5-38 エピローグ (3)
「――ま、まぁ、そういう見方もできるかもしれませんね。その割に手持ちの現金が少ないですが」
「だよな? まぁ、借金を返せていない私たちが言うのも何だが」
「ごめんなさい、店長さん。秋の収穫は例年通りだったけど、現金が入るのはしばらく先になるわ。現物で良ければ、すぐに渡せるけど……」
「いえ、構いませんよ。大量の麦をもらっても困りますし」
申し訳なさそうな二人に、私は首を振る。
ちなみに、ロッツェ家の借金はちゃんと減っているので、私だけが利益を得て、アイリスさんたちは大きなお仕事の度に借金が増える、なんてことにはなっていない。
今回だって冬場のミサノンの根という高価な素材を採ってきたので、それなりの額がアイリスさんたちに分配されているし。
サラマンダーの時は私が借金を立て替えたことで、私に対する借金額は増えたけど、ロッツェ家自体の借金額が増えたわけじゃないからね。
「でも、今回の迷惑料は正直、助かりました。春になると税金を払わないといけないので」
錬金術師の税金は自己申告。
一年ごとに売り上げを申告し、既定の税金を支払わなければいけない。
私がこのお店を開いたのが春だから、その期日ももうすぐ。
手元に現金は残っていなくても、売り上げ自体はしっかりと立っているので、支払う税金の額はかなりの物になるはず。
まだ計算はしていないけど、今回の件がなければ支払いに苦労していたかもしれない。
「ふむ、フェリク殿下のおかげというわけか」
「苦労することなく、カーク準男爵も排除できたわけだしね」
「……そう、ですね」
借金せずに済んだのは事実ではあるけれど、素直に感謝はしづらい。
『ノルドさんを
何というか、フェリク殿下って、貴公子然とした外見(期間限定休業中)の割に、『素敵!!』って気分にはなれないんだよね。
あまりお近づきになりたくないタイプ、というか……生理的に。
「……そういえば、フェリク殿下と言えば、サウス・ストラグで不可解な噂を耳にしたな」
「あぁ、あれ? あれはさすがに嘘でしょ」
ふと思い出したように言ったアイリスさんの言葉を、ケイトさんが苦笑と共に否定する。
「フェリク殿下に関する噂、ですか?」
もしかして、天辺ハゲということがバレたとか?
あぁ、でもアイリスさんたちは知ってるから、『嘘』ってことはないか。
それに渡したお薬を使っていれば、既に治っているはずだし。
「いやな? フェリク殿下と店長殿が結婚するという噂があってな?」
「「……はい?」」
私とロレアちゃんの声が重なる。
え、いや、待って。
どこからそんな話が? 全然、全っ然、脈絡がないですよ?
「正確には、若く有能な錬金術師とフェリク殿下が結婚する、という噂ね。それで、この近辺でその条件に当てはまるのが店長さんってことで、名前が出たって感じかな?」
「サラサさん、いつの間にそんなことに? 二人っきりでいた時、なにか……」
「ないから! なにもないから!!」
不安げな視線を向けてくるロレアちゃんに、私は慌てて強く首を振った。
「有能で噂されるのは嬉しいですけど、殿下との結婚なんてあり得ませんし、全然嬉しくありません!」
あんな人と結婚したら、毎日精神力がガリガリと削られるよ!
殿下と結婚するなら、アイリスさんと結婚する方が何倍も良いよ!
少なくとも、家庭内で精神的に疲れる、なんてことはなさそうだもん。
「大丈夫だ。しっかりと否定しておいたからな」
「ありがとうございます! 助かりました!!」
あの殿下と結婚なんて、絶対にない。
仮に身分が釣り合っていたとしても、ない。
白馬の王子様なんて、私には必要ない。
私がホッと胸を撫で下ろし、アイリスさんにお礼を言うと、アイリスさんはニコリと笑って力強く頷いた。
「うむ。しっかりと、店長殿と結婚するのは私だと主張しておいた」
「……へぅ?」
いや、確かに婚約者だけど!
「大丈夫よ、店長さん。婚姻届は出していないから。……まだ」
「まだ!?」
「いえ、一応は作ったのよ。もしも店長さんがカーク準男爵に手を出していた場合に備え、日付を適当に改竄した物を」
「店長殿なら場合によっては
「………」
一瞬、『目撃者ゼロ』をやろうかな? と思ってしまっていただけに、否定ができない。
もしあの時、フェリク殿下が出てこなければ、あり得たかもしれない未来。
ぐぅ……フェリク殿下、良い仕事してるじゃないか。
あの芝居がかった、タイミングを計ったような出現はどうかと思うけど。
「こんな地方だと、王都まで書類が届くまでには時間がかかるのが普通じゃない? いざとなれば、店長さんに王都まで転送してもらえば、なんとかなるかもと思って」
確かに私が転送陣で王都に送り、師匠にでも提出してもらえば、多少日付を遡っていたところで誤魔化せるだろう。
貴族の地位が正式に認められるのは受理されてからだけど、婚姻の決定権は当主にあり、余程大物の横槍でも入らない限り、提出したものが拒否されることはまずない。
「ついでにいえば、家督を譲る申請もな。店長殿がロッツェ家の当主であれば、騎士爵と準男爵の争い。相手に非があれば、比較的穏便に済ませられる」
「そこまで!? ……うぅ」
そんな覚悟までされていては、何も言えない。
いや、むしろお礼を言うべきかも?
「むむむぅ……あ、ありが――」
「そうか! 了承してくれるか! では早速、転送してくれるか? いやー、折角作った書類が無駄にならなくて良かった!」
私の言葉に被せるように言ったアイリスさんが取り出したのは書類一式。
テーブルの上に並べられた書類は、きちんとした書式に則り作成された正式な物で、あとは私が署名をするだけで完成するようになっていた。
――そう、婚姻届の書類が。
「いや、何でですか! なんで持ってきているんですか!? そこは『使わずに済んで良かったね』じゃないんですか!?」
「うむ、私もそのつもりだったのだが……」
気まずそうに視線を逸らしたアイリスさんをフォローするように、ケイトさんが苦笑して口を開いた。
「それがね? 帰った時に奥様から発破を掛けられたのよ。『採集者を続けるつもりなら、サラサさんをしっかりと捕まえておきなさい。あなたは年齢的に、普通の結婚をするのは難しいんだから』って」
「ほ、ほら、私ももう二〇だろう? 貴族の令嬢としては厳しい年齢になっているし、美女というわけじゃない。爵位も高くないから、借金を代わりにポンと返してくれるような都合の良い婿を見つけるのは難しいんだ」
貴族の令嬢ともなると、成人と同時に結婚する人も多く、二〇ともなれば行き遅れと言われかねない年齢。
アイリスさんは十分に美人だし、社交界に出れば引く手数多なんじゃないかと思うけど、容姿だけでは決まらないのが貴族の結婚。
借金を返せるような結婚相手は、都合の悪い婿ばかりだろう。
「領地のことを考えれば、今採集者を止めるわけにはいかないし……。解るだろう?」
両手をパタパタしながら、焦ったようにそんな解説をするアイリスさんを眺めながら、私は「むむっ」と唸る。
そんな私をダメ押しするように、ケイトさんも更に言葉を続ける。
「それに今回はなんとかなったけど、貴族関係のトラブルを考えたら、地位があった方が便利でしょ?」
「そ、そんな頻繁にトラブルは起きませんよ! ……きっと」
「そうかしら? 僅か一年でカーク準男爵と争い、それにフェリク殿下まで絡んできて……。ここだけの話、フェリク殿下って疫病神っぽくない?」
事実を言っちゃったよ!?
私でも考えるだけで、口にしなかったのに!
「だから、ここにサインしちゃった方が安心だと思うわよ?」
「さらさらっと書くだけだぞ?」
「うぐぐ……ロ、ロレアちゃんはどう思う?」
なかなか否定しづらい理由を並べられ、私は思わずロレアちゃんに助けを求める。
だがロレアちゃんはコテンと首を傾げて、にっこりと微笑んだ。
「えっと……良いんじゃないでしょうか?」
「ロ、ロレアちゃん!?」
はしごを蹴っ飛ばされたよ!?
以前防波堤になってくれたロレアちゃんは、どこに行っちゃったの?
「だって、その方が安全なんですよね? 結婚しても、これまで通りここでお店を続けられるみたいですし、私は別に……」
「ケイトさん!?」
事前に根回ししたでしょ!? と、視線を向ければ、ケイトさんはスッと目を逸らす。
以前、話が棚上げになった後、こっそりと説得していたに違いない。
ぐぬぬ……確かに、今の生活に変化がないのなら、ロレアちゃんには強く反対する理由もなくなるよねっ。
「それに、私もアイリスさんたちのことは好きですし。みんな一緒にいられるなら」
「あら、嬉しいわ。私もよ、ロレアちゃん」
「うむ、私もロレアのことは好きだぞ! さぁ、店長殿。サインを!」
ずいずいと書類を押してくるアイリスさんと、いつの間にやら用意したペンをぐいぐいと突き出してくるケイトさん。
そしてそんな二人と私を見ながら、のんびりとお茶を飲んでいるロレアちゃん。
そんな彼女たちから目を逸らすように私は天井を見上げ、ペンを取るべきか、頭を悩ませるのだった。
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