第35話

「あれだ、あれだ」

 金太は遠くを指差しながら大きな声で叫んだ。

「うわぁ、あれがかの有名な浅草の雷門なんやネ」

 ノッポこれまで名前は散々聞かされてはいたが、本物を見るのはこれがはじめてだった。

「すごい、すごい。やっぱ浅草はいまも昔も賑わいは一緒なのね」

「なんだ、愛子さんは前にも観音さまに来たことあるのね」

 おはるはちょっと残念そうな言い方をする。

「いや、うん」

 愛子はそういうつもりでいったのではなかったのだが、そのほうが無難だと思ってそんな返事をしてしまった。

 雷門の大きな提灯の下を潜って、いよいよ参道に入る。左右に無数の店が軒を連ねている。ここが誰もが知るところの仲見世である。

 店の種類は、玩具、菓子、布、着物、せんべい、それにネズミが読めなかった小間物屋など食べ物から日用品まであらゆるものが売られている。だから参拝者でなくても人は集まって来るのだ。

 立ち止まって店を覗き込む若い娘、歩きながら商品を品定めする夫婦づれ、子供にせがまれて飴を買う親子。江戸の暮らしを一瞬にして垣間見ることができたような気がしたのだった。

 しばらく仲見世通りを歩いていたとき、ふいにおはるが足を停め、

「人の混み合っているところは、間違いなく巾着切りがいるから充分気をつけてね」

 耳打ちをするように小さな声でいった。

「きんちゃっきり?」金太は小首を傾げる。

「そう、巾着きり。ひょっとして巾着きりを知らないの?」

 おはるは呆れかえったような視線で金太を見る。

「ごめん」

 金太は頭を掻きながらおはるを見る。ほかの3人もはじめて聞いたという顔をしている。

「つまり、人の懐から財布を盗む泥棒のことよ」

「ああ、なんだ、スリのことじゃん」

「なんでもいいから、とにかく気をつけて。盗られたあとじゃどうしようもないんだからね、わかった?」

「わかった」

 このなにげない会話がのちになって身を震わすことになるのを金太はまだ知らない。

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