044 エピローグ
ノルドさんは村に戻って一泊するなり、その翌日には村を後にした。
曰く、『早く帰って研究結果を纏めないと、生活費すら危うい』らしい。
でも、それもそのはず。
当初の計画を大幅に超過することになったノルドさんの調査活動ではあったが、アイリスさんとケイトさんには、その日数分に若干上乗せされた報酬が、しっかりと支払われた。
それに加え、私がアイリスさんたちに持たせた緊急パックなどの代金も、手持ちのお金をギリギリまで吐き出して支払ってくれた。
正直、残ったお金で家まで帰り着けるのか不安なぐらいだったんだけど、ノルドさんは『大丈夫。いざとなればボクには、この筋肉があるからね! ははは!』と笑っていた。
狩りでもして食いつなぐつもりなのだろーか?
実際、知識はあるから、採集者の真似事をしても十分にやっていけそうではあるけど。
でも、その気前の良さとタフさが、成功している理由なんだろうね。
これでケチっていたら、私たちからのノルドさんへの印象、最悪だったから。
それに対してアイリスさんたちは、家に辿り着くなり、数日間に亘って寝込むことになった。
村で悶々としながら待っていたロレアちゃんと、泣いて再会を喜んだ翌日に熱を出しちゃったものだから、ロレアちゃんがかなり狼狽えたんだけど、私の診断結果はただの過労。
何らかの病気や毒の症状は確認できなかったので、体力を回復させる
たぶん、精神的な要因が大きな割合を占めていると思うから、そちらを回復させる
急いで回復させる必要があるわけじゃないしね。
そして、アイリスさんたちが帰還して一週間。
色々な後片付けも終わり、アイリスさんたちの体力もだいぶ回復した頃を見計らい、私は一つの提案をした。
「湯治に行きましょう!」
夕食の席、ばばんっとぶち上げた私に、アイリスさんとケイトさんが少し困惑したように、私を見上げた。
ちなみにロレアちゃんには事前に話を通しておいたので、ちょっとだけ呆れ顔ながら、何も言う様子はない。
「湯治……? それは、温泉に行く、ということか?」
「はい」
「温泉って……。この辺りに温泉なんてなかったと思うけど? 店長さん、あまり遠出は……」
「先日、できたんですよ。アイリスさんたちが閉じ込められている、ちょうどその時に」
「なんと!」
素直に目を丸くしてくれるアイリスさん。
でもジト目のロレアちゃんからツッコミが入った。
「いえ、サラサさん、できたんじゃなくて、作ったですよね? サラサさんが」
「……どういうことかしら? 店長さん」
訝しげなケイトさんに、私は言葉を濁す。
「あー、うん。何というか……ここ最近で温泉、何か心当たりがありません?」
「ん? ……まさか、あの洞窟の中の?」
「それです。なんやかんやあって、あそこの温泉を外まで引き出したんですよね」
「なんやかんやって……そんな言葉で片付けられるほど、容易いことじゃない気がするのは私だけかしら?」
顎に指を当て小首を傾げるケイトさんに、ため息を吐いたロレアちゃんが首を振って私を見る。
「容易くはないですよ。滅茶苦茶、お金かかってますよ。ねぇ、サラサさん?」
「いやいや、あれは必要な実験だったから! ……確かにちょっと、お財布直撃だったけど」
鉱業は国造りにとって非常に重要な産業故に、錬金術師が作る
最後にアイリスさんたちを助け出すために使った掘削用の
でもそんな
そんなわけで、私が作って保管していたのは、手のひらサイズの小型版。
これでも一応作ったことにはなるし、井戸掘りなんかには使えるかと思ったから。
「まずはそれで、目的の場所まで安全に穴を掘れるか、確認したんです」
「それが、あそこの温泉か。だが、どうやって場所を?」
「クルミですよ。時々、何か描いていませんでした?」
「あれか! 岩で爪を研いでいた!」
「爪研ぎじゃないですけど、それです」
「そういえば、救出してくれたときにも、そんなことを言っていたわね」
「はい。まぁ、目的地はどこでも良かったんですが、場所的に都合が良かったんですよね、あそこ」
後は、人が通れるサイズに拡大して
屈まないと通れないようなサイズになったのは、コスト削減の結果だけど、それでもロレアちゃんが唖然とするぐらいの費用がかかっている。
鉱山開発なんて、成功したら莫大な利益が見込めるもの。
そこで使われるような
「ま、せっかく引っ張って来られた温泉。無駄にするのも勿体ないので、入れるようにしておいたのです。空き時間を使って」
「それって、あの拠点の所よね? そんなのがあったなんて、気付かなかったけど……」
「少しだけ離れた場所ですからね。温泉との位置関係の問題で」
「なるほど。それで見えなかったのか。温泉に行くのは、ロレアも含めた全員でか?」
「もちろん。ロレアちゃんを仲間はずれにはしませんよ。お店は臨時休業です」
「良いの? 私たちの救助作業で、店長さんは結構お店を空けてたんでしょ?」
「構いませんよ。冬になると、採集者も休業する人が多いですからね」
冬場は採集できる素材が減ることに加え、寒さで動きが鈍ると事故も起きやすくなるし、泊まりがけでの採集など、下手をすれば命に関わる。
そんなこともあって、冬場は一切活動しないという採集者は少なくないし、金銭的に余裕がない場合は、もっと暖かい地方へ活動場所を移したりする。
つまり、お店を開けていても、あんまりお客さんが見込めないのだ。
「サラサさん、私ももう反対はしませんけど、良いんですか? ずいぶんお金を使って、サラサさんの師匠にも、借金したんですよね?」
「うっ……」
そうなのだ。
今回、アイリスさんたちの救助作業を行うにあたり、私はかなりの無理をして、多くの錬成を行っている。
まずは
クルミを利用した救出方法を探るべく、錬金術大全の五巻に載っている
それに加え、万が一の際の
実際には使わずに済んだけれど、アイリスさんたちが毒に冒されていたり、病気に罹患していた場合に備え、多くの種類の
それらに必要な素材は、当然手持ちの物では賄えず、お金で
斯様にかなりの部分が師匠頼み。
情けないことにね。
「ま、まぁ、なんとか、なる、かな? なるよね? きっと。うん」
「あっ! そ、そうだった!」
頑張って自分に言い聞かせる私を見て、アイリスさんが慌てたように立ち上がり部屋を出て行くと、すぐに革袋を手に戻ってきた。
「店長殿、足りないとは思うが、これを受け取ってくれ」
「あ、そうだったわね。今回、ノルドさんから受け取った、私とアイリスの報酬。かかった経費にも満たないと思うけど……」
「足りない分は、しばらく待ってもらえると嬉しい。必ず返すから!」
日数が増えただけに、机の上に置かれたその革袋はなかなかに重そう。
ただ、それでも――
「う~ん、お気持ちはありがたいですけど、今の私の借金の額からすると……」
「……そんなに大金を使ったのか?」
ゴクリと喉を鳴らすアイリスさんに、私はこくりと頷く。
「まぁ、少なくはないですね」
「でも店長さん。店長さんって、貸しているお金も多いわよね? 心配する必要はないんじゃ?」
「だよな? 当家は当然として、サウス・ストラグ周辺の錬金術師」
「ディラルさんの宿屋、あそこの建物もそうよね」
「ははは……、そのへんを全部回収しても、ほとんど、焼け石に水ですねぇ……」
乾いた笑みを浮かべた私に、ケイトさんたちがしばらく沈黙し、コテンと首を傾けた。
「…………えっ、本当に?」
「…………冗談じゃ、なく?」
「はい、本当に、です。いや、まぁ、実際には焼け石に水というほどには酷くないんですけど、それでもまったく足りないぐらいには」
アイリスさんが今差し出したお金だと、本当に焼け石に水。
例えば、ウチのお店に売りに来た人から買い取って素材を集めるのなら、今回、必要になったコストは半分以下になったとは思う。
でも、季節要因や相場などを考えずに買い集めればコストは一気に跳ね上がる。
ある物を買うのと、ない物を探して買うのでは、全然違うから。
私が持っている狂乱時のヘル・フレイム・グリズリーの素材なんかも、その一種。
これを私がどこかに売りに行ってもそこまで高くは売れないけど、必要だからと探して買おうとすれば、一気に値段が跳ね上がる。
狂乱が発生しなければ手に入らない、稀少な素材だけに。
そんな素材をいくつも使えばどうなるか……自明だよね。
「それは……」
「何というか……」
想像される金額の大きさに、さすがにアイリスさんたちも『全部支払います』とは口に出せないようで、言葉を濁す。
でも、これは私が決めて行動したこと。
私の経験にもなっているし、アイリスさんたちに請求するつもりはない。
「良いんです! 借金については、今は忘れます。いえ、忘れさせて!」
忘れなければやってられない。貧乏性の私としては。
幸い、借金の相手は師匠。
悪徳商人じゃないので、強引な回収もされないし、身売りさせられる心配もない。
……いざとなれば、師匠が私を回収する心配はあるけど。
でも大丈夫。
私が一人前の錬金術師になれば、ちゃんと返せる金額だから!
そうなる予定だから!
「い、いや、さすがに確実に払うとまでは言えないが、可能な限り協力させてもらうぞ。なぁ、ケイト?」
「え、えぇ、そう、そうね。頑張るわ……」
金額を想像してしまったのか、震えつつもしっかりと頷くケイトさん、ちょっとカワイイ。そして、誠実。
だからこそ、私も助けたいと思うんだけどね。
「ありがとうございます。その時はお願いしますね。でも今は、リフレッシュしましょう。私たちには癒やしが必要です!」
私の精神的にも、アイリスさんたちの肉体的も。
「そんなわけで、温泉です。決定です。面倒なことは、しばらく忘れちゃいます!」
やや強引に話を打ち切り、私は面倒事を頭の中から追い出したのだった。
◇ ◇ ◇
「ふへぇ~。気持ちいいですねぇ、温泉。初めて入りました」
「でしょ~? 疲れと悩みが溶けていくようだよねぇ~」
行くと決めてから、僅か数日後。
私たちはのんびりと温泉に浸かって、まったりとしていた。
ここの温泉にはすでに結構な回数入っている私だけど、その時はアイリスさんたちのことが心に懸かっていて落ち着けなかったから、今回はかなりまったり。
「私もこんな温泉に入るのは初めてだな」
「しかも露天。考えてみれば、凄く贅沢よね」
「まぁ、普通は高級な保養地ぐらいですよねぇ、こういう経験ができるの」
地域によっては温泉を利用しているみたいだけど、それに入るために旅をできるのは金持ちだけだし、安全性を考えれば警備にお金のかかる露天風呂なんて、なかなか商売としては成り立たない。
ある意味、露天風呂なんて、自分で身を守れる採集者など、ごく一部の人たちの酔狂な楽しみである。
「温泉自体は洞窟の中で経験したが……あの時は同じ温泉の湯に、穏やかな気持ちで入れるとは思いもしなかった」
「クルミはあの時と変わらず、嬉しそうだけどね」
「がうがーう♪」
ふふっ、と笑うケイトさんの視線の先には、バシャバシャと泳いでいるクルミの姿。
クルミは属性的に火に寄っているので、温かい温泉が心地好いのか、とても機嫌がよさそうである。
「確かにこの温泉の位置なら、小屋からは見えないな」
「はい。あの洞窟内の温泉との距離的な問題とか、色々考えてここにしました」
上手いこと温泉が出てくるかは判らなかったけど、出てきたときに備え、周辺の状況も考慮して場所を選んだ。
目隠しになるような岩とか、野生動物が侵入しづらい地形とか。
もちろん、それだけでは不足なので、他の対処もきちんとしている。
「それにしても、結構しっかりとした作りね?」
掘り下げられた湯船は岩と漆喰で固められ、その周囲には石畳。
自然障壁のない部分には、目隠しと野生動物の侵入に備え、しっかりとした柵が作られている。
ヘル・フレイム・グリズリーを完全に防ぐのは無理だろうけど、あのレベルの魔物はそうそう出てこないし、多少でも時間が稼げれば、私たちなら対処可能。
まったく戦えない人が入りに来るには危険だけど、ある程度の戦闘力がある人なら、のんびりと湯につかれる環境が整えられていた。
「大まかなところは私がやりましたが、大半はアンドレさんたちのお手柄ですね。結構暇でしたから」
アンドレさんたちには、私が錬成に集中しているときや、クルミに同期している間の護衛をお願いしていたんだけど、この周辺の危険度はさほど高くないため、常時三人の護衛は必要ない。
必然的に一人か二人は暇な人ができ、そんな彼らが持て余した暇を使って整備したのがこの温泉。
冬になり寒くなった、この拠点での生活。
そんな辛い生活を、幾分でも向上させることに一役買ってくれたのだ。
「アンドレたちか。彼らにも改めて礼を言わなければな」
「ついでに、ゲベルクさん、ダルナさんたちにも、ですね。協力してもらいましたから」
「お父さんたちはあまり気にしなくて良いと思いますけど……。サラサさんがちゃんと報酬を支払っていますし。アンドレさんたちにも、ですよね?」
「まぁ、そうだけど。でも、お礼はちゃんと言わないとね」
「それは当然ね」
「う~む、そんなことを聞かされると、ますます店長殿に頭が上がらなくなってしまうではないか」
「そこはあまり、気にしなくて良いですけど……」
「でも、私たちのせいで借金を背負わせることになったわけだからね」
「そうだな。――しかし、店長殿も借金生活か」
「……なんですか、アイリスさん」
しみじみと言うアイリスさんに、私が聞き返せば、アイリスさんは私の顔を見て「うむ!」と頷く。
「私たちとお揃いだな!」
「やったわね、店長さん!」
「そ、そんなお揃い、嬉しくな~~い!!」
そんな恍けたことを言って、どこか嬉しそうにニコリと笑う二人に、思わず上げた私の抗議の声が、森の中へと響き渡ったのだった。
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