声は、退魔師もしくはその立場にある者にしか聞こえないらしい。浅葱には物心ついた頃からその声の記憶があり、慣れもあるのだが嫌悪感も未だに拭えないでいるようだ。


「……ねぇ、匠兄さん。なんで僕たち退魔師って、必要なのかな」


 思わず、そんな問いかけを匠に向かってしてしまう。

 すると優しい従兄弟は、顔色一つ変えること無く、うーん、と唸りながら首を傾げた。


「そういや、そうなんだよなぁ。当たり前過ぎて考えなかったけど、これって一般から見ると非日常になるんだよなぁ……。ちょっと移動しながら、話すか」

「うん……」


 そんな会話をしつつ、二人は移動を開始した。向かう先は、深泥池(みどろがいけ)周辺である。

 心霊スポットとしても有名すぎる場所が、今日の見回りポイントだった。

 タクシー幽霊、病院患者の入水自殺、鬼の伝説。

 その場の心霊話は尽きない。タクシー幽霊の『消えた女』に関しては、最寄りの交番に当時の記録まで残っているらしい。


「俺んトコさぁ、一回母さんが『生贄』にされかけてさ」

「……え、伯母さんが……? それ、僕がまだ匠兄さんの家に引き取られる前の話だよね?」

「そ。俺が中1だったの時の話。母さんってさ、元々巫女さんだったんだけど、どっちかって言うとさ、隠された存在でさ」

「ああ、ええと……アングラ的なやつ?」

「そうそれ。……母さんの実家が、そういう系統だったんだな。それで、母さんも贄の巫女って呼ばれてたんだ」


 匠が突然語りだした話に、浅葱は普通に食いついた。信頼出来る兄が漏らす浅葱の知らないことには、いつも不思議と強い興味があったためだ。

 夜の帳に紛れるようにして移動する二人は、やはり一般人の視界にはあまり入らないようであった。


「父さんが母さんと出会った時な、ちょうど、母さんが神主不在の神社に幽閉されてる時でさ。それはもう、逃げるようにして手に手を取り合って、結婚したんだってさ」

「聞いてるだけならドラマチックだけど、それ、かなりの問題だったんじゃ……」

「そうそう。だから暫くは俺んちの結界、すんげー強固だったらしくてな。母さん隠すために。……まぁ、そういう経緯があって俺が生まれたんだけどさ」

「今は大丈夫なの?」

「まぁ、今でもちょいちょい突っ込みはあるらしい。だからさ、それで連れ戻されそうになった……いや、攫われちまったんだ」

「……その、贄にする為に?」

「そうだな。んで、俺が母さんを助けに行った。父さん、ちょうど日本に居なくてさ」

「…………」


 何から何まで、聞いたことのない話だった。

 浅葱の父と匠の父は兄弟であったが、それほど親交は無かったように思える。だからこそ、従兄弟の存在も、遠戚かと思うほどの距離が生じていた。

 幼少の頃は、何度か遊んだこともあったのだが、その頃の記憶は今の浅葱には曖昧なものでもあった。


「よからぬ事を考えてるヤツって、どこにでもいるもんでさ。母さんも『あるモノ』を復活させるために、犠牲にされるところだった。当時の俺ってさ、まだ未熟でなぁ。……今の浅葱みたいに、退魔師の力ってのに、否定的だったんだ」

「え……そう、だったの?」

深影みかげ灯影ほかげもまだいなかったからな。まぁ、そん時に必死に呼びかけて答えてくれたのが、彼女たちだったんだけどな」


 実力も知名度も優れた従兄弟に、そんな過去があったとは、と浅葱は素直にそう思っていた。

 生まれ持っての天才などいない。

 それを体現しているかのようでもあった。


「退魔師って、何だろうなって思う気持ちは、解らない事は無い。けど俺は、こんな俺にでも出来ることがあるって気づいたから、続けてるんだ」

「出来ること……」

「……俺の勝手な気持ちだけどさ、浅葱にもそういうきっかけみたいなもんがあったら……もうちょい実感も湧いてくるんじゃねぇかなって、思ってるよ」


 匠は少しだけ困ったかのような笑みを浮かべつつ、そう言った。自分に気を遣ってくれているのだろうと思う。目の前の従兄弟は、いつでもそんな優しさに溢れている。


「……っと、早速お出ましだなぁ」


 池に着いたところで、数メートル先に影を見た。

 形になりきれていない、悪霊であった。


「兄さん、ちょっと数多いみたいだよ」

「だなぁ。手分けしてもいいか? 深影か灯影、置いていくからさ」

「出来る限り、頑張るよ……」


 池の奥には数体、それ以上の数の霊が見える。

 水場は霊体が集まりやすいと言われるが、その通りなのだろう。外周から左右に別れてぐるりと一周巡り、数を減らしていくしか無いようだ。


「というワケで、アタシが浅葱ちゃんに付いててあげる」

「……よろしく」


 そう言いながら、式神符から出てきたのは、金髪の少女、灯影であった。

 彼女の半身である深影のほうは、匠の傍に付いていく。

 そして二人は二手に分かれて、行動を始めた。


「あの……」


 匠が左ルートを進んでいくのを確認してから、浅葱はゆっくりと口を開いた。

 声を受け止めた灯影は、ルビーのような瞳を向けて、浅葱を見上げてくる。


「つき合わせて、ごめん。……本当は、深影と一緒に匠兄さんと行きたかったよね」

「……ん~、別に。タクミちゃんは深影だけでもちゃんとやっていけるしね。それよりほら、ちゃんと成すべきことをしてよ。アタシは吸収しか出来ないんだから」

「あ、うん……」


 灯影は外見どおりの、少しだけキツい印象を与える性格をしている。

 彼女の言葉に従うようにして、浅葱は腰ベルトに装着していある革のケースに手をかけて前を見た。その中には、退魔符と除霊アイテムなどが入っている。


「浅葱ちゃんは出来ない子なんかじゃないんだから、もっと胸張りなさいよ」

「え……」

「――ほら、来たわ! ちゃんと前見て!」


 灯影が早口気味で伝えてきた言葉に、浅葱は思わず視線を戻してしまう。だが、直後の再びの彼女の言葉に慌てて反応し、一枚の符を取り出した。


『オオォオオォォ……!』


 悪霊という存在は、自分たちを祓おうとするものには激しく反応してくる。その視界に入った途端に飛びかかってくるのも、わかりきった行動パターンであった。


「結!」


 浅葱の左腕が前に伸ばされた。霊に向かって開かれた手のひらからは、言葉と同時に光の膜のようなものが形成され広がっていく。

 短い言葉のみで発動できる、結界であった。

 その膜に激突した形となる霊は、バチン、と音を立てて後ろへと弾き飛ばされた。


「…………」


 灯影はそれを黙って見つめているだけであった。彼女には確信出来ていることがあるからだ。

 浅葱はこの池に蔓延る霊たちに、屈することはない。だからこそ、匠が浅葱に付けと命じてきたのだ。

 主の命は、絶対だ。その判断も何もかも、彼女は信じている。そして、浅葱が『何らかの自身の押さえつけ』により思い通りに自分の式神を喚べないことさえ、理解の範疇だった。

 性格ゆえにすぐに自虐に走りたがる傾向には賛同は出来ないが、それでも灯影は主の従兄弟を信頼しているのだ。


「浅葱ちゃん、集中して」

「う、うん」

「アナタの霊力は、もう少し頑張ってコントロール出来たら、ここらへんの霊は一層出来るわよ」

「で、でも、やったことないよ」

「……だったら、練習だと思って今やってみなさいよ」


 小さな少女から発せられる言葉が、浅葱にはなぜかとても新鮮に聞こえた。

 だからなのか、彼女の言うとおりに己の能力というものに素直に向き合ってみることにする。


「…………」


 ――まずは、伸ばしている手の先に、光を集めるようなイメージです。


 そんな声が、脳内を巡った。

 過去に賽貴から言われた言葉であった。

 いつもなら彼の言うことには殆ど耳を貸さないが、その響き通りに浅葱は伸ばしたままの左腕、その手のひらの先に光を集める想像をした。

 呼吸と、血の巡り。己の体を巡る温かなもの。

 それをイメージすると、手の先に今まであまり体験したことのない熱を感じた。


「それをもっと集めて、球体みたいにして、それから弾けさせてみて」

「うん」


 灯影の言葉どおりに、浅葱は光を集約させた。徐々に球体になったそれは、浅葱の次の言葉と同時にその場でパァンと弾けて拡散する。


「散!」


『――ギャアアァアアァァ……!』


 周囲の悪霊を5、6体ほど、一気に消した感覚が指先に伝わった。


「浅葱ちゃん、そのまま符に吸収して」

「で、でも……それは灯影が」

「アタシが吸収したら、主である匠ちゃんに功績が行っちゃうでしょ。自分の手柄くらい、自分で残しなさい! ほら、早く!」

「……うん」


 浅葱が少しでも躊躇うと、灯影は尻を叩くかのようにして言葉をぶつけてきた。それが少しだけ気持ちよく感じて、浅葱は心穏やかに自身の符に霊の影を吸収する。

 退魔符は、吸収を終えると黄色から紫紺へと色を変えるので、証拠ともなるのだ。

 浅葱の手元には、その紫紺色に染まった符が収まった。

 普段は何も感じないはずの光景が、嬉しく思えた。


「だから言ったでしょ」

「うん……ありがとう、灯影」

「アタシは何もしてないわ。ここで見てただけ。それに、普段の教えが生きてるって、実感したでしょ?」

「……それって、賽貴のこと言ってる?」

「変に距離おいてるみたいだけど、式神たちにはもう少し寄りかかってもいいのよ。アタシ達は、主に必要とされなければ、意味もなくなるんだから」


 灯影のその言葉が、浅葱の心を突いた。だが、嫌な気持ちになったのではなく、申し訳ないという気持ちが先に働いた。

 灯影はそんな様子の浅葱を見て、肩をすくめる。

 それからチラリと視線を移して周囲を見渡すと、自分の主である匠が最後の仕上げを行っているのが見えた。

 この場はこれで片付きそうだ。


「匠ちゃんが戻ってきたわ。合流しましょ」

「あ、うん……」


 そういう灯影に対して、浅葱は小さい声で返事をして地を蹴った。

 数メートルを歩いた先で匠たちと合流し、彼らは互いの健闘を称え合っている。


「――再びの穢れ訪れるその時まで、眠れ」


 そんな声が遠くで響き、花浅葱色のひし形の石が、地面に突き刺される。

 それは、賽貴さいきの持つ結界石であった。

 土に触れた後、形を崩した石は地面を這うようにして、ゆっくりと拡散していく。

 深泥池周辺は、一気に清浄なる空気に包まれ、結界が張られた。

 事の一部始終を『見守るだけ』に徹していた浅葱の一の式神は、その場で小さく笑みを浮かべるのだった。

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