041 脱出を目指して (5)

「どうしたの? 弱気ね」

「弱気にもなる。私たち、かなりの距離を歩いてきたつもりだが、直線距離にしたら、どれほど移動できたと思う?」

 中腰や横歩きならまだマシ、這って進まなければいけない箇所も少なくなく、その際の移動速度は推して知るべし。

 上下の移動に加えて、来た方向へ折り返すように続く道も多くあり、目的の方向も定まらないまま進んできたアイリスたちの行程は、決して順調とは言えなかった。

「……正直、あまり考えたくないわね」

「だろう? 出口に近付いていると思いたいが……それ自体がないことも考えられる」

「自然の洞窟だものね。でも、絶望するなら、食糧が尽きてからにしましょ。ちょっと早いわ」

 努めて明るく言うケイトに、アイリスは苦笑。

「尽きてからって、携行保存食レーションのことか? まだ数ヶ月分は十分にあるわけだが」

「いいえ、食べられる物がなにもなくなってからよ。幸い、ブラック・バイパーみたいに、食べられる魔物も出てくるし? 大丈夫、多少不味くても、私たちには店長さんが用意してくれた橙色の湧水筒があるわ」

「いや、それはそうだが……それはつまり、絶望するな、と」

「当たり前でしょ。死ぬ寸前まであがく。生きる術があるのに諦めたなんて知られたら、アデルバート様に叱られるわよ。そして私は、お母様に殺される。現状でもかなりマズいのに」

 アイリスとケイトは親友同士とはいえ、現実には主筋に対しての臣下。

 ロッツェ家が借金で潰れかけていてすら、その忠誠を揺るがせなかったスターヴェン家の長女であり、アイリスの役に立てるよう、両親からは厳しく育てられている。

 その中には当然、アイリスのフォローも含まれており、ある意味、この三人の中で一番ストレスが溜まっているのはケイトといえるかもしれない。

「ふむ。その時は私が弁護しよう」

 その言葉を聞き、少し考え込んでいたケイトは、ハッと顔を上げた。

「……いいえ、この仕事は、アイリスが強引に請けたことにしましょう。そうすれば、私は『無茶なアイリスに付き合わされた』とアデルバート様とディアーナ様から同情が引けるし、その状態ではお母様もお父様も、強くは言えないはず!」

「おい、それだと私が、お父様たちから叱られるのだが?」

 ジト目を向けるアイリスに、ケイトはとても良い笑顔で微笑む。

「アイリス、私たち、親友よね?」

「……親友だから、犠牲になれと?」

「大丈夫よ。どうこう言っても、アデルバート様はあなたに甘いから。第一、詳しい条件も訊かずに『承った!』と言ったのは誰だったかしら?」

「うっ! それを言われると弱い」

「それに無事に戻った後なら、そこまできつくは言われないわよ、きっと」

「かもしれないが……あ、そうだ。今回のことは、お父様たちには知らせない、というのはどうだろう?」

 良いことを思いついたとばかりに表情を明るくするアイリスに、ケイトは呆れたように首を振る。

「ねぇ、アイリス。たぶんだけど、店長さんって今回のことで、かなりのお金を使っている気がするのよ。『師匠に助力を頼んだ』と言っていたけど、それにコストがかかっていないと思う?」

「……相手はマスタークラス。普通であれば、とんでもない謝礼が必要になる。実費だとしても、かなりのコストはかかっているだろうな」

「でしょ? あの抜小路検知器だって、いくら店長さんでも、ぶっつけ本番で作り上げたとは思えないし、他にも色々とやってくれている可能性は高いと思う。それらにかかったお金、返さないわけにはいかないでしょ?」

「当然だ。受けた恩は返す。ロッツェ家の娘として、それは譲れない」

 もしサラサが必要ないと言ったとしても、アイリスとしてはとても受け入れられることではない。

 それぐらいの矜持は、アイリスはもちろん、ケイトも持ち合わせていた。

「うん。つまり、現状抱えている借金に加えて、それが増えるということは――」

「お父様たちに、話を通さないわけにはいかないか」

「そういうこと」

「う~む。何だか私たち、採集者として稼ぐお金より、失うお金の方が多くないか?」

「そうよね。でも“縁”という意味では大幅にプラス収支よ? 借金は減ってないけど、ロッツェ家は救われているんだから」

「すべて店長殿と知り合えたからこそ、か。私の命も含め」

 そうしみじみと呟き、「むむむ……」と考え込んだアイリスの元に、遠くからノルドラッドの声が響いてきた。

「ねぇ、二人とも! そろそろ代わってくれないかい!」

「あ、あぁ、すまない! もう切り上げる! ――ということでケイト、それに関しては帰ってから相談しよう」

「私としては、アイリスが犠牲になって――」

「帰ってから相談しよう! ほらほらケイト、早く身体を拭いて、服を着るんだ。ノルドに見られてしまうぞ!」

 ケイトの言葉を食い気味に言い切り、アイリスは温泉から脚を上げてケイトを急かす。

「はいはーい。解りました~」

 ケイトはそれに軽く応えながら、先ほどに比べてずいぶんと明るくなったアイリスの表情に、そっと安堵の息をつくのだった。


    ◇    ◇    ◇


 アイリスたちの遭難は三〇日を超えていた。

 温泉があった場所の脇を抜け、一度上に上がり、再度下がり……歩いた距離は順調に伸びていたが、直線距離では微妙なところは変わっていなかった。

 それに加え、残りの魔晶石が乏しくなってきたこともあり、クルミ本体の維持も考えると、抜小路検知器もどきを使う回数も抑制気味になっている。

「……また、分かれ道か。どうする? 使うか?」

「歩きやすそうな道が三カ所、それに小さな隙間もある、か。悩むところだね」

 最近は歩きやすい道が二股に分かれていれば、直接出向いて確認。

 狭かったり、這って進まないといけない分かれ道が複数ある場合は、抜小路検知器もどきを使って確認。

 分岐の数が多い場合には、状況に応じて。

 今回の分岐の状況は、どうすべきか悩むタイプだった。

「魔晶石は……どれぐらい残っていたかしら?」

「そろそろ片手を切りそうだ。クルミが失われることになれば、店長殿に顔向けできないぞ?」

「ロレアちゃんにもね。泣かれかねないわ」

 抜小路検知器もどきを使うためにもクルミの魔力は消費されるが、クルミが存在するためにも魔力は必要なのだ。

 それを補給する手段がなくなれば、早晩、クルミは動けなくなる。

 それを錬金生物ホムンクルスの死と捉えるかどうかは人それぞれだろうが、長期間一緒に過ごしてきたアイリスにとっては、サラサたちに申し訳ないという思いと共に、自分自身もクルミを失いたくないという思いも強かった。

「なら、今回は確認しに行きましょうか……」

「そうだな……」

 行きたくはないが、という言葉を飲み込み、アイリスたちが歩き出そうとした次の瞬間、アイリスの荷物の上でクルミが立ち上がり、ぴょんと地面に飛び降りた。

「がうっ!」

「えっ! クルミ!?」

「ど、どうしたんだ!?」

 休憩時間以外は荷物に張り付き、言われなければ動こうとしないクルミの突然の行動に、ケイトとアイリスが戸惑いの声を上げるが、クルミはチラリとアイリスたちを振り返ると、すぐに一本の道を選んでとっとこ走り始めた。

「いったい――」

「あー、色々言う前に、追いかけた方が良いんじゃないかい?」

「そ、そうだな!」

 ノルドラッドに指摘され、即座にクルミの後を追いかけ始めたアイリスたちだったが、はっきり言ってクルミの運動能力は、彼女たちを大きく上回っていた。

 狭い場所でも難なく通り抜けられ、急な岩壁であっても爪を立てて容易に登り切る。

 そのような単純な身体能力以外のアドバンテージはもちろん、平地を走ることすら、その小さな身体と短い足からは想像もできない能力を発揮。

 クルミが三人を置き去りにするつもりならあっさりと引き離されただろうが、そのようなことはなく、追いついてきたら再び走り出すことを繰り返し……その追いかけっこは一時間ほども続いただろうか。

「ク、クルミ、もう、終わりか?」

「なかなか、疲れたわ……」

「ボ、ボクとしては、お、終わりにしてくれると助かる、かな? さ、さすがにしんどい……」

 やっと足を止めたクルミの前で、膝に手をついて息を整えるアイリスに、アイリスよりはマシなものの、やはり疲れを見せているケイト。

 そして、最も多くの荷物を持っているノルドラッドは、激しく肩で息をしながら、その場に座り込んでしまった。

「この場所に連れてきたかったのかしら?」

「おそらくな。……だが、なにもないな?」

 クルミの止まったそこは、一見、何の変哲もない通路だった。

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