第40話 呑天
部屋にいたから格好は軽いままだった。大きめの黒いコートだけを上から羽織って外に出る。
現れた人喰いは、西の平原に居た。
かなり遠くにいるのに、とても近くに見えてしまうほど巨大だ。
「なに、あれ」
「はぁー? 何なのアレぇ。あんなの見た事無いわよ……!」
元は何か分からない。身体は天に届きそうなほどに高い。ミミズの化け物みたいな細長い見た目のくせに、雲さえ丸呑みにしそうな程に太い。表面は小さい鈎のようなトゲが生え、それぞれ宙をかくように蠢いている。そして大きく開いた口の中は、ノコギリのように鋭い歯が何列も連なって奥まで続く。
見た目も、巨大さも、その牙もおぞましい。
どう倒すかなんて考えるのも馬鹿らしい。無理だ。直感を働かせる必要も無い。
あれは戦うべき相手じゃない。
「ホラいけ! 行ってブッ倒してこい! 人喰い魔女倒した力ここで見せんのよ!」
「ぐッ!」
首からまた電流が走る。魅了の魔法がわたしを強制する。
指示されるまま、人喰いと戦う為に足が駆ける。
そういえばママは知るはずも無いか。
わたしが魔女を倒したのはたまたまで、魔法だってオリの溜まる体質のせいで使い放題じゃ無い。そしてあれほど巨大な人喰い。
最悪ここで、わたしは死ぬかも知れない。
けれど幕引きになっても別に良いか。この先どうせ酷い目にしか合わないんだから。
ただ最後に夢の中で、一回くらいは彼女に会いたかったな……
見上げると、空が紫色になるほど日は傾き、久しぶりに時間の感覚を取り戻させた。昼の温度が地面にわだかまり、死にゆくわたしに最後の平穏を与えた。
この後とっぷりと夜が来て、その冷えが空気を満たす頃には、きっとわたしの身体も同じくらい冷たくなっているのだろう。
巨大な人喰いはまだ街の中までは入って来ていない。
街を囲う壁を出ると、スレイはそこで人喰いを待ち構えていた。
「チビネラか。母親と感動の再会は果たしたかよ」
「……今はいいでしょ。それよりアレ、とんでもないのがいるんだけど」
「アレはなチビネラ。俺も伝説でしか聞いたことねぇ。百年前に人喰い魔女と縄張り争いして、ぶち殺されたと思われてた人喰いだ。『
「過去二番目って事は、今世界で一番ヤバい人喰いって事? ねぇ、スレイは逃げないの?」
死ぬつもりでいるわたしと違って、スレイはまだ生きたいはずだ。なのにどうして、あんな化け物相手に逃げないのだろう。
「ハッ! 人喰い魔女倒した英雄様がビビってんのかァ? 俺は逃げねェよ。街に来るならブッた切る。今までずっとそうしてきてんだよ俺は」
「ふーん。言っとくけど、わたしアレ倒せないよ。戦力は期待しないでね」
死人が増えた。わたしとスレイ。ママも逃げずにいるはずだから、三人。そういえば街の人達もちらほら残っていたけれど、みんな死ぬのかな。でも、道連れが多いとなんだか少し安心する。
スレイはこんなやつだけど、たくさん人間を救っているし天国に行くんだろうな。
ママは地獄かも知れない。あれで可哀想な人だけど、わたしへの仕打ちを考えたら神様だって許しはしないんじゃないかな。
彼女は、人をたくさん食べてしまったから今地獄にいるんだろう。本来はあんなに素敵な人なのに。あんなに優しくて良い人なのに。本当に、人喰い魔女には救いが無い。
わたしはどうだろう? 良いことなんてそれ程してないけれど、悪いことも多分そんなにしてない。
あぁでも、彼女が地獄にいるならそっちの方が良いな。
死んだ後にまた彼女に会えるのなら、わたしは天国よりも地獄に落ちたい。
そこで苦痛にまみれるとしても。また彼女と痛みや温もりを分け合えるなら、わたしの行く先は地獄が良い。
「ブオオオ、オオオ、オオ!」
「来るぞチビネラ!」
呑天の攻撃は単純だった。
一度地面へと潜り込むと、勢いよく身体を起こす。
たったそれだけの事で、地面がひっくり返った。
大量の土や岩が巻き上げられる。一つ一つが巨大で、直撃すれば死にかねない程の大質量。
「わ、わわ」
歪の魔法で、疾く駆ける足へと強化する。
雨のように降り落ちる大きな塊を、必死で避けた。
スレイは刃の魔法で迎え撃ち、断ち切れない大きな岩だけを避けて立ち回っている。
「ブオオ、オオオ、オオオオ!」
人喰いは猛攻を続ける。
何度も地面に潜り込み、噴火のように地面をめくり起こす。
地形が変わっていく。
土と巨岩の豪雨は止まらない。
ガタガタになっていく地面の上で、とにかく逃げ回ることしか出来ない。反撃なんて出来るはずもない。
想像以上にとんでもない。こんなの、まるで災害そのものだ。
「おいおいおい! こんなの聞いてねぇぞ! どんだけ暴れりゃ止まるんだコイツ。こんなもん、規模だけなら人喰い魔女よりずっとヤベェじゃねぇか!」
「はっ、はっ」
駄目だ。やっぱり戦うなんて無謀だったんだ。どうせ倒す気も無いんだから尚更だ。
肩から力が抜ける。死が近づく予感がして、諦めが全身を蝕んでいく。
あぁ、そうだよ。どうせ死ぬつもりだったじゃないか。どうせ助からないなら、最初からもう逃げたりなんかしなければ良かったのに。
なのにどうして今わたしは逃げ回っているんだろう。どうして――
「ブオオオ、オオオオ、オオ!」
「――"
人喰いが大きく口を開き、こちらを地面ごと飲み込もうと襲いかかった。
考えるより早く、わたしは魔法を繰り出していた。
一瞬で出来うる限りの魔力を込めて、巨大なシャボン玉を作り上げる。
呑天が自分からその巨大なシャボン玉へと喰らいついた。口の中で歪の魔法が肉を巻き込み破裂する。
「ブオ、オオオ!」
「はっ、はっ。どうして」
どうして反撃してしまったのか、自分でもよく分からなかった。なぜか必死だった。
倒そうと思っているのだろうか。でも戦う理由なんて別にないはずなのに。
ただ、もしここに彼女が居たらと、そう思った。
誰よりも強くて、優しくて。わたしにたくさんのものを与えてくれた彼女なら。
きっとこうして戦って、わたしを守ってくれるんじゃないかと思った。
後は勝手に身体が動いてしまった。
戦ってみると、あの人の姿が鮮明に浮かび上がった。わたしを守るためにこうして魔法を使って、巨大な人喰いに立ち向かってくれる映像が見えた。
あぁそうか。
ただわたしは、また彼女と出会えるのが嬉しくて魔法を使ったんだ。
「"
戦う理由が出来た。この時間が続くのなら、まだ死にたくない。
右手の黒爪が鋭く尖る。
呑天が身をしならせ、真上から潰しにかかる。黒い魔力に強化された足が、生き延びるために地面を蹴る。
巨体の攻撃を躱しざま、右手のツメを振り上げた。
五本の黒線が、呑天の胴体を縦に切り裂いていく。体が大きすぎて傷は小さいけれど、手は休めない。
「わぁぁぁぁ!」
きっと、彼女ならこうしてくれる。こうして戦ってくれる。
辛くても生き延びてと、そう言ってくれる。
彼女がそう願ってくれるのなら、わたしはそれに従うだけだ。
たとえ地獄に行けなくても。もう会えなくても。
自分で自分が何をしているか、もうハッキリわからない。
ただ無我夢中で走り回り、ツメを振るう。歪のシャボン玉を呼ぶ。花の魔法を発現する。
まだわたしは人喰いで、人間に戻れてさえいないし。
これから生きたって、ママは優しくしてくれない。辛いことばっかり待ってる。それは死ぬまでずっと続くかも知れない。
でも、彼女ならきっと「死なないで」って、「幸せになってね」って願ってくれる。
だから、やっぱり死にたくない。また彼女と過ごした日々のように、幸せにならなきゃと思えた。
いつまでもあの人だけはわたしを見捨ててくれない。
またわたしは、救われた。
「ガッあああ!」
「ッ、スレイ!」
誰かが危なくなったら、彼女なら救う。ならわたしもやることは一つだ。
倒れ込むスレイに呑天が追い打ちをかける。喉をえづくように蠢かせ、口から土の塊を吐き出した。
「"
細いツタが絡み合い、太い触手のように生え上がる。葉の根元にあるたくさんの鈎がスレイを引っ掛け、街の中へと放り投げた。
遅れて土の塊が地面を爆散させた。
「やった、助かっ――」
けれど、わたしの力は彼女ほど強くない。
スレイを助けるためにと気をそらし、呑天はそのスキを逃さなかった。
背中から打ち付ける強大な衝撃。全身に平たく重い塊がぶつかる。
一瞬、頭も視界も真っ白になり、意識はどこか遠くへ。
気が付くと紫がかる空の中に放り出されていた。石コロでも打ち上げるように吹き飛ばされた。
黒い魔力で身体をとっさに固めたお陰で、バラバラにならずにすんでいる。
まだ生きている。
少しの間だけ重力から自由になって、今度は内臓がフワッと浮いた。落下し始めてる。
地面がどんどん近づいてくる。できるだけ歪みの魔法を練り上げろ。身体を固めて、衝撃は最小限に――
「がッ――」
ドンッと、背中から地面に叩きつけられた。
一回だけ跳ねてうつ伏せに倒れ込む。呼吸が止まって、背中全部が真っ赤に染まったような痛みが走る。身体が引きつって身動きできない。
でも歪の魔法のおかげで、怪我はそれほど酷くはない。
ヘリクリサムの花が降り注いですぐに痛みを和らげてくれる。彼女にもらった花の魔法がまたわたしを救ってくれた。
「……ゲホッ! ハァッ、ハァッ」
空気がおいしい。まだ生きてる。
「おい、子供が降ってきたぞ」「まだ生きてんのか?」
周囲が何やらざわめき出す。落ちた時は夢中で気付かなかったが、ここは人喰い魔女と戦った広場だ。時間も空いてないから、広場は修繕も進んでいない。
そして、広場になぜかたくさんの人たちが集まっていた。
街にいる人全員がここに集まっているんじゃないかと、そう思えるくらいたくさんだ。なにかお祭りの直前みたいに賑やかにしている。
まだ怪我が完全に治らないから立ち上がれない。助けを求めるように、意味もなく地面を擦った。
「ハァッ、ハッ、あ?」
何気なくそうしただけだけれど、ぬるりとした何かが手を濡らす。これは、油みたいな臭いがする。
落ちた場所は教会の前だった。彼女を埋めた花畑の近く。そこに、前まで広場には無かった何かが作られている。
わたしの目の前に、不吉を感じさせる何かが出来上がっている。
「なに、これ」
背筋に、ザワリと虫が這うような感覚。とても嫌な予感がする。
治りかけの身体をなんとか起こして、座り込むような形で見上げた。
そこに立てられたのは高く太い丸太。その下には束ねられた薪がいくつか敷かれている。相変わらず油の臭いが鼻をついた。
丸太には何重にも縄が巻かれている。まるで何かをくくりつけるように。
目がボヤケてちゃんと分からない。でも分かりたくもない。
見たくもないのに、どうしても勘違いだと確認したくて目を離せない。
呑天がまだ街のすぐ近くにいるけれど、今はそれさえ無視をした。
目が慣れて、その全容が見えだした。
丸太には、人がくくりつけられていた。
わたしは最初、その人が誰か認められずにいた。でも心の中ではもう、答えに行き着いてしまっている。
「嘘、うそだ」
その人は土から掘り返されたばかりのように汚れだらけだった。前髪が垂れて目元は隠れてしまっている。肌は浅黒く変色し、やや厚い唇はカサカサと乾き、漂う腐臭にハエがたかった。
そして頭についているのは、わたしがプレゼントした物。白百合があしらわれる花柄の髪飾りが着けられていて。
間違いない。
丸太にくくりつけられていたのは、わたしが大好きだった大人の女性。確かに地面に埋めて葬ったはずの、一番大事な人。
「うあ、あぁぁぁ!」
人喰い魔女の抜け殻がそこに居た。
大きな丸太に磔にされて、今まさに火炙りにかけられるために。
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