第39話

 しばらくしておはるが戻って来た。

「おっかさんの許しが出たから、一緒に食べよ。でも用意ができるまでもう少しかかりそうだから、それまで双六でもして遊ばない」

「いいけど、よし吉はどうしたの?」

 金太はずっと気になっていたので、どうしてるのか訊いてみた。

「ああよし吉なら母屋の部屋にいたわ。用事があるんだったら呼んでこようか?」

「いや、暑いなかをたくさん歩いたから、具合でもわるくしてないかなとちょっと心配しただけだから」

「わかったわ。じゃあたいいま双六を取って来るからちょっと待ってて」

 おはるはそういい残してふたたび部屋を出て行った。

 おはるが離れに戻ったとき、よし吉も一緒について来ていた。

 おはるが部屋の真ん中に双六のシートを広げる。金太たちははじめて見る江戸の双六に目を見張る。「東海道双六旅」という名前が書いてある。自分たちがいつもやってるゲームとはまったく違う絵柄に新鮮さを覚えた。

 サイコロが振られて双六がはじまると、金太たちは先ほどまで憂慮していたことをすっかり忘れて遊技に没頭するのだった。

 ややあって廊下のほうが賑わしくなり、おきよともうひとりおとよという、髪が多くて丸顔のお手伝いが夕飯のお膳を人数分搬んで来る。

「さあ、夕飯ですから片づけましょ」

 おきよは3段に積んだお膳を部屋の隅に下ろすと、散らかったままの双六を片づけはじめた。

 並べられたお膳には、鰯の塩焼きに里芋の煮物、それに吸い物と香の物という質素なものに見えたが、当時にして結構贅沢なほうだった。

 食べ盛りの子供たちは気持いいくらいご飯がすすむので、部屋の隅でご飯のお代わりをよそうべく準備をしているおとよは大忙しだった

「ねえ、金太、ごはんがすんだらみんなで花火しない?」

 と、おはるが箸をお膳に置きながら訊く。

「いいね、やろう、やろう」

 金太はそういいながら庭先に目をやるが、夏の日は長いのでまだ充分に明るさが残っている。

「まだ暮六つ(午後6時)だから日が落ちるまでだいぶあるわ。それまでまた双六でもして待ちましょ」

 江戸時代は24時間を12で割るので、時間の単位が2時間になる。その単位を一刻(いっこく)と呼ぶ。さらに昼、夜をそれぞれ九つ(11時から1時まで)から四つ(9時から11時まで)までの時間を6等分する。


 長かった日がようやく沈み、徐々に庭先がかち色の闇に包まれはじめる。その闇が瞬く間に深くなってゆく。江戸の夜がはじめての金太たちは、これほど色の濃い夜を想像していなかった。

 蝋燭と行灯の灯りだけしかない軒先は、線香花火が明滅するたびに子供たちの顔が浮かび上がる。3人、4人といっせいに火を点けると、さらに闇が切り裂かれた。

「うわあ、きれい」

 愛子はつい大きな声を出してしまった。

 ねずみ花火に変わるとさらに歓声が高くなり、それと同時に夜空が漆黒になって行った。

 江戸の夜は思った以上に蚊が多かった。金太はみやげに買ったはずの河童の団扇でしきりに足もとをはたいている。ネズミは羨ましそうに金太の足もとをじっと眺めるのだった。

「お嬢さま、もうそろそろ……」

 子供たちが楽しんでいる間、火の番としてついていたおとよが甲高い声でおはるに声をかけた。

「わかった」

 素直に返事をしたおはるは、後片づけをおとよに任せて部屋に戻ると、そこにはすでに寝床の用意がすまされていた。

 金太たちは思い思いの布団にごろりと横になる。愛子は布団の上で正座している。その横におはるがまだ話したりないといった顔で座っていた。

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