第6話 今日の出来事と、明日の約束
ご飯とお風呂を終えた後も、怒りはおさまらなかった。
「ねぇフィオごめんなさい。もう怒らないで?」
無視、無視。わたしを酷い目にあわせた罰だ。
「次に変な感じになってたら、ちゃんと止めるように気をつけるから」
あぁもう。今は一番それを言われたくないのに。
大体、なにかおかしいと気付いていたならさっさと止めてくれれば良かったのだ。あんな恥ずかしい、妙な気分になる前に。
今思い出してもムズムズする。すごく嫌だ。
「フィオってば、もぉ。あっ、デザートのリンゴタルト、まだ出してなかった」
ふん。
「大体ね、ニアはわたしがイヤがってるのに、止めてくれないことが多すぎるんだよ。やられる方はホントに痛いんだからね」
むむっ、このタルトはなかなか。かかっているトロトロのやつはハチミツだ。甘い。
「うんうん。ホントそのとおりだったね。ごめんね。許して?」
もぐもぐ。すごい。中のリンゴがプリプリしながら、本来よりグッと甘みを増している。どうやったらこうなるのか。
「最初にした日だって、『痛かったら右手あげて』とか言っといて、いざ右手あげたら、『もう少し我慢ー』だもん。一度も止めてくれたことないじゃん。ホント信じらんない。ていうか今日なんか身体ごと押さえつけられてたし。」
ほぉ。生地まで完璧。サクサクだ。食感が素敵。
「あちゃー。ごめん治療してる間って必死で。反省してます」
もぐもぐ、ごくん。カチャ。ふぅ。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした。あ、そろそろ寝る時間だね」
ニアが懐中時計を開いて確認する。
そう言われてみると眠い気がする。昼間、疲れることがいっぱいあったせいだろう。けっしてタルトでお腹いっぱいになったからではなく。
「じゃーベッド行こっか。おいで」
当然のように今日も、ニアがベッドに誘う。
けれど今のわたしは少し違う。タルト一つでほだされる、いつものわたしではないのだ。
「イヤ。わたし今日は一人で寝る」
ニアが目を見開いて意外そうな顔をする。
けれど、わたしにとっては当たり前だ。あんな妙な気分を味わった後では、一緒に寝る気になんてなれない。
また、何かあったら怖い。
「あ、あれ? まだ怒ってるの? 今回はなんだか厳しい……」
「いつもニアに甘え……ゲフン。いつもいつも一緒にいるのはヤなの。一人になりたい時くらいわたしにもあるんです」
ふふふ。言ってやった。これほど自分の意見を言えたのは、初めてかもしれない。ちょっと達成感。
チラリと見ると、ニアがわりと絶望的な顔をしている。いや、そんな風にならなくても。
……ちょっと悪かったかな。
早くも自分の言葉を撤回しそうになる。と、ニアがわざとらしく困ったような表情になって。
「そんなぁー。せっかく明日、街へ出ようと思ってたのに。そんなに怒ってるなら、一緒にお出かけは無理、だよね。お姉ちゃん残念……」
何? そんなのわたしはまだ聞いてない。
外に、しかも街になんて。人がたくさんいるのだろうか? 人喰いが辺りに居て危険だから、まさか出かけられると思ってなかった。
「えっ? お出かけってできるの? それならわたしも……」
「んー? だけどフィオ、『いつもいつも一緒はヤダ』って言ってたんじゃ?」
「んがァーーーー!」
歯をむき出してガジガジしてやった。言い返しにくい事を言うな!
わたしに先に謝らせようっていう魂胆だ。ニアはたまにこういう意地悪をしてくるからヤだ。こちらの欲しがるものを読んで、操るみたいに。これが計算高い大人の汚い一面ってやつなのか。
「フフッ。ごめんごめん。私が悪かったよね。フィオ、かわいいからつい。でも一緒にお出かけしようと思ってたことはホントよ? ちゃあんと準備してあるんだから」
「……どうやって花園の外に出るの?」
「それは……。明日になってのお楽しみかな。ちょっとおもしろいから、フィオは気に入ると思うよ。」
「ふーん。」
そうかそうか。まぁニアの言うことだから、本当になにか用意されているんだろう。ちょっとおもしろい事が何か、見せてもらおうじゃないか。
「ということで、今日はもう寝ようね。おいで」
「はーい」
寝室に入って、ニアが先にベッドの奥側へ潜り込む。それに続いてわたしはベッドの手前側へ……。
「って、ちがーう!」
「ん? どしたの?」
「違うよ! わたし今日は一人で寝るって言ったじゃん! ごまかされないよ!」
「明日は一緒に出かけるって……」
「明日は明日! 今日は今日! 今はまだ一人の気分なのー!」
危うく騙されるところだった。大人のずる賢さをまた一つ見た気がする。
「手強いなぁ……。でも」
ニアが、こちらへまっすぐ身体を向けて、両手でわたしの手を包んだ。大きさに差があってほとんどわたしの手は隠れてしまう。目線の高さがぴったり同じになって、その青い瞳から目が離せなくなる。
「今から一緒に居ないと、ダメ。フィオはずっと私に怒ってるけど、私だってフィオが昼間、勝手に花園の外に出たこと。まだ怒ってるんだからね」
う。そうだった。
治療とか怒ったりだとか色々あったけど、勝手に花園から出たこと。まだちゃんと決着させていないんだった。
「理由をちゃんと言って、ちゃんと謝ってくれなくちゃ、私だってフィオのこと許せないよ? 勝手に一人でフラフラどっか行っちゃう子は、街に連れていけない」
……ぐぅの音もでない。
花園の外に出たことは、完全にわたしが悪いのだから。それくらいの自覚はある。
「フィオはいい子だから、私のこと、ちゃんと安心させてくれるでしょ?」
いつもは優しい声色に、すがるようなものが少し混ざる。そういう風に言われると、こちらも正直に、言うしか無い。
「……誰か、わたしの村の人がまだ生きてるんじゃないかと思って」
ニアはその一言だけで、おおよそ察したらしい。
いつも柔らかいその表情が、はっきりと悲しみに沈む。
こうなってしまうと、なんとなく思っていたから、黙って花園の外に出てしまったのだ。
「わたしの事を知ってるだれかが、まだそこに居るんじゃないかって。村が近くなら、ほんの少し様子を見てみたいって、思っちゃって」
ここで目覚めてからずっと、ニアはほんとうにわたしに優しくしてくれているけれど、記憶がない恐怖だけは、ニアにだって埋められない。
村が滅びてしまったことも、実は全部、なにかの間違いだったんじゃないかって、ママや家族がまだそこにいるんじゃないかって、そう思ってしまう。だって、わたしはまだ何も、見ていないんだから。何も覚えていないのだから。何も、確かなものを持っていないのだから。
「ニア、ごめんなさい……」
こんな勝手なことをして、命まで失くしそうになって、あんなにしつこく怒ったりして。
こんなわたしを彼女は果たして、許してくれるだろうか?
不安で、お腹の奥がほんの少し、キリキリとした。
「うん。いいよ。そうだよね。辛かったんだよね。もう、分かったから。謝らなくて大丈夫だよ」
ずっと小さな事で怒っていた子供に対して、大人のニアはすぐにわたしを許してくれた。
それがこんなにホッとすることだなんて。
ニアに怒っている間は、少しずつ気が晴れる思いをしていたけれど。
許されない方のニアは、心の内はずっと不安だったんじゃないかと、今更になって気付かされる。
もっと、謝りたいくらいの気分だ……。
「明日はさ、いっぱい楽しいところ行こうね。おいしいお菓子屋さんとか見つかるかも」
パッとニアが顔を明るくして言う。
「行きたーい!」
それにつられてこちらの声もつい明るくなってしまう。
不思議だ。
ニアはいつだって、わたしが喜ぶ事を知っていて、何か落ち込んだと見れば、簡単な事のようにすぐ元気付けてくれる。
それだけじゃなくて、間違えた事、気付かなかった事を、少ない言葉の中にたっぷり込めて。これはダメなんだよ、こうすると良いんだよと、わたしが取りこぼさないよう丁寧に、教えてくれる。
こちらの心の内を見透かして、利用できるよう計算して、だけどそのどれもがわたしの為に尽くされていて、嫌な事が何一つない。
わたしが子供だからだとか、ニアが魔法使いとして一人前だからだとか、それ以前に。
ニアが魔力も込めずに繰り出した、仕草や言葉の全てが新たな記憶として刻まれて、まるで、それこそ魔法のように、わたしの心に響き渡るのだった。
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