第7話 記憶を呼ぶ夢

 気が付くと、どこかの村を歩いていた。


 すぐ隣を見上げると、女の人がわたしの手を引きながら先へ先へと進んでいった。長い髪をまとめもせずに、歩くたびパラパラと揺らめかせた。


「どこいくの……?」


「今日は、一緒におでかけね」


 ?

 微妙に会話が噛み合ってない気がする。


 わたしたち二人以外には誰も居ない。

 木とレンガで建てられた家々と、石畳の細い道。時々畑や、牧場、井戸もある。通り掛かる家の窓からチラリと中を覗くと、古いランプと、質素だけれどオシャレな木製の家具が様々。

 特別なところのない、ありふれた田舎の村。


 横顔を見上げていると、ふと、女の人がこちらへ振り向いた。

 その表情は暗い影に隠れて見えない。この人は、どんな顔だっただろうか?


 そのまま立ち止まる。地面に膝をついて、優しく抱きしめられた。

 ミルクのような香りが胸を満たす。

 その感覚は、誰かにそうしてもらった時とはまた違うものだった。


「愛してるわ。大事な、わたしの子」


 ふくらはぎの辺りから、こめかみのところまで。ぶわぁっと、痺れるほど心地よい風が吹き上がった。


 あぁ。

 あぁそうだった。わたしはずっと、その言葉を欲しがっていたのだった。


 目覚めたあの日から、何か一つでも思い出したくて、でもどうしても思い出せなかった大切なものを、ようやく一つ手に入れた。

 たまらず声をあげて、その人を呼ぶ。


「……ママ! ママァ!」

 目が潤んで、ただでさえ見えない顔がぼやける。二度と手放さないよう全力で抱きしめた。


 この記憶だけはもう、失くしたくない。全部取り返すまで絶対に離れない。絶対に。そう、決意した瞬間。


 キィンと、何かを貫く甲高い音が響いた。


 たくさんの閃光が右から左へ迸り。

 村そのものが一斉に崩れて真横に吹き飛んだ。

 突然の衝撃に、身体はなぎ倒されていた。


 耳をつんざく、けたたましい音が鳴り響く。

 村を形作る全ての、木材が折れる乾いた音、石が砕ける重い音、ガラスの割れる鋭い音、鉄のひずむ鈍い音、肉の削れる、湿った音。数多のそれらが一度に鳴り渡り、人の耳では受け入れきれない轟音となった。


 竜巻に吹き上げられたかのように、星の数ほどにたくさんの瓦礫や物が飛びかった。高いところには、一軒の家がまるごと飛んでいるのもあった。


 見えるものは破壊だけで、聞こえるものは轟音だけ。自分の身体も声も分からない中で、おそらくわたしは、精一杯の声でママを繰り返し呼んでいた。



 ……不意に、災厄がやんだ。

 村は残骸だけ残して消えた。



 必死で呼んだのに、わたしの隣にママは居なかった。

 また、手放してしまった。


 血溜まりがわたしを囲む。見ると、横のお腹が大きくえぐれて赤黒いものをのぞかせていた。治しようもなく、止めようもないほどの勢いで血があふれだしている。

 再びママをなくした失望と、命のこぼれる絶望。




 そこにトドメを刺すように、今度は、災厄の犯人が現れた。


 女の人だった。大人の男性ほどの長身に、細い胴。羽織るローブはシンプルで、髪を後頭部の低い位置で束ねていた。肝心の顔は暗い影がかかって見えないけれど、人喰い特有の赤い瞳が、前髪の隙間から覗いた。

 人喰いは、うつ伏せになったわたしに歩み寄ると、ドサりと上から覆いかぶさった。互いの大きさには差があって、わたしの身体はほとんど隠されてしまった。


 人喰いは、こちらと身体をこすり合わせながら鼻をわたしの耳元に寄せてくる。赤毛の長髪をサワサワとかき分けられる感触がした。





「スゥーーーー…………」

 はぁ。と、呼吸が耳裏をなでる。ゾクリとしたものが走る。


「スゥーーーー…………」

 はぁ。繰り返し、繰り返しそうされて、遅れて理解した。





 人喰いは、わたしの匂いを嗅いでいた。

 目の前の食材は、どんな味がするだろうと、想像して楽しむかのように。


 食われる予感に、血が凍る。


 間近に人喰いの顔が迫る。

 自然と、その唇に目が向いた。

 

 透き通るような薄い色をして、やや厚い唇は柔らかそうで、ほとんど水で出来てるかのようにつややかだった。注目していると、こちらから触れたくなるような色気を漂わせ、しかしそうやって吸い寄せられると、そのまま飲み込まれてしまいそうな、危険な香りがした。

 綺麗で、そしてとても恐ろしい。



 その口がカパァっと大きく開かれて、人喰いの歯が首筋に食い込んだ。


 人喰いに食われる感覚。

 わたしはそれを知っていた。誰かに治療してもらった時の、あの痛みを伴う感覚とおんなじだった。


 力が抜ける。痛みも感情も無くなっていく。記憶の旅の中から意識が消える。その前に影のかかった人喰いの顔を目に焼き付けた。

 かすかに見えた、影の奥にある整ったその顔も、わたしは知っていた……。



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 ビクリと肩が跳ねて、目が覚めた。



 バクバクと、心臓が跳ねまわって苦しい。

 夢、か……。


 いや、あれはただの夢じゃない。記憶だ。

 最初に一緒に歩いていたあの人は。


「ママ……」


 あの人は、わたしのママだった。

 全部は思い出せなかったけれど、あの、抱きしめられた心地よい感覚。目が覚めてもしっかり覚えている。記憶は失くしていない。


 それはそれで嬉しいことだけれど、問題は、途中で現れたあの人喰い。

 見覚えのある、あの顔、あの唇は。




 ニアのそれと、同じだ。




 ニアは寝息をたてながら、わたしを後ろから抱きしめている。寝返りをうって向き合う。


 その唇は綺麗で、でもなぜだか、恐ろしくて……。

 指先でそっと触れてみる。

 とても柔らかい。


「ニアは、違うよ」


 そうだ。絶対に違う。だって、たかが夢じゃないか。

 夢でママといっしょに居た時は、記憶が戻ったと感じていたけれど。

 人喰いに噛みつかれた方の内容は、きっと事実とは違う。頭のなかで、記憶や妄想を色々と混ぜてしまって、その結果、ニアが人喰いになって出てきてしまった。


 それだけだ。

 なんだ、安心した。考えてみれば、夢の中の人喰いは瞳が赤かった。ニアの瞳は青だ。

 やっぱりたかが夢。記憶を完璧に再現できるようなものじゃない。

 ……もちろんママとの思い出のところは、実際にあったことに間違いないけれど。


 意外なところで一つ、大事な拾い物をした充実感だけが残る。


 ニアに抱きついて大きく柔らかい胸に顔をうずめる。それだけで悪夢の不安は消え去っていった。


「ふぁーー。気持ちいい……」

 安心感がわたしを満たして、まぶたが重くなる。

 


 温かくて、柔らかくて、強くて、綺麗で、素敵で、わたしの憧れの。

 …………お姉ちゃん。


 そういえばまだ、そう呼んだことは無かったな。悪い気はしないし、今度呼んでみてもいいかもしれない。

 いきなり言うと驚くだろうか。新しく見つけた悪巧みに頬が緩む。

 ニアお姉ちゃん……。


 きっとニアの胸の中でなら、悪夢も近寄らない。そうだ。今度はニアとの楽しい夢を見よう。うまく見れるかなんて知らないけれど、そう願って目をつぶる。

 スゥスゥと、静かな寝息をたてるニアと呼吸を交互にして合わせる。そこに集中すると、意識はすぐに重たく沈んでいって……。


 ぽちゃん、と眠りの泉に落ちるその瞬間。











「スゥーーーー…………」

 っと、匂いを嗅がれる音がした。

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