5-06 計画と準備 (1)

 殿下の見送りを終えた私は、お店の看板を閉店へと変え、しっかりと鍵をかけると、応接室のソファーにぐったりと身体を預けた。

「うー、あー、たー」

 精神的疲労から、私が意味もない呻き声を漏らしていると、申し訳なさそうな顔をしたアイリスさんたちが、応接室に戻ってきた。

「お疲れ様、店長さん」

「本当にお疲れですよー、みんな逃げるしぃ~?」

 姿勢を崩し、脱力したまま非難がましい視線を向けた私に、アイリスさんとケイトさんは困ったように苦笑する。

「すまない。だが、万が一粗相をしたら、と思うと……」

「えぇ、私も殿下の相手なんて……むしろ店長さんは、よく普通に応対できたわよね」

「まぁ、師匠のお店にも貴族は来てましたから」

 それに加え、学校でもそのへんのマナーは多少習ったし、親しい先輩が貴族だったから、侯爵家の当主なんて高位貴族とも会ったことはある。

 だから一般人よりは少しはマシだろうけど――。

「でも、王族と関わるようになるとは予想外だったよ~。ノルドさん、厚意なのかもしれないけど、正直、ありがた迷惑!」

「確かにな。断ることもできないだろうし」

「もちろんですよ! こんな所まで来た殿下に、『王族相手のお仕事はちょっと……』とか言えるわけがないです!!」

 報酬は良いけど、それが心労に見合うかどうかは微妙だよね。

 失敗したら、命が危ないし?

「サラサさん、温かいお茶を淹れましたが、飲みますか?」

「もらう~」

 ロレアちゃんの心遣いを飲んで、一息。

 一緒に差し出してくれたクッキーもパクリ。

 優しい甘さが心を癒やしてくれる。

「ふぅ~。ありがと」

「いえいえ、私は何もできませんし……でもあの人、王子様だったんですね。格好いい人だとは思いましたけど」

「そうなんだよ。……ロレアちゃんはああいう人がタイプ? 結婚したい?」

 なんだか『ほえ~』と目線を上に向けているロレアちゃんに尋ねてみれば、彼女は慌てたように両手を振った。

「い、いえ、全然! 住む世界が違うので、全然! 美形だな、とは思いますけど、まったく実感が湧かないというか……想像も付かないというか……」

「そっか。ロレアちゃんだとそうなるか。アイリスさんとケイトさんは? アイリスさんは一応、貴族の令嬢ですけど」

「私も同じだな。店長殿が言う通り、本当にだからな」

「考えられないわ。相手が王子だと、私とロレアちゃんの差なんて、あってないようなものだもの」

 学校だと王子様に憧れて、『きゃー、きゃー』言っているお嬢様方もいたけど、まぁ、あそこは高位貴族の人も多かったからかな?

 私の親しかったプリシア先輩とか侯爵家令嬢だし、王子様のお相手としてもあり得なくもない。――本人にそんな気は、全然なさそうだったけどね。

「店長さんはどうなの?」

「私もまったく。あんまり関わりたくないですよね、あのへんの人たちって。良い人もいるんですけど、大抵の人は付き合うと、精神的に疲れるんですよ……」

 そんなのが一生続くとか、ちょっと勘弁願いたい。

 生まれついての王子ですら、ストレスで髪が抜けちゃうんだから。

 ……いや、人付き合いが原因とは言ってなかったけど。

 一見良い人に見えた殿下自身も、笑顔の下に何か隠していそうで……そんな人との結婚生活なんて、お金を貰ってでもやりたくない。

「ふむ、店長殿でもそうか。――しかしまさか、フェリク殿下が護衛も連れずにこのような場所に来るとはな。実は、かなりの実力者なのか?」

「殿下自身も腕が立つとは思いますが、護衛はいたと思いますよ? おそらくは、ですけど」

 さすがにウチの中には入ってきていないとは思うけど、家の周囲には何か違和感があったから、たぶんあれが護衛の気配だと思う。

 でも、さすがは王子に付くような護衛。

 私程度だと『なんか普段と違うかも?』程度にしか判らなかった。

 だから、ただの勘違いという可能性もあるけど、殿下の身分を考えればいると考えるのが自然だよね。

「それに加え、身を守るための錬成具アーティファクトをかなりの数、身に着けていましたね。たぶん、師匠が作った物を」

 あれなら、ちょっとやそっとじゃ怪我もしないだろうし、護衛が多少離れた位置にいたとしても、なんの問題もない。

「そういえばお茶もお出ししませんでしたけど、大丈夫でしたか?」

「あぁ、それは問題ないよ。貴族相手だと、お茶会や食事に誘ったのでもない限り、出さないのが普通だから。特に親しい相手を除いてね」

 貴族ともなれば、何が入っているかも判らない物を口にできるわけがなく、必要であれば自ら連れてきた従者が用意する。

 なので飲食物は出さないのが普通だし、出された場合に手を付けなかったとしても、マナー違反にはならない。

 手を付けないのが判っていても、一応はお出しして歓迎の意を示す方法もあるけれど――。

「万が一、何かあった場合――それが食中毒だったとしても、疑われたりしたら致命的だからね。文字通りの意味で」

 それが平民だったら、あっさりと首が飛ぶ。物理的に。

「はぁ……面倒なんですね、貴族って」

 チラリとロレアちゃんから視線を向けられ、アイリスさんはパチパチと瞬きをして、プルプルと首を振る。

「ん? ウチは全然違うからな? 自慢じゃないが、貴族を招くことも、招かれることもない。そもそもそんなマナー、初めて聞いたからな!」

「アイリス……それ、本当に自慢にならないから。学ぶ機会もないから、仕方ないとはいえ、ね。その点、店長さんがロッツェ家に入ってくれたら、凄く助かるんだけど――」

「その予定はありません」

 流し目を送ってきたケイトさんに、私はきっぱりと首を振る。

 ――あ、でも、貴族の地位が手に入れば、プリシア先輩たちとも少し付き合いやすくなるかな?

 先輩たち本人は気にせず可愛がってくれてるけど、錬金術師になったとはいえ、私は所詮平民で孤児院出身。偏見の目で見られることは避けられない。

 名目上でも貴族になれば……いやいや、ダメダメ。

 さすがにそれは、アイリスさんにも失礼だよね。

「……それはともかく。お仕事を引き受けちゃったからには、頑張らないといけません」

「そうよね。失敗も遅延も許されないし。店長さん、大丈夫? プレッシャーとか」

「そこはいつも通り、真面目にやるだけなので。ただ、ミサノンの根を採りに行かないといけないのが難点ですね」

「それは予定通りではないのか? 殿下が来る前も、そのことを相談していたし、その素材も候補に挙がっていただろう?」

「それはそうなんですが……」

 天候を見計らい、『見つかったら良いな?』ぐらいの軽い気持ちで採取に行くのと、期限が区切られ、『是が非でも見つけねば!』と採取に行くのでは、全然違う。

「採取できることは間違いないので、一応候補には挙げましたが、比較的採取難易度が高い素材なんですよ、これ」

 実のところ、発毛剤と育毛剤はほぼ同じ物で、真冬に採取したミサノンの根を使うと発毛剤に、それ以外の時季に採取した物を使うと育毛剤ができる。

 錬金術大全を熟すことだけを考えるなら、最も簡単な育毛剤も、汎用的な発毛剤も、最も面倒な個人専用発毛剤にも違いはなく、作るのはそのいずれでも構わない。

 私も冬山での採集経験は乏しいため、今冬は採取の難しいミサノンの根をスルー。

 比較的容易な採集物で冬山の経験を積むことを目的とし、春以降、育毛剤でも作ってお茶を濁すつもりでいた。

「実習で入った経験はありますが、冬山って、決して侮ってはいけない場所ですからね。アイリスさんたちは……」

 一応とばかりに尋ねてみれば、案の定アイリスさんは胸を張って断言した。

「うむ、一度も入ったことはないぞ! 再び、自慢じゃないがな!」

「私たちの領地には、雪が積もるような山はなかったから。もちろん、採集者として冬山に入るような技術も持ってなかったし。装備にもお金が掛かるでしょ?」

「はい。装備の性能が生存率に直接影響しますからね。もし真冬にミサノンの根を採りに行くにしても、この地で何年か冬山の経験を積み、それからと思っていたんですが……。事前準備をしっかりと行ってやるしかないでしょうね」

 問題は、その事前準備にもお金が掛かること。

 殿下が置いていってくれた前金、金貨二〇〇枚はあるけれど、これだけだとちょっと心許ない。

 さて、どうしようかなぁ?

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