04.式神たち
「――最近、どう?」
「見ていて知っているだろう。俺の反応を楽しむだけなら、別の機会にしてくれ」
珍しく機嫌が悪いな、とその男は思った。
いつもは感情をあまり表には見せないはずの腐れ縁は、少し陰鬱な気分のようだ。
「遅れてしまったか?」
「ああ、紅炎と白雪がまだだから、大丈夫だよ」
そんな会話が続く。何処からともなく現れた、三人目の男にそう声を掛けると、『彼』はゆらりとその場から立ち上がった。
この空間は、少しだけ風変わりであった。
浅葱に合わせて構築されているらしい、異空間とも言える場所であり、『式神たち』が人目を気にせず顔を合わせられるポイントだ。
らしい、と言うのは、これらを作ったのは浅葱本人ではなく、従兄弟の匠の計らいであり、彼曰くという前置きがあるからだ。
不機嫌な空気を崩さずにいる一の式神、
その彼に最近を訪ねてきたのがニの式神、
飄々としていて、口元の笑みを崩すことがなく、それが僅かな歪みとして錯覚しそうであった。
遅刻を気にしながら姿を見せたのは、盲目で長髪の男性だ。鶯色のそれを後ろで束ねて、額には鉢巻のような布が巻かれている。光を持たない茶色の瞳は、それでも迷うこと無く相手を見抜く気迫を持ち合わせる。
名前を、
残りの二体は女性だが――。
「すまない、遅れたな」
「すまぬ、遅れてしまったようだの」
ほぼ同時に、そんな声が発せられた。
それぞれ別の方向から姿を見せたが、全くの印象を植え付ける二人だ。
真っ赤な炎を思わせる勝ち気な瞳と、首の後でしっかりと結ばれた茶色の長い髪。紅い着物を着ているが、露出が目立つ女性の名は、
そしてもう一人は、名を
浅葱の四の式神とされているが、彼女は一番の長寿でもあるために他の四体は愚か、匠でさえも逆らうことが出来ないらしい。
それぞれに時代の流れにより着ている和服の形などを変えてきたが、白雪だけは昔から変わらずの長袴に
「二人とも久しぶりだね。……白雪は相変わらず忙しいみたいで、呼び寄せて悪かったね」
「いや、良いのだ。こうして会う機会を設けて貰わねば、
朔羅がそう声を掛けると、白雪が笑みを作りつつ答えた。彼女は元々、人間と妖魔の狭間を生きるものでもあるので、『通り道』の番が常日頃から役目として課せられている。
人間が暮らすこの世界を簡易的な言葉で『人間界』とするならば、妖魔が暮らす世界も当然存在する。俗に言われる『魔界』がそれに当たる。
かつては治める者が存在したようだが、現在はそれが『不在』であるらしい。
彼らが魔界から人間界へと移動する場合、必ずとある鳥居をくぐり抜けなければならない。いかなる理由があろうとも、その鳥居が境界線となっている為に、必ずだ。
『通り道』とは、すなわちこの鳥居のくぐり抜けにあたり、番は白雪が永年勤めている。その理由は誰も知らないが、とにかく彼女が一人きりでその任にあたっているのだ。彼女は鳥居を『門』と呼び、普段は持ち合わせる能力で閉じている。その門は、異空間にいくつも存在するが、近年は強制的に開かれてしまうことも多く、白雪の負担は昔以上であるようだ。
「さて……。まぁ、いつもどおりの現状報告なんだけど。賽貴さんが珍しくちょっとご機嫌ナナメだから、今日は僕が指揮を取らせてもらうよ」
「その現状からでも、大体は把握出来るが」
「まぁ、いいじゃない。言葉にしておかないと、前にも進めないでしょ」
五体はそれぞれ、体を向き合わせつつその場に腰を下ろした。
そして朔羅がそう言いながら、主である浅葱の状況を語りだす。途中で言葉を差し込んできたのは颯悦であったが、それをやんわりと受け流しつつ、彼の言葉は続く。
「賽貴さんは相変わらずの教師。女生徒とからの人気も揺らがないねぇ……完全に無視するのも凄いけど。僕も相変わらずの立場。土御門家の警護と浅葱さんの見守り。付かず離れずって、本人にも言っちゃってるしね」
「浅葱どのは、まだ我々を拒絶されたままか……」
「喚び出そうとすらしてくれないからね。賽貴さんと僕は普段から表に出させて貰ってるしまだいいけど、紅炎たちにはつらい思いさせちゃってるかもね」
「いや……仕方ないだろう。彼の本意では無いのだから」
朔羅と紅炎の会話に、皆が表情を暗くする。
土御門浅葱の式神として――とは、名ばかりの存在になってしまっている彼らは、本来の役目を発揮することが出来ずに、やはりもどかしいのだろう。
だが、自分たちにはどうすることも出来ない。主である浅葱が拒み続ける限りは。
「……実際のところ、改めての皆の気持ちを聞かせて貰ってもいいかな。土御門浅葱を、『浅葱さん』とは別人として見てる?」
「…………」
「…………」
「朔羅は、いつでもそうやって妾たちを困らせる。かような言葉を貰って、否、と言い切れる者はここにおらぬだろう」
土御門浅葱は、賀茂浅葱にあらず。
解りきっている事だ。その真実を、知りすぎるほど知っているのは、他でもない彼らだけなのだから。
それでも、同じ名である為なのか、どうしても重ねてしまう時があるのだ。五体が五体とも、かつての主である賀茂浅葱と、今の浅葱を。
顔が似ているかと言えば、決してそうではない。髪と瞳の色が同じと言うだけで、生き写しというわけではないのだ。
「僕たちが今の世に残されている理由って、何なんだろうね……待っていたって、僕らの浅葱さんは……」
「――やめろ」
朔羅の言葉を遮るようにしてそう言ったのは、今の今ままで黙り込んでいた賽貴であった。
そして彼は静かに立ち上がり、その場を後にしてしまった。本当に珍しいことだが、それだけ彼の気に障る事柄だったのかもしれない。
「朔羅。……わざと賽貴どのを焚き付けただろう」
「どうかな。でも、そうだね。僕ら式神としての首座は昔も今も賽貴さんだ。彼が動かない限りは、僕らは何も出来ない」
颯悦からの苦言は、ため息混じりのそれであった。
かつては朔羅とは何かと折り合いが合わずに意見をぶつけ合ったこともあった。だが今は、穏やかなものになってしまった。それほどの時を一緒に過ごしてきた『仲間たち』だ。互いのことを知り尽くしていて、だからこそ深い追求はしない。
「……一つ、いいだろうか」
咳払いを一つ。それから言葉を発したのは、紅炎であった。その声を聞いた朔羅と颯悦、白雪は顔を上げて彼女を見る。
「賽貴どのがここに居ない今だからこその質問だが、土御門浅葱どのに、我々を御する実力は皆無だと思うか?」
「否」
皆が一様に、そして同時に、同じ言葉が発せられた。そこには迷いなど、微塵も感じられなかった。
それを確認した紅炎は、満足そうに微笑んでみせた。
「肝心な部分に不信や不安さえなければ、いいのだ。私は今の自分の状況に不満はない。何かと便利な世にもなったのだ。ゆくゆく我らは不要になるだろう。そしてそれが、主の安全に繋がるならば、何の問題もない」
「それには僕も同感」
「私も同じく」
「妾もだ」
状況が大きく変わったり、主に危険が訪れれば、それはまた別の話にはなるのだが。
「そういえば、
「一応、気が向いたら顔を見せにおいで、とは伝えたよ。だけどどっちも、否定的だったな」
「……仕方あるまい。あの二人には二人なりの『贖罪』が続いておるのだから」
「…………」
そんな会話に、表情を曇らせたのは颯悦であった。朔羅はそれを僅かな視線の動きのみで見て、小さく苦笑する。
――弟子であり、大切な存在であり。
颯悦と名の上がった二人の存在は、ここに居る他の誰よりも、少しだけ特別なものであった。
琳と藍は、男女の双子だ。
自分たちと同じように浅葱に仕えてきた式神であったが、現在格を一つ下げた『使役』の状態で主の傍にいる。それは、浅葱自身も知らぬ事であった。おそらく彼には、その名も存在すらも認識されてはいないだろう。
「……会いに行けばいいのに」
「いや、前に酷く拒絶されてな。……それ以来、どうにも臆病になってしまった」
朔羅がそう言うと、颯悦は自嘲気味に笑みを作りながらの返事をした。
浅からぬ理由があるとはいえ、こちらもまた哀れだ、と思ってしまう。
「今回はここまでにしようか。ちなみに今夜、浅葱さんが珍しく見回りに出るよ」
「そうか。では、私は遠くからお姿を拝するとしよう」
「妾はもうあちらに戻らればならぬが……主殿のこと、お頼み申す」
「解っている」
朔羅がそう言って立ち上がると、紅炎と白雪、そして颯悦が続いた。
彼らは互い顔を見やりながら頷き、ゆっくりと踵を返す。
紅炎は朔羅と似たような立場で、浅葱の周囲を距離を保ちながら見守っている。颯悦は基本的には式神符に納まり、その向こうに築かれた空間内で静かに過ごしていることが多く、白雪は元々の立場である門番としての位置に戻っていく。
「……、皆の前では見栄張ったけど」
ぽつり、と心の奥の本音を漏らしたのは、最後に残った朔羅だった。
全てを享受した上での、『本音』だ。
「いつか、昔みたいに浅葱さんを囲んで、皆と会いたいよ」
彼の呟きは誰にも届くこと無く空気に溶けて消え、そして朔羅もその場から静かに姿を消した。
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