5-12 破落戸リターンズ (4)
「それは愛人とか、愛妾とかではなく?」
なんと言っても、事は高位貴族の閨事情。
それならばまだ理解できると尋ねてみたけれど、ケイトさんは重々しく首を振った。
「本妻。しかも、側室とかはいないらしいわ。女当主だから、側室というのが正しいのかは判らないけど」
「貴族としては、珍しいですね」
「そうよね。貴族なら複数を娶るのが一般的なのに。――同性婚の場合に何が一般的なのかは、私も知らないけどね」
「ですね。事例、少ないですよね」
実際にどうなるかは別にして、私とアイリスさんの婚約の話が出て以降、ケイトさんはそのあたりのことについて色々調べていたらしい。
そこで出てきたのが、同性婚をしているフィルムス侯爵。
同性婚している人が爵位を継ぐのであればまだしも、既に爵位を継いでいる貴族ともなれば、その結婚には多くの
当然と言うべきか、フィルムス侯爵の結婚にも多くの横槍が入り、障害が立ち塞がり――実際に結婚できるまでにはかなりの紆余曲折があったようだ。
その結果、フィルムス侯爵は同じような境遇にある相手には同情的で、必要であれば同性カップルには支援を、邪魔したり侮辱する相手には強力な圧力を惜しまないのだとか。
「貴族の社交界ではそれなりに有名みたいね。アイツも知っていて助かったわ」
「所詮は準男爵だからな。侯爵家の当主を侮辱するようなことを言ったと耳に入れば、潰されかねない」
「アイリスと店長さんのことだけじゃなく、女同士であることを侮蔑するようなことを言ったからね」
「それで、『喉の調子が悪いから、はっきり発音できなかった』みたいな形に?」
そういう理由なら、なんとか誤魔化すしかなかったんだろうけど……。
呆れたように言った私に、アイリスさんも苦笑する。
「強引すぎるけどな。あれだけはっきり言っておきながら」
「まぁ、第三者がいませんからね。聞き間違いと主張されると」
もしも、『「ふざけるな」なんて言っていない、きっと「ふん、そうか」と言ったのを聞き間違えたのだろう』とか、適当なことを言われても反論は難しい。
「はぇぇ、本当に女性同士で結婚している人がいるんですね」
少し呆れたような、戸惑うような、複雑な表情のロレアちゃんがそう言えば、ケイトさんはムフフと笑う。
「ちゃんと男性同士もいるわよ? 女性同士よりも少なめだけど」
「貴族って、凄いです……。でも、そういう方がおられるのなら、もしものときにも少し安心ですね」
「まあな。――もっとも力を借りてしまうと、私と店長殿の結婚が確定的になるのだが」
「……え?」
「だってそうだろう? 結婚したいからと助力を頼んでおきながら、実は結婚するつもりがなかったなどと、ロッツェ家が潰されかねん」
「あぁ、それはそうなるでしょうね。一度結婚して破局するならまだしも、結婚すらしないとか」
実態はどうあれ、口先だけで侯爵家を上手く利用したと見られかねない。
そんな喧嘩を売るに等しいことをすれば、騎士爵家なんて『プチッ』だろう。
それぐらい、侯爵家と騎士爵家には力の差がある。
納得したように私が頷けば、ロレアちゃんが焦ったように首を振る。
「そ、それはダメですね。力を借りずになんとかしましょう! 頑張ってください、サラサさん、アイリスさん」
「大丈夫だよ、名前を出して牽制するだけで十分だから。それに、そこまで気にする必要はなさそうだしね。しかし……カーク準男爵はもっと狡猾というイメージだったんだけど、なんだか底の浅い人でしたね?」
錬金術師に関する法律は、そこまで周知されているわけじゃないけれど、調べればすぐに判ること。
ロッツェ家の借金の証文から窺えた狡猾さは、彼からはまったく感じられなかった。
あれでは、貴族というよりも――。
「チンピラの元締めとか、そんな感じだったな」
「あぁ! 正にそれ!」
アイリスさんの言葉に私が思わずポンと手を叩けば、ロレアちゃんもコクコクと頷いて、言葉を続ける。
「それに言葉遣いも、なんだかチグハグでした」
「うん、それも同意。本当に貴族なのかな、あれって」
尊大なしゃべり方をしようとしていたのかもしれないけど、少し興奮するとボロが出ていたから、単なるチンピラにしか見えなかった。
地位のことを脇に置いても、声を荒らげて凄むカーク準男爵より、何を考えているのか読めない笑みを浮かべていたフェリク殿下の方が余程怖い。
私たち相手に取り繕う必要はないと思ったのかもしれないけど、交渉に於いて考えなしに感情を表に出すようじゃ底が知れるよね。
「彼は典型的な三代目なのよ」
「三代目、ですか?」
「そうよ、ロレアちゃん。そこまで大きな町じゃなかったサウス・ストラグを大きく発展させたのが、先々代のカーク準男爵。それを無難に運営していたのが先代。そして、控えめに言って凡愚なのが現カーク準男爵」
「控えめに言って? 『凡愚』が?」
「そう。一〇年ぐらい前の話になるんだけど、先代の時に陞爵の話が出たんだって。先々代の功績があったから。でも、それを潰したのが現準男爵。その時点で後継と決まっていた彼が何やら問題を起こしたとか? 控えなければ、かなりの愚物」
「お、おぅ……」
吐き捨てるように言ったケイトさんの言葉に、私は鼻白む。
けど、その評価も仕方ないのかも。
直接顔を合わせたのは今回が初めてだけど、どう見ても直情径行。
アイリスさんみたいに根が真っ直ぐで良い人ならまだしも、そこがひん曲がっている人がそんなことしてたら……よく貴族を続けられてたよね。
足の引っ張り合いが多い貴族社会なのに。
「ま、簡単に言えば考えなしのバカで、人間のクズで、暗愚な後継者ということね。領地が接してるから付き合わざるを得ないけど、できれば関わりたくない相手よ」
ケイトさんは鼻息も荒く、本当に遠慮のなくなった言葉を吐き出し、アイリスさんもまた苦笑を浮かべて肩をすくめる。
そんな二人を見て、私とロレアちゃんは顔を見合わせた。
「ではなおのこと、ロッツェ家の借金の証文が不思議ですね。実際に書面を作るのは専門家にしても、誰が絵図面を書いたのか」
私が手を出さなければ、実質的にロッツェ家は乗っ取られていただろうし、手を出してもなお、カーク準男爵家には被害が及ばないよう、巧妙な契約になっていた。
専門家に任せれば指示した通りの証文は作ってくれるだろうけど、そんな専門家がまさか『こんな風にして騙しましょう』などと、アドバイスをするとも思えない。
「誰かから入れ知恵されたのか、優秀な補佐役がいるのか……。サウス・ストラグが寂れていないことを考えると、後者かしら?」
「おそらくはそうだろうな。アイツは明らかに短絡的なバカだ。今回のことは……その補佐役に相談もせず、独断で行動したとか、そんな感じじゃないか?」
カーク準男爵の愚かな思いつきを、上手く実現する有能な補佐役の存在。
準男爵と直接対面して受けた印象からして、とてもありそうな気がする。
私たちからすれば、とても迷惑なことに。
「そうなると少し心配ですね。私たちが長期にここを空けるのが」
明日からの買い出しに関しては、ケイトさんが残ってくれるし、せいぜい一泊二日、時間がかかっても二泊三日程度。
でも、ミサノンの根の採取に関しては、どんなに短くとも一週間以上、下手をすれば一ヶ月以上に亘ってロレアちゃん一人で留守番することになる。
それでも、相手が狡猾であれば――いや、少しでも考える頭を持っているなら、あまり心配はない。
仮にそこに錬金術師がいなかったとしても、錬金術師のお店を襲うなんて行為は、国の政策に対して喧嘩を売るようなもの。
襲わせた本人は処罰されるし、下手をすれば家自体が取り潰しになる。
もしもこの村の住民が領民だけであれば、圧力を掛けて口を噤ませることもできるかもしれないけど、この村には何人もの採集者がいる。
錬金術師のお店が襲われるようなことがあれば、採集者はこの村を離れるだろうし、そうなれば確実に話は広がる。
家の名誉を重んじる貴族からすれば、絶対に取り得ない選択肢なのだ。
だけど、そんなことすら想像できないほどに愚かだと……ロレアちゃんが危ない。
お店には防犯設備があるけれど、それは非致死性の物で、対応できるのは態度の悪い客とか、せいぜい泥棒とか、そのレベルまで。
武器を持った集団による、本格的な襲撃には力不足である。
万が一、ロレアちゃんが怪我をしたり、人質に取られたりするようなことがあれば……。
考え込む私に、アイリスさんが一つの提案を口にした。
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