第41話 たとえこれが禁忌でも


 彼女がこれまで食べた一千万人の事を考えれば、火炙りにされてしまうのもしょうがないって、分かってる。

 恨む人なんていくらでもいるに決まっているんだから。世界の敵なんだから。どうしたって許されるはずは無いって分かってる。


 でも本当の彼女は悪い人なんかじゃない。人間を食べたくないと願う、誰かを思いやれる人だった。

 百年の孤独に耐える強い人、普通のオバサンに振り回されたりもする優しい人。

 わたしに色んな事を教えてくれる人だった。


 オイシイってどんな味か教えてくれた。

 安心って思いを教えてくれた。

 嬉しいって感情を教えてくれた。

 楽しいってどんな事か教えてくれた。

 心地いいって感覚を教えてくれた。

 幸せって何か、彼女だけが教えてくれた。


 一人ぼっちのわたしにいっぱい与えてくれて、いっぱい優しくしてくれて。

 ママにも、誰にも愛されなかったわたしを。ただ一人愛してくれた。


 他の人達にとっては最悪の人喰いでも、世界中でわたしだけは、本当の彼女を知っていた。

 だから、わたしがもっとしっかり葬ってあげなくちゃいけなかったのに。

 見つからないように隠してあげなきゃいけなかったのに。


 わたしのせいで、彼女は死んでなお見世物にされてしまった。

 火炙りの処刑台に立たされて、さらし者にされた。


「わぁぁあ!」

 歪の魔法でツメを尖らせる。

 そのまま処刑台へと飛びかかり、彼女を縛る縄を一気に引き裂いた。

 プツリと縄は切れ、力と魂の抜けた身体がガクリともたれ掛かる。

 火炙りの処刑台は足場が不安定で支えきれない。二人してもつれるようにガラガラと落ちていく。ちゃんと受け止めてあげられなかったのが申し訳なかった。


 地面に倒れ込み、彼女が下になった。ひどい腐臭が鼻をつき、子供の力じゃ持ち上げられないほど重い。


「あぁニア、ごめん、ごめんね」

 助け出そうとしたのに、酷い有様だ。歪の魔法で全身を強化して、とにかく地面に座らせるように起こしていく。


 当然、広場に集まった人達にとってはとんでもない暴挙だ。

 みんなが怒りに声を上げ、わたし達二人の元へと纏わりつく。


「触るなぁぁ!」

 だけど譲れない。本当の彼女はこんな事されるような人間じゃない。

 歪の魔法で身体を歪めていく。背中を盛り上げ、黒い翼を作り出した。

 羽を尖らせ翼を振り回す。

 近づいてきた人たちの肌をいくらかピシリと傷付けてやると、みんな怖がって近づかなくなった。

 誰もが、訳がわからない風にどよめいてわたし達を眺めている。


「アアア!? おいクソガキ! テメェあの人喰い退治して来いっつっただろうがァ! なぁに負けそうになってんだよ! 全力出してそんなモンなのかよ! 死体捕まえて遊んる場合じゃねぇだろコラァ!」

「――ママ」


 最悪のタイミングで、最悪の人間が現れた。どこかで見ていたのか焦ってわたしの元に来たようだ。

 このまま命令されたらまた人喰いと戦わされる。

 彼女を守るどころじゃ無くなる。逃げなきゃ。とにかく走らなきゃ。


「ブオオオ、オオオオ、オオ!」


 凄まじい雄たけびと同時に、地面が噴火するような轟音が響いた。

 最悪が重なっていく。

 あの巨大な人喰い、『呑天どんてん』が街の中まで入ってきた。

 土を掘り進み建物を下から巻き上げて、人喰いは見せつけるように巨体を高く持ち上げている。


 街の人たちが悲鳴を上げて逃げていく。もうこちらを見ていない。


「今の内だ。今の内に逃げなきゃ!」

「"愛の盲従チャミーブリンド" アイツを足止めしろ!」

「あ"ッ!」


 ママの魅了が首を焼いた。

 逃げようと踏み出した足がもつれ、また二人一緒に倒れ込んでしまう。


「アアア、クソ! やっぱり無理じゃねーか! 最強の人喰い魔女倒したとか言ってよォ! あんな人喰い一匹に全然歯が立たねぇじゃねぇかよ! 騙された、また騙されたよ! テメェなんか迎えにくんじゃ無かった! こんなんで死ねるかよ! あたしが逃げるまでそこで足止めしてろ! 絶対あたしだけは死なせんなよ!」


「うぁ、ママ……」

 それだけ言って、ママはわたしを置いて逃げていく。

 また置いていかれた。また裏切られた。


 そんな、わたしはもう戦いたくないのに。もう死にたくないと思ってしまっているのに。彼女を守りたいのに。

 なのにあなたが魅了をかけたまま逃げ出したら、わたしはどうしたら良い?

 戦ったって死んじゃう。逃げようとしても逃げられない。大事な彼女を守れもしない。

 とにかく、この死体だけは手放したくない。ギュッと彼女の頭を胸に抱きしめた。 

「ああああ!」

 首に刻まれた魅了の魔法印が、命令に逆らう奴隷を懲らしめようと強く甘い電流を放つ。

 抵抗する程に痛みが増していく。頭の中がビリビリと痺れ、目の前が明滅した。


 そうしてる間にも人喰いは後ろから近づいてくる。


「だれ、か! 誰か助けてェ!」

 もう誰でもいい。誰か、わたしとこの人を助けて。

 一人じゃもうどうしようも無い。誰かが来てくれないと何もかも失ってしまう。どうかお願いと、心の底から助けを求めて喉を震わせる。

 その声を聞いて、広場から逃げ出していく人々がこちらを向いた。


「あぁ、なんで。なんで」

 チラリと向いて、けれど誰も差し伸べてくれない。

 見えているはずなのに、聞こえてるはずなのに。


 誰もがわたし達を追い越して、広場の外へと逃げていく。

 ただ肩を貸してくれるだけでもいい。

 せめてこの人をどこか、誰にも見つからないところへと埋めてくれるだけでもいいから。わたしは見捨ててもいいから。


「あああ、あぁ」

 突然目の前をパシャリと光がよぎった。それと同時に記憶が蘇る。

 ママがわたしを見捨てた時の、あの最悪の記憶が呼び起こされる。


 今なお大勢の人たちが広場から逃げ出していく。通り過ぎて行く時に、こちらへチラリと顔を向けながら。


 その、一瞬こちらを向く顔に、ママのあの笑顔が重なった。

 みんながあの表情を浮かべて、わたし達二人を見捨てていく。


「う、あぁぁ!」

 胸を冷たい刃が貫くようなあの痛み。記憶にあったあの苦しみが再び襲った。


 これは錯覚だ、悪い記憶が産んだ幻覚だと分かっているけど、どうしてもそう感じてしまう。


 みんなが、ママのあの笑顔を顔に張り付けながらこちらを見る。

 一人ひとりと目が合うたびに、何度も刃が胸を貫く。


 誰も助けてくれず、誰もが見捨てていきながら、わたしの心を滅多刺しに切りつけていく。


「ッがァァァ、やめ、て。見ないで、こっち見ないで!」

 もういい、もう耐えきれない。血も出ないほどグズグズになってしまっている。心は原型も無いほど細かく刻まれてしまっている。


 どうせ手を差し伸べてくれないのなら、せめてこれ以上傷付けないで。どうか真っ直ぐ前だけ向いてと願う。


 なのに、みんなこちらを見る事をやめてくれない。

 憐れむつもりで顔を向けるだけで助けもしないくせに。

 そのせいでわたしがどれだけ傷付いているのかさえ気付いてくれない。


 ギュッと目をつぶって刃の群れが過ぎるのをまった。もう助けを求めることさえ出来ない。


「ブオオ、オオオオ、オオ!」

 呑天の雄叫びが間近に迫る。

 見渡すと、もう広場には誰も残っていなかった。


 巨大な人喰いは、一人逃げ遅れたわたしを最初の獲物と決めたようだ。

 建物ごと飲み干しそうな程巨大な口をカパリと開き、中の歯列を見せつけた。


「死にたく、無い。死にたくないよ」

 生きたいのに、また幸せを見つけたかったのに。彼女を守りたかったのに。


 何一つ叶えられずに終わるなんて、嫌。こんな苦しみばっかりで終わるなんて嫌だ。


 せめて最後に一つだけ何かが欲しい。

 こんな心を引き裂かれてばっかりじゃなくて、彼女が与えてくれたような温もりをもう一度感じたい。


 胸に抱いた彼女を見る。その頭にはまだ、わたしがプレゼントした髪飾りが着いている。

 指先でそれに触れて、ヒヤリと冷たい感触がした。


「ブオオオ!」

 人喰いが迫る。二人を丸ごと飲み込もうと。

 せめて何か魔法を。


 すがるように彼女を抱いた。

 手は髪飾りを握りしめている。

 必死に魔力を巡らせた。夢中で繰り出したのは、髪飾りにあしらわれた白百合の魔法。


「助けて! ニアァァァ!」

 その白百合の魔法がどんなものか、わたしは知らなかった。


 魔法を発現した瞬間、彼女の死体が、溢れんばかりの花びらへと姿を変えたのが見えた。



 何か巨大な物同士をぶつけ合う轟音が鳴り響いた。

 同時に瞳を焼くほどの閃光が迸り、思わず目をつぶる。



 人喰いに丸呑みにされた。

 そう思ったけれど、身体はどこも痛まない。


 目を開くと、わたしの周囲を白百合の花びらが舞っていた。


「ブオオオ……」

 人喰いは口の半分を何かに吹き飛ばされたように抉られ、その身を後ろ側へ大きくのけぞらせていた。



「聖女の祝福"白百合"」

 フワリと、優しい声が耳を撫でた。

 幻聴だろうか。わたしが望んでやまなかったあの人の声。


「棺を暴く不信心者は、そこに白百合の姿を見る」


 その物語を、わたしは知らない。

 本で少し触れただけで、意味など分からなかった。

 だから白百合のそのお話が、『復活』にまつわるものだったなんて思ってもいなかった。


 けれど、今までだってヘリクリサムや、鬼灯の物語だって詳しく知っていたわけじゃない。

 使いこなせていない。花の魔法に振り回されていただけだった。


 それでも魔法が発現したのは、彼女がずっとわたしの中に居てくれて、こっそり教えてくれたからだろうか?

 それとも、魔女から食べた記憶の中に、この物語の知識が含まれていた?

 どちらにしても、それぞれの花には物語があって。

 そして、禁忌の魔法は発現してしまった。


 静かに、まるで魔法使いのように現れたのは、とある女性。



「一人だけ置いてってごめんね、フィオネラ」


 綺麗な人だった。


 大人の男性と同じか、やや高いくらいの長身に、細い胴。

 佇む姿に気品を溢れさせていて、羽織るシンプルなローブがそれを一層際立たせた。

 後頭部の低い位置で束ねられた髪は大人らしくて、見るたび憧れの感情を抱かせた。

 瞳の色は明るい青をして、なのにその中心は怖いほどに暗い。

 まるで目玉の中に、海を深層まで閉じ込めてしまったように思えた。

 そして、整った顔をホッとしたように和らげながら、彼女は。


「もう大丈夫だからね」


 人喰いの魔女ニアは、そこに在った。

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