第29話

 しばらく進むと、ふいに目の前が開けて、これまでとはまったく違った景色の場所に出た。目指していた江戸城だった。

「わあっ!」

 4人が同時に歓声を上げた。

 見渡す限り大きな堀と積み上げられた頑健な石垣は見る者を圧倒した。現在と違ってほとんど遮るものがない。堀の淵にあるのは疎らに植えられた柳の木くらいだ。金太たちのいるところから見えるのは、堀の門で睨みを利かしている漆喰を塗られた白い壁くらいだが、それでも重厚感は存分だった。

「これが江戸城なんだ。この向こうに徳川家康が住んでいると思うと、ぞくぞくするよね」

 ネズミは堀の縁まで行って振り返った。

「なんばゆうとっト。ネズミは勉強ばしてこんかったト?」

 ノッポは笑いながらネズミの背中にいう。

「なんで?」

「この時代は天保3年。将軍は11代の徳川家斉とくがわいえなりで10代将軍家治とくがわいえはるの跡取りがなかったけん養子になった家斉が跡を継いだんや」

「へえっ、そうなんだ。ぼくはてっきり家康が住んでるもんだと思ってた」

「家康はいまから200年ほど前の人物やけん、もう死んでおらんト。この前も江戸城の話ば出たときにそういったやろ」

「・・・・・・」ネズミはなにもいえなかった。

「でもここはまだ江戸城じゃないのよ。このお堀の向こうに大名のお屋敷があって、その向こうにまた内堀というのがあって、お城はその向こうに建ってる。あたいたちはここまでしか来られないの」

 そういわれてはじめて気がついたのだが、あたりはいままでのところとはどことなく空気が違っている。ピーンと張り詰めている気がするのは気のせいじゃなさそうだ。大名屋敷かお城に用があるのだろう、歩いている人も刀を差している人が目につく。

「まだあたし信じられないわ。でもここは間違いなく江戸時代なのよね」

 愛子は、憧れのものでも見るように中空に視線を向けたままでいう。

 横でその様子を見ていたおはるは怪訝な顔で愛子を見る。愛子のいっている意味が理解できなかったに違いない。

「しかしおはるちゃんはなんでもよく知ってるね。どこで教えてもらうの?」

 金太には訊かなければならないことがある。それは、おはるちゃん……いや、江戸時代の子供たちが学校なんてないのにどうやって勉強しているかだった。特別に興味があるわけではないのだが、江戸時代の下調べを割り振ったときに残されたジャンルだからだ。

「あたいが習ってるのは家の近くにある竹原塾という手習い(寺子屋)よ。そこでは先生が読み・書き・そろばんを教えてくれるの」

「そろばんもやるんだ」

「そうよ。だってあたいん家は商売をやってるから、おとっつあんが習いなさいっていうからやりだしたんだけど、そろばんはだいたいどこの塾でもみんなやってるよ」

「その手習いには毎日行くの?」

「ううん、あたいはだいたい一日おきくらいに行ってるけど、別に決まってないから好きなときに行けばいいわ」

「で、おはるちゃんは塾に行くのが好きかい?」

「ええ、とっても楽しいわ。だって知らないことを教えてもらえるんだもん。たとえば読み書きだって、教えてもらうことで本が読めるようになるでしょ。本が読めるようになるといろんなことがわかるようになるでしょ」

 おはるは手習いに行くことが本当に楽しいのだろう。これまでに見せたことのない笑顔で話した。

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