040 脱出を目指して (4)

 アイリスたちが洞窟に閉じ込められて、二〇日あまりが経過していた。

 魔力に不安がないと知ったことで、精神的にはだいぶ楽になったアイリスたちだったが、実際の状況は良くもあり、悪くもあり。

 トータルとしてはあまり改善していなかった。

 クルミに頼むことで、無駄足を踏むことは大幅に減ったが、魔晶石の数には限りがあるし、抜小路検知器もどきの性能の制限もあり、袋小路に突き当たる回数もゼロにはなっていない。

 一〇日も過ぎた頃から周辺温度が下がり、防熱装備なしでも苦にならなくはなったが、それに伴い発生したのが魔物。

 幸いなことに、出現するのはアイリスたちでも対処可能な強さの魔物で、その数も少なかったが、中にはブラック・バイパーのような強力な毒を持つ魔物も存在し、決して気が抜けるような状況ではなかった。

 それでも高価な錬成薬ポーションのお世話にならずに済んでいるのは、ブラック・バイパーの牙も通さない、頑丈な防熱装備があったからこそだろう。

 だが、そんな風にやや快適な状態も、半日ほど前から変化が出てきていた。


「何だか、再び気温が上がっているように感じるんだけど、君たちはどうだい?」

「いえ、私たちは感じませんが……湿度は上がっているように思えますね」

 防熱装備が必要なくなっても脱ぐ意味はなく、むしろ防具としても優れているため、しっかりと着込んでいるケイトとアイリスには温度変化が感じられなかったが、湿度に関しては別。

 顔に当たる空気が、ややジメッとしているように感じてケイトがアイリスを見れば、アイリスもまた同意するように頷く。

「だいぶくだってきたからな。地下水でも染み出しているのか……。通路も広くなってきたし、良い兆しならありがたいのだが……」

 アイリスが口にした通り、ここ一日ほどはまっすぐに立って歩けるほど天井が高い通路が続き、幅も二、三人なら並んで歩けるぐらいに広がっていた。

「このまま、外に出られたら良いんだけど」

「ケイト君、それは高望みだろうね。外が近いにしては、空気の流れが少なすぎる」

 ケイトの口にした希望を、現実的思考でバッサリと切り捨てたノルドラッドに、ケイトはため息を吐きつつ首を振る。

「解ってますよ。でも、それぐらいポジティブに考えないとやってられないです」

「観察した事実から、現実的な予測を立てるのが研究者だから。――ただ、出口ではないけど、変化はあったみたいだよ」

 何かに気付いたノルドラッドが持っている明かりの光量を強くして、緩やかに下った通路の先を指さした。

 急に広がった通路の先に照らし出されたのは、広大な空間。

 強めた明かりの錬成具アーティファクトでも全体が見通せないほどに広く、その床には大量の水が蕩々と湛えられ、光を反射している。

「地底湖、だな」

「いや、見た感じ、明らかに温度が高そうだよ? 言うなれば、地底温泉?」

 ノルドラッドが指摘した通り、その地底湖全体からは白い湯気が立ち上っていた。

 周辺温度の高さもあり、もうもうと白く煙るほどではないが、それは明らかに普通の地下水とは異なっている。

「先頃からの湿度が上がっていたのは、これの影響だったのね」

「そのようだね。しかし、温泉か……地底湖が温められただけなのか、それともより深い場所から湧き出ているのか、興味深いところだね」

「私としては、この水が利用できるかが重要なのだが……ノルド、調べることはできるか?」

 その問いに、少し不思議そうにアイリスを見返したノルドラッドだったが、少し考えて合点がいったようにポンと手を叩いた。

「できるけど、水なら湧水筒が――あぁ、なるほど。君たちも女性だもんね。身体が臭いのは嫌だよね」

 平然とそんな無神経なことを言ったノルドラッドに、アイリスとケイトから冷たい視線が突き刺さる。

「ノルド……仮に。仮にだ! もし事実だとしても、女性に対してそれを口にするのはどうなんだ?」

「あ、ゴメンゴメン。別に君たちが臭いというわけじゃないよ? そもそも自分も同じだから、全然気にならないし!」

 まったくフォローになっていない。

 臭くないと言いながら、気にならないとも言っている時点で、ダメだろう。

 だが実際のところ、アイリスたちとノルドラッド、どちらが酷い状態かと言えば、明らかにノルドラッドの方である。

 高価な防熱装備のおかげで、激しく動かなければ汗をかかずに済むアイリスたちと、何をしていなくても汗をかくノルドラッド。

 それに加えてアイリスたちは、寝る前には必ず身体を拭いていた。

 最初は水のことを考えて控えていたのだが、サラサに『風呂に入ろうとでもしなければ大丈夫』と保証されたことで、身体を拭うぐらいの水であれば、気軽に使えるようになっていたのだ。

 一応、ノルドラッドにも水は提供していたのだが、彼は魔物研究者。

 必要であれば草むらにじっと潜み、数十日でも観察を続けることすらできるノルドラッドからすれば、まだまだ余裕であった。

 ――周囲にはかなり迷惑なことだが。

 なお、アイリスたちがまったく問題ないかと言えば、さにあらず。

 身体は拭けても、服を洗濯するほど余裕はなかったのだから。

 それを解っているからこそ、アイリスたちは気にしているわけで。

「ノルドさん、もうちょっと気遣いを覚えないと、女性にモテませんよ? 顔とかは悪くありませんのに」

「んー、そっちはあんまり気にしたことはなかったなぁ。今は研究の方が楽しいし?」

 実際、ノルドラッドの容姿は、整っていると言っても過言ではない。

 顔にはフィールドワークでできた傷跡が残っているが、醜いというほどには酷くなく、筋肉質で引き締まった体つきは、それを好む女性には大きなアピールポイントであろう。

 研究成果を出していることから社会的地位もあり、経済的にも決して悪くない。

 難点を挙げるなら、危険な場所に出向くことが仕事ということだろうが、もし今後、植物研究に軸足を移すのであれば、それもなくなる。

 もっとも、本人にその気がないのであれば、それらの魅力も意味がないのであるが。

「でも、ま、君たちに対する点数稼ぎは重要だね。ボクの安全のためにも。温泉の調査をしてこよう」

「それとは関係なく守るつもりではあるが……調べてくれるとありがたい」

「任せておいて。幸い、そのための錬成具アーティファクトは、サラサ君の手を逃れているからね」

 ひょいと肩をすくめたノルドラッドは、荷物から何かの錬成具アーティファクトを取り出すと、一人湯気を上げる地底湖へと近付いて行った。


    ◇    ◇    ◇


 ノルドラッドによる検査の結果、地底温泉の水は『飲用にはあまり適さないが、入浴用としては上質』というものだった。

 水に濁りもなく透明で、不審な物がいないか水中を見通すのにも都合が良く、その上、洗濯にも使える。

 そうなればアイリスたちが遠慮するはずもない。

 周囲の安全、そして温泉内の安全をしっかりと確認した後、ノルドラッドを遠ざけて洗濯と入浴に邁進することになる。

 そして一通りの作業を終え、色々さっぱりとしたアイリスは、トロンとした表情で大きく息を吐いた。

「ふぅ~、生き返るな……」

 さすがに、温泉内にどっぷりと浸かってしまうほどには気を抜けないが、たっぷりのお湯で身体を洗い、浅瀬に足を浸けるだけでも疲れが抜ける。

 アイリスの隣に座り、脚でお湯をかき混ぜていたケイトも、似たような表情で肩の力を抜いている。

「えぇ。気になっていた服や下着も、纏めて洗えたし」

「うむ。都合の良いことに、周囲の岩もかなり熱いしな」

 触って火傷するほどではないが、お湯を掛けてもすぐに乾く程度に熱い周囲の岩は、洗濯物を乾かすには非常に都合が良かった。

 当然アイリスたちはそれを利用し、周囲の岩には洗濯物がたくさん張り付いている。

 その上、アイリスとケイトの姿はほぼ裸。

 ちょっと異性には見せられない状態である。

 そんな二人の横で、気楽そうにバシャバシャと泳いでいるのはクルミ。

 そして、しばらく泳いで気が済んだのか、よじよじと岩の上に這い上がったクルミは、キランッと爪を閃かせた。

「がう~ぅ、が~がぅ~♪」

 何やら嬉しそうに、岩を削るクルミ。

 この辺りの岩は決して柔らかいわけではないのだが、クルミの爪が欠けたりする様子もなく、その爪痕がしっかりと岩に刻み込まれている。

 だが、その行動自体に何か意味があるようにも思えなかったアイリスは、目を瞬かせて不思議そうに小首を傾げた。

「……なぁ、クルミは何をしているんだ? 爪研ぎ?」

「熊って爪を研ぐの?」

「いや、知らないが、木の幹とかには爪痕を付けているよな? 縄張りの主張するために」

「なら、錬金生物ホムンクルスには関係ないわよね? そもそも、休憩時間に時々やっていたわよ、今までも」

「そうなのか? 気付かなかった……」

 基本、移動中はアイリスの荷物に張り付いたまま動かなくなっているクルミだけに、休憩中、荷物を下ろした後についても、アイリスはクルミの行動についてあまり意識していなかった。

 ケイトがクルミの行動に気付いたのは、アイリスが荷物を下ろすと、彼女の荷物はその背後に位置するのに対し、アイリスの前に座ることの多いケイトは、視線の先にその荷物があったことによる違いだろう。

「何か意味があるのかもしれないけど、クルミは説明できないし、気になるなら、帰ってから店長さんに訊いてみたら?」

「そうだな。……なぁ、ケイト。私たち、無事に帰れると思うか?」

 頷いた後、少し沈黙してポツリと呟くように言ったアイリスに、ケイトはさして意外そうな表情も見せず、顔を向けた。

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